第八十話 払い落とし
正直なんでバンがそんな風に叫んだのかなんてわからなかった。それでも、しっかりとしたその声は十分信用する価値があった。俺はすぐに両手でターシェを抱いて、助手席とドアの角に体重をかけた。
奴もバンの叫び声を聞いて車の前に振り向いた。仮面してっから表情なんて読み取れないぜ?でも、奴はすぐに訳がわかったみたいだった。なにせあんなにしぶとかったのに、呆気ないくらいパッと姿を消したんだから。今の状況においてかれちまってどうなってんのかわからなかったが、言うまでもなく、次の瞬間にはわかったよ。
“ガガガガガ…。”
すんげぇ振動に喧しい音。俺にとっては反対側にあたる向かいの窓にはコンクリの灰色しか見えない。つまり、思いっきり壁にすりながら走ってんだ。そりゃまぁ離れなけりゃ潰れちまうわな。
壁から離れ、揺れがおさまった。すぐに後部座席後ろの窓から奴を見た。
−
こうも対応が早いとは思わなかった。仕留め損ねるとも…。
運転手を先に仕留めるべきだったのか?…いや、それでは車体の制御がきかず、その後どう動くかわからなくなってしまい、肝心の彼女が仕留められるかわからなくなってしまう。だからこそ直接狙った。躊躇などせずに、だ…。
それでもしくじった。どうやらあの男とはなにか縁でもあるようだ。前回は逃げる際に、今回は完全に妨害された。
奴と目が合った。あの時−俺が一撃もらった時と同じ、恐れはあったがしっかりとした目だった。当然だな。ここまで動けるのだから、かなりの覚悟ができている。そんな目だった。
あの篭手をつけたままでいたから、窓を貫き、そのまま狙った。金色だったその篭手も、血を浴び、赤黒く染まっていた。血を燃やせるのは指の先端−爪の部分のみであるので、どうしても残ってしまう。
かすりさえすれば全て終わっていた。彼女も。もちろん奴も。
だが、二人とも無事だった。完全にかわされた。予想だにしていなかったためか、銃を向けられる様に反応できなかった。
仮面の耐久性に救われた。とはいえ、かなりの衝撃に一瞬もっていかれるところだった。視界が歪み、車体に突き刺した左手に助けられてなんとか落ちない、そんな状態だった。
歪む視界の中、なんとか奴を確認したまさにその瞬間、前から声が聞こえた。身を隠せ、と。車体の進路を見ると、冷たい色の壁が近づいてくる。直ぐさま車から腕を抜き、飛びのいた。
両足で着地するも撃たれた足がとうとう悲鳴をあげ、その場で足をついてしまった。…全く力が入らない。遠ざかる車をただ見ているしかなかった。
こうなってしまえばもう追いつけない。動けないのだから。…失敗か…。消されるのだろうな。それも…いいか…。
−
もう…追ってこねぇよな。地面にうずくまって動く様子はない。助かったか…。
小さくなっていく黒い塊を見て肩の力が抜けた。その時だ。
『…苦しい…。』
突然腕の中から声がしたもんだから跳ねのいた。さっきからずっと抱いたままだったのすっかり忘れてた。
ターシェの意識が戻った。