壱(2)
「お父さん、お仕事は遅くなるの?」
夕飯の陽女さん手作りコロッケを口に含んだあと八重がそう聞く。
「わからないけど仕事の始まりが遅いからね。きっとそうだと思う。どうした?」
「ううん、ちょっと教えて欲しいことがあっただけなの」
「今じゃ駄目か?」
「うん、お父さんとお話したい」
珍しいな。俺だけに話したいだなんて。
うちはわりと隔りなく話しているつもりなのだけど。
少し不思議に思ったが俺はそれは前に出さずにこりと笑った。
彼女には彼女の考えがあるのだろうから。
「わかったよ、ただきっと遅くなるから明日八重が帰ってきてからでもいいか?」
「起きて待ってたら駄目?」
「八重が寝る時間に間に合わない」
「わかった」
少ししゅんとする愛娘の頭をぽんぽんと撫でる。
仕方ないことだということはわかっているのだろう。
聞き分けのいい子だ。
それにしても陽女さんではなく俺にききたいこととは本当になんなのだろう。
相談なのかな。
それでも八重は女の子なのもあるし俺より陽女さんに相談しそうなものだけど。
もしかして心霊絡みか?
まぁ明日きくとして。
残りのご飯を食べきって手をあわせる。
「ごちそうさまでした」
食器を下げて俺は風呂に向かった。
仕事前に清めるためだ。
ついでだ。
「咲龍、風呂おいで〜」
「今テレビみてるのー!あーとーでー!」
「宗さん、私あとで咲龍と一緒に入りますから。それより、ハイ」
にこっと笑った陽女さんがお盆に清めの酒と塩を用意してくれた。
本当にできる妻である。
ありがたい。
俺は風呂場でひと通り洗い終え、粗塩を自分にざりざりと揉み込んだ。特に足首と首の後ろと頭は入念に。
それを水で流したあと清めの酒を頭から被り、湯船に残りをいれて浸かる。
あたたまる。
よし。
俺はそこそこにあたたまると風呂からあがり身体をふいて黒のタートルネックとジーンズを履く。
祓屋の仕事はできるだけ動きやすい服装の方がいい。
体力仕事だからだ。
着物着てやった方がいい略式できない儀式以外は俺は洋服だ。
「それじゃあいってきます。八重、咲龍、はやく寝な」
お見送りしてくれる子ども達の頭を軽く撫で、陽女さんに軽いハグをし玄関を出た。
今日は中秋の名月か。
満月ではないが月が煌々と光り輝いていて綺麗だ。
そういえば、おやつはお団子だったな。
さすが陽女さん。
行事ごとはきちんと把握している。
月をみながら依頼人との待ち合わせ場所のカフェに向かう。
こじんまりとした小さな喫茶店で木のぬくもりのある店だ。
オーナーは昔からの顔馴染みである。
「ソウ、いらっしゃい」
からからとベルの音を立てて中に入るとカウンターにいるオーナーが顔をあげて俺に声をかける。
「ハジメ、奥空いてる?」
俺がそう言うとにっと笑ってハジメは手招きする。
呼ばれるがままに俺はハジメに近寄った。
「多分お前のお客さん来た。奥通しといた」
「あら、やだ。ハジメでもわかるくらいなの?」
うっと言いそうになるのをのみこんで茶化した口調を出し頭をかいた。
そんなに重くないと思ったんだけどな。
奥に二つ個室っぽい間取りの部屋があってそのひとつに足を向ける。
あらら、確かに、かなぁ?
黒いものがみえる。
それが揺らめき、近付く。
一応言霊で軽く結界をはって俺は中に入った。
「お待たせしました、で、あってますか?佐々木さんですかね?」
「はい、そうです…百々瀬さん、ですか?」
目の前の30代女性の長い黒髪が揺れる。
顔をあげる彼女の顔は黒い。
ああ、でもヤバイもんじゃないな。
大丈夫。
彼女の質問に頷き目の前の椅子に腰掛けると、俺はカウンターに顔がみえるように身体を傾けるとコーヒーをひとつ頼んだ。
俺が呼ぶってことは大丈夫だということだからかハジメは少しホッとしたように笑った。
ヤバイもん呼んじゃっても絶対護るし護る為のもんはここには色々置かせてもらってるけどそれでもハジメにはどうヤバイのかとかそれがどのくらいのものなのかわからないから怖いのだ。
ある一定以上のものはなにであろうがみんな怖い。
まぁ一般的な感覚だ。
「それでご依頼は?」
わかっちゃいるけど一応きく。
ヒアリングは大切だ。
「憑かれてると思うんです。よくないことがたくさん起きるんです。嫌なことばかり…。会社勤めもうまくいかないし、こないだは彼氏にフラれました。その前は軽い事故に遭って首を痛めて通院してます。それに隣に越してきた人が夜遅くまでうるさくて寝れなくて…それでまた会社でぼーっとしちゃってミスしました。なんだか誰とも話ができないんです。まともに私の話を聞いてくれない。こんな悪いことばかりおかしい…!」
最初はぽそりぽそりと話していた彼女がだんだんとまくし立てるように早口になる。
しかしその声は小声だ。
蚊の鳴くような声で溢れる気持ちを表現する。
まぁだいたい決まりだな。
