第九十九話 月に眠る
この話で物語の約三分の一が終わります。書くのが遅いとは思っていたのですが、一年かかるとは…。もしよければ、ここまでの感想・評価を書いて頂ければ幸いです。今後の参考になります。どうぞ、これからもよろしくお願いします。
どこで間違えたのだろうか?距離があっても本部まで連れて来て治療を受けさせるべきだったのか?それとも、命令を無視してステージ付近に待機すべきだったのか?いや、力ずくででもライブを中止させるべきだったんだろうか?
『先輩…。』
「…。」
止まった歩を再び進めてバンの前を無言で通り過ぎた。周りを気にする余裕なんてなかった。ただ歩くだけで精一杯だった。
ターシェが死んだ。
あんなに生きる意欲に満ちていたのに…。犠牲になった連中のために生きると決意したばかりなのに…。人はこんなにも呆気なくていいのか?
冷徹な音が広がる中で何度も呼びかけた。起きてくれ、と。何度も、何度も…。
微動だにしない体。段々と蝕んでいく冷たさで、受け入れざるをおえなかった。
ターシェの母親と連絡が着いたのは一時間ほど後の話だ。母親も忙しい身であったため、ライブには同行せずに国に残っていたために遅れた。説明を聞いても信じられなかったようだが、ターシェの眠っているような姿を見て、やっと現実だと受け止めたようで、泣き崩れてしまった。
『ジェイク君ね?ターシェを…月まで連れて来てくれる?』
「…はい。」
たったそれだけしか言えなかった。謝って許されるようなものじゃないが、その謝罪の言葉さえいえなかった。無力さを噛み締めるしかなかった。
月の中には何億という数の遺体が眠っている。月に到達して、天候管理以外の機能として最初に見つかったもんだ。カプセルの中に入れられた、昔の人間たちの遺体が完璧な姿で保管されて、歴史なんかに新しく付け足されたり、ある程度調べがつくと、現代の墓地としても使用されるようになった。金はかかるが、反重力が出来てからは月へ行きやすくなり、増えている。
俺も毎年月へ行く。任務に失敗して亡くなった人と、兄貴に会いにな。話かけたら返事を返してくれそうなくらい完璧な姿。だから、よく相談している。仕事の事とか、レインたちのこととか−。
病院から専用の車へと乗る。救急車より一回り大きい車。送月車なんて呼ばれるようになったのは結構最近の話。全体は黒く塗装され、エメラルドグリーンの月が描かれている。三時間もすれば着いてしまう。何も考えられなかった俺にとって、その時間は一瞬ですらなかった。
着いた場所は冷たい鋼鉄で造られた車庫。送月車が他に何台か並んでいた。そこを出てすぐの待合室には既にターシェの母親が待っていた。ターシェと同じ碧い髪。やっぱり十何年も経っているから、老いは隠せないが、昔の印象と同じ、優しそうな綺麗な姿だった。泣き続けたんだろう、目元が赤く腫れていたし、声も少しかれているようだった。
『あなたとの再会がこんな形になってしまうなんて…本当に残念だわ。』
「…お嬢さんを守れず、本当に申しわ−」
言い終わる前に、ハグをされた。俯いていたから、近づいて来ることさえ気づけなかった。
『あなたの所為じゃないわ。自分を責めないで。』
言葉を遮られ、言われたのはまさに俺がターシェに言った事と同じだった。
−自分を責める暇があるなら、死者を弔え。嘆く暇があるなら前を向け。−
夢から覚めたみたいに、やっと意識がはっきりとした。まさか、あの言葉が自分に宛てたものになるなんてな。ターシェに言い聞かせといて、自分は出来ないだなんて最低だ。模範を示さないとな。
表情に出たのか、彼女は少し笑顔を作り、言葉を続けた。
『それで…あの娘のライブはどうだった?』
後半は少し鼻声になりながら、目に涙を浮かべながら、尋ねられた。答える言葉は決まっていた。
「本当に最高でした。」
その言葉が引き金になって、彼女の我慢していた涙が溢れてきた。
もう一度ハグをした。俺も耐えられなくなったから。同じようにターシェを失った悲しみを分かち合えたから…。
ターシェはただ眠っているだけのようだった。化粧をされ、綺麗な白いドレスを纏い、ステージの上で歌っていたあの姿に近い格好で棺というカプセルに入った。
その様を見ながら心の中で誓った。
憎しみなしの決意。
あの“犬”を取っ捕まる。
だから、ここで待っててくれ。ここからなら捕まえるその瞬間も見えるから。