参(4)
奥の部屋の襖が開けられる。
そこは座敷で布団の上に座る着流し姿の男性の老人がいた。
禍々しく黒いオーラを纏っている。
俺がじっとその老人をみる横で
麻井はスリッパを脱ぎ中に入ってにっこりと笑い
布団の横に座ってその老人に話しかける。
「遠藤さん、こんにちはー。先日お逢いしましたよね、市役所の麻井です。お加減どうですか?」
その老人はしゃがれ声で表情を変えることなく答える。
「こんにちは、麻井さん。いい気分ですよ」
と。
社交的でともすればにこりとでも笑いそうな台詞なのにその老人の表情は変わらない。
そこがまた不気味だ。
「これ、ちょっと今見習い連れて歩いててー、挨拶しろよ」
麻井が俺をみる。
俺は慌ててスリッパを脱ぎ麻井の隣に座った。
「こんにちは、部署が変わったばかりで慣れなくてすみません。鹿島です」
もちろん偽名だ。
本名を言うと俺が何者かバレてしまう。
市役所職員が俺みたいなのを連れてきたというのは見聞がよくないからだ。
「鹿島さん、こんにちは」
本当に声色は笑いかけそうな雰囲気なのに表情が動かない。
麻井が不気味だというのはこれだな。
たしかに動いている。
その後麻井が当たり障りのない話をしても返事もする。
多分俺の眼でなければこの黒くおどろおどろしいオーラはみえない。
至って普通の人間にみえる。
ただ確かに
感情が抜け落ちているような。
そんな印象だ。
当たり前だがこんなのみたことがない。
ふと思い立って話しかけてみる。
「遠藤さんってお名前なんて仰るんですか?」
「な、まえ…」
「下のお名前ですよ。僕古風な名前で善五郎っていうんですけど」
「素敵なお名前ですね」
「ハイ、で遠藤さんのお名前は?」
「な、ま、え…名前なまえナマエなまえ名前ナマエナマエェェェェェエエエエエエエエエエ」
急に老人が発狂したように
ナマエなまえと繰り返し叫ぶ。
麻井をみると笑顔ではあるが
やってしまったかー
という顔をしている。
ということは
この反応は初めてじゃないな?
家人もはらはらとした顔をして老人と俺を交互にみる。
俺は立ち上がってその肩を掴みにこりと笑った。
「遠藤さん、今日はいい天気ですね」
俺がそういうとピタリと叫び声が止まる。
そしてにこりともしないがにこりと微笑みそうな声で
「そうですね」
と言った。
なるほど。
個人情報は引き出せないんだな。
身体は動くが感情がないように感じる。
返事はするが自分から自発的に話すことはない。
俺は麻井の脇腹を小さく小突く。
それで察して麻井はにこりと笑って家人の方を向いた。
「すいません、新人にきちんと言っておかなくて。また寄せてもらいますね。遠藤さんもわかったことや気付いたことがあったらまた市役所の僕の方まで連絡ください。本日もお時間頂いてありがとうございます」
「いえ…こちらこそ気にかけて頂きありがとうございます」
家人がそう言って玄関まで足を運ぶ。
俺たちはその後を歩く。
靴を履きお邪魔しました、お見送りはここで結構です。と玄関の戸を閉めて
俺は眼を合わさずに麻井に
「30分後ハジメのとこで。俺ちょっとまわってくる」
とだけ伝えて
家の門をくぐり敷地外に出て
ハジメの店とは反対方向に足早に去った。
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