あの時のように
―レストラン 朝―
「――ミ! タミ!」
そのどこか聞き覚えのある声で、僕の意識は覚醒した。
「良かった、無事なんだね。うちの前で、タミが倒れてた時はどうしようかと思ってたよ」
僕の目の前には、心配そうな顔を浮かべる老人の女性と男性の姿があった。その向こうには天井が見える。そして、下は柔らかい。手で確かめてみると、布の感覚を感じた。
(ここは……どこで、誰だ?)
分からない。また思い出せない。知っているし見覚えはあるのに、答えが見えない。
「どうした? タミ?」
男性が、一向に口を開こうとしない僕を不審に思ったのかそう問いかけた。
(タミ……確か美月が僕にくれた偽名……)
その名前を使って、僕はこの国で生活をしていた。それは覚えているのに、この人達のことを思い出せない。
(どうしよう……どうして思い出せないんだ!)
かつて、十六夜にされたこととよく似ている。全てを忘れる訳じゃない、一部分を忘れてしまう。その恐怖に怯えながら悟られないようにしながら、僕は長い間生きた。ようやく解放された、そう思っていたのに。
(また、封印されたのか!? 誰に!? あの白髪の人にか!?)
しかし、あの時にはそんな感覚はなかった。あの部屋にいる間、僕はずっと起きていたし、苦しみ続けていた。あの歌にそういう仕組みがあったのか、それともあの赤髪の少女が使った物のせいなのか。
「タミ?」
女性が、再び僕に問いかける。
(向こうは覚えてる……僕が忘れているだけ。そうだ、昔みたいに……その場に合わせて誤魔化すんだ。そうすれば、これ以上の心配も迷惑もかけない……)
僕は、とりあえず謝ろうとした。しかし――。
「ア……アァ」
声を発そうとすると、喉に痒みと痛みを覚えて思うように出せなかった。それほど、時が流れた訳ではなかったようだ。すっかり、時間の感覚を失ってしまっていた僕は一体今がいつで、最後に外にいた時からどれほどの時が流れたのか分からないのだ。
「どうしたんだい、その声は!?」
「何があったんだ!?」
(ごめんなさい……余計に心配をかけさせてしまって……)
思いが伝わらない。自分の思い描いていたことと真逆なことが起こって、心配をかけて、迷惑までかけて……情けなくて、ただ涙が溢れた。
「辛いことがあったんだね、いいんだよ。無理して話さなくて」
「デボラ、とりあえず病院だ。あそこなら――」
(病院!? 駄目だ、絶対に! 僕の国とは違って、医術が発展していると聞いている! 僕の体の中を調べられてしまったら……!)
僕は右手で、男性の太い腕を残力で引っ張った。
「っ!? タミ!?」
「イ……ヤ……ッ!」
絞り出すように、僕は声を出した。喉の痛みに襲われ、口には血の味が広がる。
「血が!? くそっ、何があったてんだ……よし、デボラ、今日は臨時休業だ」
「あんた……!?」
「あの時みたいなことをしたくねぇ……こいつが病院嫌だって言うなら、仕方がねぇ。俺らで面倒見てやる」
(店を!? そんな……僕のこと、僕のことなんて放っておいていいのに!)
そのことを伝えようとしたのだが、うめき声に等しい声が出るだけで無意味だった。
「……無理をしないで、タミ。うん、そうだね。私らだけで、どうにかしようじゃないかい」
女性は、もう片方の僕の手を握った。その手はしわしわだったけれど、とても温かくて、不安だらけの僕に――安らぎをくれた。