「なるほど、わかりました。えーとまず憑き物とります。で、一応触らないのですがあなたの背に立って首から腰までなぞります。触りはしません。形にそうように触れないように手をなぞらせます。それから足首かな。これは触らせてもらいます。いいですかね?」
「はい、お願いします」
「万一俺に足首以外を触られたと思って不快に感じたら声をあげてください。ここは個室ではないから店員にきちんと声がきこえます」
相手は女性だからな。
こういうのは大事。
俺、性犯罪とか言われたくない。
あんな可愛い奥さんも子どももいるのに。
ふーっと息を吐いて相手の後ろに立つ。
手に氣を集めてまず首から肩を触れない距離でなぞる。
息を吐きながら氣を流す。
次は背中、そして腰。
そこまでいったら次は膝をついて足首を触らせてもらう。
依頼人パンツスタイルでよかった。ミニスカートだったらハジメに毛布を借りなくちゃならない。
俺はみたくない。
足首から地の氣をいれる。
地から天に氣が流れるようにしてそれを段々大きくしていく。
よしよし流れてきた。
あとは…
「目触らせてもらいますね、とじてもらって大丈夫ですか?」
「はい」
すっと目を閉じた彼女の瞼の上に俺の手をそっと置いて呪いを唱えた。
「つくつくつくつくつきもの落とし。お前は俺で俺はお前。かえれ」
五芒星を切って彼女から離れ席につく。
ちょうどよくハジメがコーヒーを2つ持ってきてくれた。
「どうですか?」
「はい、すごくなんていうか目の前が明るいです」
「そうですか、それはよかった。ところでね、憑き物の種類なんですけどね」
「はい」
「憑いてたのはあなたでしたよ」
「はい?」
彼女はよくわからないという顔をする。
まぁそうだろう。
憑き物といえば霊だ。
しかし霊に憑かれてる人間なんて正直そんなにいない。
「まぁこれを憑き物といっていいのかどうか俺もよくわからないんですがね、まぁ憑き物かな。自分のネガティヴな気がまとわりついてそれが呼び水になって不運を呼んでるんですよ。心当たりありませんか?」
「ありません!私は一生懸命頑張ってるのにまわりが認めてくれないんです!」
「うん、わかりますよ。辛いですよね。あなた頑張ってますもん。でも、みんなわかってくれないというのはね、当たり前なんですよ。あなたが頑張ってることちゃんと伝えなきゃ。伝えなくてももしかしたら伝わってるのかもしれない。でも伝えたらきっと何か変わりますよ。あなたのその頑張るところは美徳なのだと思いますよ。でももう少し息を吐いてみて。今呼吸楽でしょう?いつも息しづらいでしょう?」
「ハイ…」
彼女は涙をためて机の下で握り拳を握ったようだ。肩に力が入ってる。
真面目なんだろうなぁ。
わかるよ。
俺もそうだもの。
彼女の気持ちわかる。
「息吐いて。深呼吸して。そしてまわりに頼ってください。あなたの言う嫌なことはあなたのこんなに頑張ってるのにどうしてわかってくれないの?という気持ちが大好物なんです。わかって欲しいならちゃんと言って。吐き出して」
「無理です…」
「気持ちわからんでもないですけど世界は意外と優しいですよ」
俺も昔は敵ばかりだった。だから、わかる。
でもまわりを敵にするっていいことない。
今みたいに自分の気で参ってしまうこともあるし疲れる。
疲れていると本当に憑かれてしまうこともあるし。
まぁでもこれ以上は野暮だ。
「ま、とにかく、今回はあなたの氣を綺麗にしました。目の前が明るくなったようで何よりです。願はくばあなたがそのまま明るくいられたらいいなと思って余計な口を出しました」
俺はコーヒーに口をつける。
深煎りの薫りのいいコーヒーだ。うまい。
「いえ、ありがとうございました。なんとなく…わかります。頑張りすぎてるのも…でも手放し方がわからなくて…」
「それは人によって違いますよ。助けてっていってみることだったり、頑張りを認められたいだったり、何もしないことだったり、お休みが必要な人は現代社会人に多いですね」
「ん、はい…。そうですね…そういえば休んでない。休みたいかも…。認めたくなかっただけで私疲れてたんですね。だからさっきまで視界が暗かったんだ。気付けなかったけど。今視界が明るくなったから視界が暗かったんだって気付けました」
「うんうん、よかったですね。暗くなってもいいんですけど暗くなりすぎないように、ね。ご依頼ありがとうございます」
「はい」
そういうと依頼人は封筒を差し出した。
祓代だ。
俺は念の為中身を確認する。
うん、あってる。
「では、ありがとうございます。よき日々をお過ごしください」
「はい、ありがとうございました」
コーヒーを飲み干すと彼女は席を立った。
ふわりと笑って出ていく彼女の顔をみて30代かと思ったが20代だったのかもしれないと思った。
氣で顔って変わるよなぁ。
ふぅと息をつきながら俺はゆっくりコーヒーを口に含んだ。
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