第五十七話 “音”の世界
『あたしね…目が見えないの。でもね、その代わりにみんなが知らない世界を知ってるの。』
雨が降り続ける中、俺はその子と話をしていた。雨の音は大きく、声は小さいのに、消えたりはしなかった。
透き通ってるって感じかな。雑音の中でもその声ははっきりと聞こえた。
「今みたいなのか…。」
『うん。音の世界。』
不思議な奴だなぁ。それが第一印象。武術と遊びしか知らない俺には他の分野を全くと言っていいほど知らなかった。ガキなんてだいたい興味のあること以外知る必要なんてないからな。
「目が見えないのになんでここにいるんだ?」
目が見えない=動けない、そんな図式しか持ってなかった。
『歩いてきたんだよ。』
当然のようにその子は言った。チップには地図を示す機能がある。直接脳に働きかけ、どっちに目的地があるか感覚的に伝えてくれる。とは言ってもそこまで正確な物ではなかったし、そもそも回りに何があるか、といったものまでは分からない。
しかも、目が見えないという状態がどんなものか、俺は知ってた。稽古の中に“心眼”というものがある。気配を感じとるというもんだな。目隠しをつけ、気配だけで組手を行う。
…恐かった。何も見えない状態で闘うんだ。敵がどこにいるか…いや、自分がどこにいるかさえ分からない。
でも、俺の目の前にいる子はいつもその暗闇の中にいるんだ。それなのに外に出歩いてる。そして、雨を楽しむ余裕さえある。…スゲェ、ボキャブラリー無くて悪いな。その時はガキだ。仕方ねぇ。
『何やってるんだ?』
そんな風に彼女と話してた時、兄貴が前を通り、声をかけてきた。
『お前、そろそろ帰らねぇと稽古に間に合わないぞ。』
時計を見てなかったから時間なんて全然…。時計機能もチップには付いてるんだ。メールを読むときと同じ小型の読み取り機で見れる。カバンから出して見てみたらもう五時を指していた。
「うお!やべぇ。」
今日の稽古は六時から。時間的には余裕に見えるよな。だが、俺と兄貴は道場の人間だから少なくとも二十分前には入っとかないとダメなんだ。だから、実質五時四十分がタイムリミット。帰って、着替えやら準備やらしてたらギリギリってとこか。
『帰るの?』
「おう。独りで大丈夫か?」
『…うん。』
「傘は?」
『…ない。でも止んだら帰れるから。』
ドン、と兄貴が肘で俺を突いた。なに?、兄貴が何か言おうとしたのがわかったから、小声でそう返した。
『雨、あと二時間くらいしないと止まないぞ。もう一本有るから渡してやれ。』
そう言って折りたたみ傘を出してきた。流石…用意がいいこって。
片手を立て、ありがとって合図を返した。
「ほら、傘貸してやるから。これで帰れるよな?じゃぁな。」
そう言って、手に傘を持たせてやって、俺は兄貴の傘に入って帰った。
これが最初にターシェに出会ったときだった。