第七十二話 -AS- 夢への翼
“バシッ…バシッ…。”
人に物が当たる音が響く。始めてから結構な時間が経つ。その間、球を準備している時以外ずっとこの音が響いている。…つまり、ジェイクは休まず球を受け続けてる。まだ一つもしっかり受け止めれてはいない。きっとアザだらけだ。
『一度休憩をはさもう。』
お兄さんが休憩をもちだした。すぐには止めようとしなかったみたいで、少し間を空けてこっちに来る足音が聞こえた。
『やっぱりそう簡単にいくもんじゃないな。』
トンっと私の隣にジェイクが腰を下ろした。ボールをあんなに受けて痛いはずなのに、そんなことを微塵も感じさせないくらい明るい声。…すごく罪悪感を覚えた。
「…ごめんなさい。」
『なにが?』
また楽しいみたいに…。余計に心が痛む。
「私があんなこと言ったから、こんな目にあわせて…。」
『何言ってんだよ。いつか俺はこれをできるようになんなくちゃいけないんだよ。それが少し早くなるだけ。ターシェのせいじゃない。』
そうなのかもしれないけど、でも、私には謝ることしかできなかった。
『…それよかさぁ。いまいちコツが掴めないんだよなぁ。なんかないか?』
少しは私も力になれるかもしれない。
「なら…前に連れて行ってあげたよね?音の世界。また、行ってみたらどうかな?」
『音の世界…かぁ。よし、試してみるか。』
そう言うと、ゴクッと何かを飲み、一息ついて再び練習を始めに立ち上がった。
ジェイクが止まり、深呼吸している。きっと集中してるんだ。
音の世界。私は何度も助けてもらってる。車や自転車が来るときは音でしか方向が分からないから。ジェイクも同じ状態なら、きっと役に立ってくれるって思った。
そして、再びボールを放つ音が聞こえた。だけど、そこからはさっきとは違った。ボールが体を打つ音で満ちていたのに、今度はもっと小さく、心に刺さらない音。そう、ジェイクはこの試練を乗り越えたんだ。…少し…怪しんだ。以前からできていたのかもしれないって。あまりにもタイミングがよく、あまりにもありきたりな展開だから。だけど、次の瞬間にはそんな疑いはこれっぽっちも残っていなかった。
『やったぜ!ターシェのお陰だ!やっぱりいてもらってよかった。』
「でも…私何にも…。」
『そんなことねぇよ。だって昨日あれからずっとしてたのに、全っ然できなかったんだから。』
ジェイクは嘘がわかりますい。すぐ声に出ちゃう。きっと顔にも出てるんだと思う。でも、その声はいつもと同じ、優しいジェイクの声だった。嘘なんかじゃないんだ。
『これで証明できたな。目が見えなくったって何にもできない訳じゃない。そして、何にも伝えられない訳じゃないって。』
はっとした。そんな意味もあったなんて…。そうなんだ。私にだってできることがある。私にだって伝えられることがある。…無力じゃないんだ。そう思えたことが嬉しかった。そう思わせてくれるジェイクの心が嬉しかった。
『お、おい。泣くなよ。』
知らないうちに涙が出ていた。我慢できなくて、ジェイクの前で思いっきり泣いた。
…大分落ち着いて私は帰ることにした。ただジェイクに言わないといけないことが残ってた。
「本当にありがとう、ジェイク。お兄さんも。私も頑張ってみる。私にできることを。だから、少し待っててね。」
これがジェイクに言った最後の言葉。本当は私にも夢があった。だけど、無理だと押し殺していた。でも、もう決心した。私だってジェイクみたいに頑張ってみせるって。
その夜、私は母さんに私の夢を話した。悩んでいたことも、友達に勇気を貰えたことも…。
『そう…。優しい子ね。その子に感謝しないといけないわね。あなたがそんな風に言ってくれるんですもの。それに…。』
「うん。私お母さんと一緒に行くよ。」
母さんは舞台女優をしている。こっちの国で公演があるから離婚しても一時的に滞在している。次の公演が近づきそろそろこの国を去ることになってた。だけど、私はついて行くことを拒んでいた。ジェイクみたいに仲良くなれた友達と離れたくなかったから…。でも、私はついて行くことにした。今度会う時は夢を叶えてから、だって。
そこから数日はあの店に行かなかった。きっとジェイクも気になっただろうけど、家には来なかった。
最後の日、ジェイクは来なかった。お兄さんの話だと、部屋に引き込もってるんだって。淋しかったけど、少しほっとした。今あったらどうしたらいいんだろう、って不安だったから。
だんだん離れていく家を見て、少し込み上げたけど涙は流さなかった。強くなるんだ。夢を叶えられるくらいに。