第七十五話 傷ついた天使
時間の流れが急に遅くなった。
紅い翼が地を飛び立とうと羽ばたいた。ゆっくりと…。天使がもつには異様なそれを大きく広げて。
嘘だ。これは…違う。目の前の光景を俺は認められなかった。
ターシェが…斬られた?背から…血が…。
だが、あの量は深くない。まだ、助かる。斬られ倒れこんでくるターシェを見て、現実へと引き戻され、すぐに支えた。
「ターシェ!」
返事がない。気を失ったようだ。
「しっかりしろ!目を覚ませ!」
冷静になんていられなかった。観客が悲鳴をあげながら逃げ惑うのも、血を吸いたりない化け物が近付いてくるのも、気が付かなかった。
“バーン!”
突然響いた銃声にやっと反応して、振り返った。
バンが観客席から銃を構えこちらを向いている。化け物は−さっきの銃声を聞いてか、後ろに下がっている。
『先輩、早くこっちに!』
そうだ、早くターシェを連れ出さないと。ターシェを抱え上げ、バンの方へと走り出した。
−
狼さんが斬った人。あの人には好きな人がいたみたいなのに、もう会えないから。好き、っていう気持ちがよく分からないからかな?可愛いそうだと思ったけど、それ以上はあまり感じなかった。
それより、トーイッシュの方が恐かった。いつもの明るい感じが消えて、声も低くなってる。
『あの役立たず。何考えてる。』
そういってパソコンを操作してる。こんなトーイッシュを見たのは初めてだから少し恐かった。
狼さんの方は逃げて行く歌手さんたちの後を追って行こうとしてる。だけど他の敵が近付いて来てる。足止めを受けそう。
歌手さんの方は抱えられてとあんまりよくは見えないけど、よくないと思う。力無く腕が垂れて、青く長い髪は血の紅が混じり、切られて短くなってる。でも、狼さんはあの人を殺さないといけないんだから、失敗しちゃったんだよね…。だから、トーイッシュも怒ってるんだよね…。
『…セフィリア、ちょっと行くとこできたんだぁ。ここでるよぉ。』
さっきまでカタカタパソコン触っていたのに、閉じてもうカバンを背負ってた。早いよ。私もすぐにカバンをとった。
−
殺すつもりだった。真っ二つにするつもりはなかったが、少なくとも致命傷を与えるつもりだった。だが、何故だ?どうして腕を引いた?なぜ、浅く斬るような事を?
すぐに斬りかかろうとしたが、銃弾に阻まれ進めなかった。後に下がり体勢を立て直して再度かかろうとするも、他のガードが近寄ってきた。囲まれている。
『止まれ!隊長だけではなく、ターシェ様まで!許さない!』
ああ、さすがに気付いたか。それよりも早く追っていかないと…。だが、周りを囲まれている以上、逃げ切るのは難しい。殺るしかないか…。
−それにまだ殺しの恐ろしさを教えていない−
−
囲まれちゃってる。大丈夫かな、狼さん…。
『おーい、早く行くよぉ。』
トーイッシュがもう扉のところまで行ってた。ちょっと、早過ぎだよ!
急いで駆け上がって行った。だけど、
『ぎぃやぁぁぁぁぁっ!』
私はここで命を奪う人の背負う罪を知ることになった。今でも脳裏に焼け付いている記憶を。