閑話:マスターは仕事が嫌いです。
治療薬士ギルドのお話し…
治療薬士ギルドとは高度な薬学の知識を修め、治療魔法では治せない病気を治す薬の研究し、新たな薬草を開発・研究又は栽培するための人材が所属する組織である。
また、各国にある調薬局又は薬学局とは密接な関係があり、ギルドに所属していた者が各国の局員になったり、各国の局員がギルドに所属したりと人材交流が盛んだ。
その歴史は他のギルド組織と比べると浅いものだが、ここ近年はギルドから局員になる者が増えてきており、ギルド職員の数も増加している。
「……終り…」
「起立!…礼!」
「「「「「ありがとうございました!!」」」」」
ギルド地下・生育室。
いましがた教育を終えた治療薬士ギルドマスターのメルーナだが、規律正しく元気に挨拶する治療薬士の卵達を煩わしそうな表情で見ている。
「…ん…」
面倒なのだろう…答礼をする訳でもなく、メルーナはそそくさと退室する。
生育室の外ではギルド職員のサラが待っておりメルーナが持つ教材を受けとる。
サラは教本を開き何かを確認するとため息をついた。
「はぁ〜……マスターメルーナ…これ、一度も開いてませんね?」
「ん、邪魔…だった」
何が邪魔だったのか、教本を開かなくても教える事は造作もないのだろう…と、そんな訳はなく……
「……始めと終りだけしか喋らず、実習生に聞かれたことを、ただ頷くか首を振るだけの人も珍しいですよ…」
「やった…こと無い……マサアキ…いればいい、言った…」
(ポンコツかよ!?)と心の中でツッコミを入れるサラ…
治療薬士ギルドは未来の治療薬士を育てる教育機関も兼ねており、本部以外の各支部にはC級治療薬士を目指す薬学生と呼ばれる者達が学びに来る施設でもある。
現在、生育室担当者のマサアキが不在のため薬草生育の教育を直々に任されたメルーナなのだが…
「で…でも、少しだけ教えて差し上げたら……」
引きつる顔をなんとか抑え込みながら訊ねるサラだが、メルーナはドヤ顔を貼りつけ言った。
「みな…勝手にやる……見てるだけ…簡単な事」
「……」 (学生にサブマスターが言ってたからだよ!?)
ドヤ顔を叩いてツッコミたいと思う衝動にかられそうになったサラ…
たぶん叩いても大丈夫だと思う。なんせギルドマスターのメルーナは仕事という仕事をしたことが殆ど無いのだから…
「あ!…今度はどちらへいかれるんですか!?」
一仕事終えたとばかりに階段に向かうメルーナを、通せんぼうで引き留めるサラ…しかしメルーナは止まらない…
「だーかーらー!…と、止まってくださいってば!!」
サラはメルーナの腰に抱きつきながら数メールほど引きずられ、メルーナは階段を何段か上がった所で立ち止まった。
「む〜…」
「むーじゃ無いですよ!?いちちっ…」
サラは階段に打ち付けた両膝を擦る。
メルーナは少し苛ついていらっしゃる様だ。
「ダメですよ…サブマスターが不在なので決裁書に署名を書く仕事が残ってるんですから…」
「…やるつもり…だっ――」
「――なら、マスター室はこの階段からより、あちらの階段からの方が近いです」
サラが反対側の階段を指差し、頬を膨らませて一歩も動こうとしないメルーナを引きずろうとする。
「…むー」
「むーはいいので歩いてください!それでもマスターですか!?」
メルーナは階段の手すりにしがみつき、いっこうに動こうとしない…
そこに生育室から学生達が出てきて、一人の青年がサラに声をかける。
「サラ事務長…どうしたんですか?」
「……マスターメルーナを自室へと連れていく所です…」
青年は「あ〜」と言い、手すりにしがみつくメルーナを見て納得している。
この青年は学生長と呼ばれる学生のまとめ役で、謂わば学級委員長みたいなものだ。
そしてサラが呼ばれた事務長とは、ギルドマスター(マスター)の次に偉い副ギルドマスター(サブマスター)と同じ立場の役職で、サブマスターが研究や実務の責任者で、事務長は謂わば経理や書類整理・庶務といった事務的職員の責任者である。
その上に各支部のマスターがいるのだが、ガルデア支部のマスターはポンコツなのでサブマスターのマサアキが殆ど両方に指示を出している始末なのだ。
「…手伝いますよ」
「助かります。両手を引き剥がしてください」
学生長はサラの指示でメルーナの腕を引き剥がす。
