弐(7)
辛いとも気づかなかったけれども。
独りでいるときに孤独には気づかない。
ひとりでなくなって初めてあれが辛かったと感じるのだ。
大体の不幸はそうだ。
麻痺するのだ。
じんわりと。
そう、例えば話すこともできずにそのまま溜め込んでいけば、それはその人の事実にならない。
ヒトに話して初めて自分の事実を明らかにするのだ。
だからヒトは相談するのだ。
己を明らかにするために。
そうして認識して初めてそこから脱することができる。
だから話を聞くというのは大切なことなのだ。
「八重はどうしたらいいと思う?」
「・・・うちのお父さんは悪くないよ、優しいよって言ってみる」
「うん、ありがとう。またお話ししてくれる?」
こくりとうなずく娘の頭を撫でた。
この子はこの子なりに考えてこの子なりの答えをこれからも出していくだろう。
俺の経験からするとそんな奴はほっときなさいと言いたくなる。
でも体験してみないとわからないものな。
「八重、大好きだよ。優しいと思ってくれてて嬉しいよ。ありがとう」
八重は瞳をうるませたままにこっと笑った。
「のどかわいたからごはんの部屋行くね」
「うん、俺も少ししたら行くよ」
書斎から出る娘の後ろ姿を見ながら俺は息をついた。
俺の孤独は
たまたま
俺を面白いとあいつが思ったから
終わった。
でなければ
ハジメと友人になることもなかっただろうし
俺は粛々と仕事をこなすだけのつまらない人生を送っていただろう。
もちろん家のことがあるから家族は持っただろうが、こんなに関心を持てたか定かではない。
悪い状況の改善には二つの解決の仕方があって
一つが己で頑張ることと
もう一つは他人に手を差し伸べられるということだ。
が
後者は俺は奇跡に等しいと思う。
辛いと理解できていて
周りを頼れるのならば
それは容易に訪れる。
が、それはやはり自分の努力があってこそだ。
気づき行動するということ。
それが他者を頼るということでも、自分が行動を起こしたからこそ他人に手を差し伸べてもらえるのだ。
何も言わずにたまたま誰かが手を差し伸べてくれるなどという奇跡はほとんど起こらない。
第一に問題だと思っていないのだ。
救われるも何もない。
どう状況から脱したら救われるかという定義がないのだから。
俺があの頃のことを救われたと思うのは
俺が今違う視点に立っていて幸せだからだ。
そんな幸せをくれたあいつを鬼にしたのは俺だけれども。
椿。
嫌な事件の裏にあいつの手引きがあることがある。
あいつはヒトの呪いを代行したり
むしろ依頼などなくても呪いをまき散らすような
そんな組織のトップになってしまった。
俺のせいで。
俺があいつといられなかったせいで
周りにヒトは多かったけれど
真に孤独だったあいつを
更に孤独にしたのは俺だ。
孤独は周りにヒトがいるかどうかだけで決まるんじゃない。
周りを信じられるかどうかで決まるのだ。
信じられないヒトがどれほどいてもそれは孤独だ。
深い悲しみだ。
俺はそれを知っている。
俺の救いの主は
もはや
『鬼』
だ。
自分の悲しみを他者にまき散らし周りを不幸に貶めていく。
そんな鬼をどうにかしたいと思っているが
今のところどうにもできていないというのが現状だ。
俺の知らない間に組織がでかくなりすぎていて
あいつに遭遇することがない。
逢いたいな。
でも逢ってどうしたらいいのかわからない。
俺だってな
ほんとはな
あいつとまた仲良くなりたいよ。
(きっとそれは悠久の時を経ても無理だろうけれども)
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