第七十三話 -AS- 袖裏
ステージ横に着いたが、さっきから歌姫は黙り込んでいる。
「…大丈夫か?」
しっかり役目を果たしてもらえないとな。
俯いていた頭をあげ、しっかりとした目でこちらを向いた。
『…少し考えてただけ、大丈夫。それより聞きたいことがあるんだけど。』
「何だ?」
『ハック…いえ、あなたが代役になってくれてるけど、本当の役者はどうしたの?』
「言わなくてもわかっているだろ。」
『そう…。もういないのね…。』
そう言って彼女は再び下を向いた。わかっていたが聞かずにはいられなかったというところか…。
隊長を殺した後、一時的に無線を切った。完全に切ってしまうと、途中で気付かれる可能性が大きいから、あくまで一時的にだ。歌姫の部屋へ行く前に、側近である隣部屋の人間を始末した。この衣装ならば、顔が見えなくても怪しまれない。お陰で事がすみやすかった。そして、彼女を連れだした後で無線をいれさせた。もう助けを呼ぶ危険性はないようだから…。
『…どうして別れを言う時間をくれるの?』
俯いたまま悲しい声で尋ねてくる。
「これから死ぬ人間には応える意味はない。…いらないならすぐに殺してやるぞ。」
そんなつもりは毛頭ない。だが、情けだと考えられたくはない。そんなものは捨て去ったのだから…。生かしておくのはあの娘の目に命の消える瞬間を焼き付けるためだ。
『…いえ、すごく嬉しかったから。』
嬉しい…か。そう言っているようには聞こえないなぁ。
確かに酷なことをしているな。別れが言える、ということはつまり、死を先延ばしにするということである。死という未来を受け入れ、ただ別れを言うためだけに生き延びている。それは死刑囚が極刑を受けるまでの順番待ちのような。長ければそれだけ死への恐怖が大きくなる。
…止めよう。殺す相手のことを考えるのは…。今までだってそうしてきたんだ。
ただ、せめて、死に様は綺麗にしてやろう。
−
さっきまでと違い、すごく冷静になれている。死んでしまうなら、もう嘘がバレる心配なんてしなくていい。ただ思いっきり歌おう。
ハックが死んだと聞いたときは辛かった。私のせいで命を断たれたんだもの。それに、きっと他にもいるんだ。…どうしようもない悲しみがのしかかってくる。
別れを言えるのは嬉しい反面、心が痛かった。私のせいで巻き込まれて死んでしまったみんなには、そんな時間なんてなかったはずなのに、当の私にはあるだなんて…。
それでも、別れは言おう。こんな気持ちを明かさずに消えてしまいたくない。みんなには悪いけど、伝えるって決めたから。
『ターシェさん、ハックさん、スタンバイオッケーです。』
行こう。最後の舞台に。