第一章12 『憧れた世界は……』
――人がいない、ただそれだけのはずなのですが……なんとも不気味です。
トラックから降り周囲を警戒しながら、梓はそんなことを思った。
駅の前を通る大きな道路には車が点在している。それも均等にではなく疎らに。すぐ近くのカフェテリアには、食べ掛けのサンドウィッチと暖かいコーヒーが、誰も座っていないテーブルの上に置かれている。まるで時が止まったようだ。そんな品川駅から聞こえる爆発や破壊の音は、逆に安心感を覚えてしまう。
「相手は複数体で固まって一人を狙って動いています。決して一人にならず、私たちも集団で――」
「よーし!茜が一番乗りだー!」
「あっ、待ちなさい茜!単独行動はいけません!」
トラックを降りるや否や、茜は駅に向かって走り出した。制止を呼び掛ける梓の声も虚しく、そのまま駅の中へと消えていった。それを機に、渚と小百合も駅に向かって歩き出した。
「二人も待ってください!相手は魔獣、単独行動は危険です」
「心配することありませんわ、私は貴女達と違って天才ですの。どんな魔獣でも負けはしませんわ」
「集団行動って苦手なのよ、邪魔でしかないし。一人の方がやりやすいわ」
爆音と破壊音が響く中、渚と小百合も駅の中へと入っていった。梓はこんこんと湧き起こる怒りを抑えながら、長い溜息を吐く。
「大丈夫〜梓ちゃん?」
「……はい、行ってしまったものは仕方ありません。六人だけではありますが、なるべく離れず、くっつい行きましょう」
「あ、あの……」
「ん?」
蚊のような小さな声に気がつき、陽和がそちらを向くと、仔鹿のようにビクビクとしている天音が小さく手を挙げていた。
「どうしたの天音ちゃん?」
「え、えっと……ぜ、全員背中を合わせて進めば、死角がなくなって、どこから来るかわかると、思います……」
「あーなるほど!梓ちゃーん!天音ちゃんがね、全員で背中を合わせて進んだらどうですかって!」
大きな声で自分の意見を伝えられたのが恥ずかしかった天音は、真っ赤になりながら俯いた。それを聞いていた梓は、天音に向かって優しく微笑んだ。
「そうですね、それでいきましょう」
「だって!」
「あ、ありがとう、ございます……」
天音の案の元、六人は背中合わせになり、梓を先頭に品川駅へと入っていった。電気の点いた無人の駅内は、あちらこちらに爪痕のような傷や弾痕がいくつも残っていた。
「随分荒れてるね……」
「ここは戦場です、当然でしょう」
「こういうところを見ると――お掃除したくなりますね」
「えええっ!?こ、こんなところで、ですか?」
「流石はメイドさん……」
「いえ、関係ないと思いますが」
「それにしても、第四小隊の人たちはどこにいるんだろう」
陽和が人影を探しながらそんなことを呟いた。
その時だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
何処からともなく男性の悲鳴が、駅構内を駆け巡った。その声に驚いて、全員が立ち止まり辺りを見渡した。額から冷や汗が流れるのを感じながら、早まる鼓動を抑える。
「な、なんでしょう今の……?」
「もしかして、第四小隊の……」
「――行きましょう」
強い緊張感に晒されながら、慎重に置くへと進んでいく。
しばらくして白い鉄の骨組みのようなトンネルに差し掛かった。今まで電気が点いていた駅構内とは違い、この通路から明かりが消えている。まるで怪物の口を覗いているように錯覚してしまう。その中へ入っていく足が徐々に重くなっていく。
長い通路を抜けると、改札が並ぶ薄暗いホールが現れた。そこにも戦闘の跡が残っていたが、残っているのはそれだけじゃなかった。
「なん、ですか、これ……」
辺り一面にできた血溜まり。そこに沈む軍服を着た男性や女性、そしてハイエナのような生物。白いはずの改札口が、赤く染まっていた。
「嘘……」
「全員、死んで……ッ!」
「きゃああああああああああああ!!」
陽和と梓は顔を強張らせ、芽衣は悲鳴を上げて座り込んだ。糸が切れた人形のように麻耶はその場でへたり込み、緊張と恐怖がピークに達して泣き出す天音を、真樹は涙を堪えて震えながらも慰める。
もう、一歩も進むことができない。
「いや……もう、いや……」
「か、帰りたい、帰りたいよ……」
「だ、大丈夫、落ち着いて……?」
「まずいです、このままでは……」
「あ、梓ちゃん、あれ……」
陽和の声に梓は振り向く。
改札の間を通って出てきたのは、ハイエナのような生物が三体。赤黒く光る目がこちらをじっと見ていた。全身から嫌な汗が流れるのを実感しながら、もう一度自分たちの状況を確認する。芽衣と天音と麻耶は動けず、慰めている真樹はまだ気づいていない。今この瞬間、あの三体に襲われた時、動けるのは自分と陽和のみ。明らかに絶望的だ。
『――逃げましょう』
「え?」
陽和の頭の中に梓の声が聞こえてきた。シュテルンを通しての念話無線だ。梓は杖を構えて魔獣たちを警戒しながら、話を続けた。
『このままでは、私たちは全滅します。茜たちがどうなっているかはわかりませんし、あまり想像はしたくはありませんが……』
『でもどうするの?この状況じゃ芽衣ちゃんたちは――』
『私が時間を稼ぎます、その内に冷泉さんと一緒に三人を引っ張っていってください』
『そんな!それじゃあ梓ちゃんが』
『今あの魔獣に気づいているのは私とあなただけなのです!どちらかがやらなければ、私たちもあの魔導士たちのように……』
ホールに転がる兵士たちに陽和は意識を向ける。自分やここにいる誰かが同じようになると考えるだけでも吐き気する。そして実感する、魔導士になるということの重みを。死が明確に目に見える状況、絶望としかいえない瞬間に、あの時の情景が重なろうとしていた。
――あの時、私は死ぬんだと思ってた。怖くて動けないまま、あの魔獣に殺されるんだと。
陽和の脳裏に映るのは、あの日出会った魔導士の姿。あの姿に憧れて、彼女はここまで来た。だが、目の前に広がるのは、それを否定するような地獄。
――あんな風になるのは簡単じゃない。それくらいのことはわかってる。今の私じゃ手の届かないところに、あの人がいることも。
憧れだけでは生きてはいけない世界。それを陽和は胸に深く刻み込んだ。
その上で、
だからこそ、
――今の私にできることから始めればいい!あの人みたいになるためには、まずそれが一番なんだ!
気づいた時にはもう、陽和は魔獣に向かって駆け出していた。獲物を探す狩人たちは、無謀にもこちらに迫る小さな餌に狙いをつける。
「陽和!!」
必死に叫んだ梓は一瞥した陽和と目が合った。たったそれだけで、梓は陽和の意思を理解した。無線なんて使わなくても伝わった。伝わってしまったことがどうしようもなく嫌だった。
――みんなをよろしくね。
「どうして、どうしてこうーー私の言うことを聞いてくれないんですか!」
陽和の背中に向かって梓は泣き叫んだ。
そして、流れ出す涙を抑えることなく、芽衣と麻耶の体を引き上げた。
「冷泉さん、天音のことは任せましたよ!」
梓は二人の体を支えながら、できるだけ早く走った。とにかく遠くへ、逸早く外へ、もう一度ここへ戻ってくるために。