第八十八話 命
やっぱり屋上だった。エレベーターが着いて、扉が開くと、暗い小さな部屋があって、その奥にまたドアがあった。金属で出来てて、少し重かったけど、それでも押し開けた。
外は…明るかった。眩しいって言うほどじゃなかったけど、はっきりとそこにいる人はわかった。手摺りの一部だけ空いたところの手前に足を組んで座ってた。背中を見ただけでもわかる。血がついてる部分が色が変わってるから…。痛そう。
『よくわかったな。』
顔は向こうを向いたまま話しかけてきた。なんて声をかけようか少し迷ってたからちょうどよかった。
「うん。血が付いてたから。」
『そうか。』
寂しそうに応えた。いつもの大きな体が今はとても小さく見える。傍にいてあげないと。なんとなくだけど、そう感じたんだ。だから、狼さんの隣に座った。視線の先には明るい光で輝いてる街が見える。
「狼さん…ごめんなさい。」
『ん?』
最初に言いたかったこと。それは狼さんへの謝罪の言葉。私が間違っていたから。
「なにも分かってないのにあんなこと言って。」
『…どう感じた?』
言葉に表せるような、はっきりとしたものじゃなかった。命が消える…その瞬間。胸が締め付けられるような…脈が激しくなって、苦しくなった。呆気ないくらい、簡単に死んでしまうのに、残るものはすごく重い。だけど、その残るものがなんなのか、よくわからない。
『…あくまで俺の考えだが、』
全て話しきって、狼さんが続けてくれた。
『“殺す”とは、“命を奪う”ということ。奪うというからには殺した人間の命を貰いうけるわけだ。命とはその人間の全て。記憶や想い−あらゆるものだ。だが、生きている人は既に自分の命を持っている。到底持ちきれるものじゃない。奪った命は負担となってのしかかる。それが罪であり、罰なのだと。』
そんな風に思ったことなかった。ううん、私はずっと与えられた知識を詰め込んでただけ。狼さんはすごいなぁ。
『これは直接見なければ見当さえもつけられないものだ。お前はあの場所にいたから、その片鱗を目にし、その“重さ”に恐れを抱いたんだ。…それで当然なんだ。』
やっぱり私が間違えてたんだって、改めて思った。人は戦争ばかりしている、ろくでもない連中だって、だから、人の命を奪うってことは全然悪いことじゃないって、ただそう教えられたからそうなんだと思ってた。自分じゃ何にも考えてなかった。
「私…シンに連れだしてもらってよかった。やっぱり、外に触れられてよかった。」
ふと、いつもと違う呼び方になっていた。向こうも気付いたみたいで、少し驚いていた。
『…あんなものを見たのにか?』
「だから余計にだよ。他の人と関わってこそわかるものなんだもの。あの中にいたらずっと間違ったままだと思う。」
そういう私を見て、シンは少し微笑んでいるみたいだった。
『そうか…。』
だけど、悲しみを含んでいるようにも見えた顔を見て、今になって疑問に思った。
「でも…なんで、こんなに辛いことをしようと思ったの?」
トーイッシュに追い出されてからずっと気になってた。なんでそんなに命の重さが分かってるのに、一体どうしてなんだろう。シンは少し目を細め、月を見上げた。何か考えてるみたいに。辛そうな顔をしながら、私に言った。
『…少し俺の話をしよう。』