メルーナは「単位…減らす…」と職権乱用にも程があることを言うが、学生に単位を付ける権限を持つ者はサブマスターのマサアキにあるので、メルーナが言っても意味はない…
「はいはい…学生長、両手を持ってください。マスター室まで行きます…」
「了解です。サラ事務長」
「むーー!」
サラはメルーナの両足を…学生長は両手を互いに持ち合いメルーナを運ぶ。
メルーナは体をよじらせ抵抗するが、抵抗虚しく自室であるマスター室に連れてかれてしまった…
マスター室に着くと、メルーナは自室であるのに辺りを見渡す。
「久し…ぶりに入った…」
「……いつも、甘い物を求めて何処かへ行かれますからね…」
仕事をしないメルーナは、1日の殆どをスイーツの食べ歩きに費やすほどの甘党で、ガルデアのスー女(スイーツ大好き女子)界隈では有名な人物だ。
「……ここ」
「ここ?…なんでも良いので、椅子に座ってください…」
メルーナが窓枠右側に近づき壁を擦る。
早く仕事をして欲しいサラは着席を促すが、メルーナは壁を三度叩き壁を壊す。
「な……何してるんですか!?」
壊れた壁を見て思わず怒鳴るサラだが、メルーナは壁に手を突っ込み何かを確認する。
「きんきゅ…だ…しゅつ……」
「はへ?…えぇーー!!?」
何かを言ったメルーナは一瞬にして姿を消した。
サラは驚きながらもメルーナがいた壁に近づき確認する。
「え…なにが?……転移陣!?」
穴が空いた壁を覗きこんだサラは効力の失った転移陣を確認した。
そう、メルーナは転移陣で転移したのだ…
これはメルーナとマサアキの親友、アドラスが作ったもので『何時何時、何があるか解らんから設置してやる!』と、ほぼお節介の様な感じで設置していった物だ…しかも壊れやすい壁でカモフラージュするほどの懲りようである…
「なんで転移陣が…」
転移陣を眺め途方に暮れるサラ…
すると外にいる学生長が声をかける。
「事務長ー!何かありましたかー!」
一応マスター室は機密事項を扱う物もあるので学生や一般職員は入れない。
サラはトボトボと歩いて扉に向かい部屋を出る。
「なにかありました?」
「……」
考え事をしている様なサラに学生長が話しかける。
サラは、転移陣を使い姿を消したメルーナを探す事を決意する。
「本日の雑務は無しです。学生達は今すぐ受付前に集まる様に…」
「雑務…無しですか……了解しました♪」
メルーナの指示に学生長は笑顔で答える。
何故学生長が嬉しそうにしているのかと言うと、学生は治療薬士の卵ではあるが実務が出来る訳でもなく、ただ学びに来るだけでもギルドも学生もお金がかかってしまうので、各支部では半教半仕と呼ばれる制度を導入して、午前は教育、午後は事務職員のお手伝いとして仕事をこなし、実質学費無料で学びに来ている。
だが事務の仕事は多岐に渡り、学生達は半ば嫌々やっているという感じだ…
学生長がいなくなり、サラも一階の受付に向かう。
手には手帳が握られており、その中身に書いてある情報は…
「学生は10名…マスターメルーナの行きつけのお店は54店舗……」
サラはブツブツと呟きながら歩く…
「二人一組で…一組10分…捜索時間は概ね1刻……」
そう、学生達はメルーナの捜索をする…
メルーナを見つけ捕らえた組は、捜索修了後の雑務を免除される。
しかも学生達はその事を解っていて、学生長から召集指示を聞いた学生達は浮き足立っている。
受付に着いたサラは、すでに集まっている学生達の前に立つ。
「今月、13回目の捜索会を開始します…」
「「「「「はい!!」」」」」
元気に返事をする学生達にサラは続ける。
「1回目から12回目と捜索は失敗…今回の捜索に失敗したら、寝る時間まで仕事をさせます…」
サラの言葉に唾を飲み込む学生達…
寝るまで仕事…それは年若い学生達にとっては遊ぶ時間までもが奪われるということだ…
「今日、見つけた組は一週間雑務を免除します。死ぬ気で探してください」
「「「「「はい!!」」」」」
学生達に一週間も午後は遊びに行ける権利を与えるサラ事務長…
その餌に鼓舞された学生達は血眼(文字通り目から血を出しながら)になりながらメルーナを探しに行った。
半刻後、某スイーツ店にいたメルーナを学生長の組が見つけ、メルーナを連行し一週間の雑務免除を勝ち取った。
その後メルーナが半泣きになりながら仕事をし、終ったのが大好きなスイーツ店が閉まる時間だったと、次の日の教育中に学生長の組が怒り心頭のメルーナからブツブツと小言を言われたそうだ……




