感じた冷気
―レストラン二階 夜中―
久しぶりの食事は本当に美味しくて、失いかけていた生物の本能を取り戻せたようで、生きていると実感出来て嬉しかった。一日三食、落ち着いて食べることの出来る部屋もある。至れり尽くせりで、申し訳なさもあったが今はそれに甘えるしかなかった。
(あの料理に喉に効く薬草が入ってるなんて思わないよ……とっても美味しい。それに、喉の違和感も少しだけマシになった気がする)
まだ声を出せるほどではないが、最初に比べたら随分とマシになった。後はしっかりと睡眠さえ取れば、寝ている間にある程度は治るだろう。
(なるべく早く治して、恩を返さないと。だから早く寝ないといけないのに……!)
だが、僕は眠れないでいる。原因は分かっている、それは――。
(匂いが気になる……)
本来であれば分からないくらいの匂いだ。だが、僕がこんな鼻を持っているせいで気になってしまうのだ。今、僕が眠っているこのベットには誰かの匂いが染み付いているのだから。
(は~気にするから気になるのに。気にしちゃ駄目だ。気にしちゃ駄目だ!)
そう、言い聞かせても自分の鼻は理解してくれなかった。いや、僕自身がコントロール出来ないでいたのだ。
(くそっ!)
「うぅぅぅぅう……」
(え?)
部屋の近くで、獣のうなり声かうめき声のような低い声が聞こえた。聞き間違いではない。絶対に聞こえた。
(こんな街中に? しかも、建物の中? 魔物の類か?)
もし、そんなものが入ってきているのだとしたら大惨事だ。しかし、今いるのは僕とあの二人だけ。しかも、僕は歩く力すら持ち合わせて――いや、他の方法が今ならある。
(歩けない。歩けなくても……僕には魔法がある。食事も十分過ぎるくらい食べた。魔力は有り余ってる。今、僕に出来ることは!)
「うぅうう……」
まだ、声は聞こえ続けている。僕が確かめなければ。僕が出来ることなら、やらなければならない。
(浮遊の魔法……それを使えばいける! 何がいるのか確かめよう! 今の僕に出来ることと言えば、これくらいのものだ)
怯んでいる暇も、悩んでいる暇もない。今、やらなければならないのだ。僕はベットに腰かけ、浮遊の魔法を使って地面より少し高い所を声のする方へゆっくりと歩いた。
「うぅぅぅぅう……」
地を這うような、苦しみを訴えるような声。最初は獣か魔物のどちらかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
(男の人の声? でも、料理が上手なあの人の声とは違って、若い声のような……まさか、泥棒!?)
魔法があるこの世界では、魔力を無効にする鍵がある。しかし、全ての魔力を向こうに出来る訳ではない。値段によって、無効に出来る範囲に限界がある。その鍵を作るのは、簡単なことではないからだ。
その為、一定量の魔力を無効にする鍵を使っていても、それを上回る魔力を使えば鍵は壊されてしまう。だが、その行為は自身の体を蝕む行為だから馬鹿でもない限り、そんなことはしない。
ところが、大抵そういうことに手を出してしまう人間は盗むことで頭がいっぱいだからこういう常識は通じない。
(人間なら、まだどうにかなるか? よし……)
浮遊しながら、その声の主に悟られないよう部屋を出て、廊下を歩く。その声は、闇でよく見えない廊下の奥の方から響いていた。上手くいっている、バレてなどいない――そう思っていた。
「うぅううぅうう!」
突然、その苦しみを訴えるような声が耳元で聞こえたのだ。先ほどまでは、あの闇の向こうから聞こえていたのに。
(え?)
背後から尋常でない冷気を感じる。さっきまでは、気配も何も感じなかったのに。声が耳元で聞こえた瞬間、それが現れた。本能的に悟る、これは獣でも魔物でも人間でもない何かだと。
「で……け……」
体が動かない、いや動けない。まるで、そこに縛られているような。そして、ついには力が入らなくなって僕は床に落ちた。
(これは……)
「出て行け!」
若い男性の憎しみと怒りが混ざったような声が聞こえた瞬間、僕の体に何かを突き刺さすような痛みが走り……その場で意識を失った。




