第一四六話 記憶にない事
遅い朝食の後、狼さんはアトリエに下りていった。今日は仕事がないから、ためてしまったのを描きたいんだって。私はただ、わかったって返事しただけだった。後片付けがあったし、もうちょっとテレビを見てたかったんだ。星天祭の番組。知らなかったわけじゃない。あの部屋で教えてもらった事の一つだから。映像もホログラムで見てたから、このテレビより、実感があった。
でも、人はいなかった。
お祭りを楽しむ子供やカップルの姿、きらびやかな露店、花火、どれも映ってなくて、ただ、月が真っ黒なのだけ映ってた。お祭りっていうのは楽しいものだ、そう習ったのに、その映像からはただ物寂しさしか感じなかった。楽しいという感情を間違えてるのかと思ったくらいだった。今は真逆。テレビから聞こえる声は賑やかで、そこにいる人たちの顔はみんなにこやかで、すごく魅力的だ。
ずっと見ていたかったけど、特集の番組が終わって、最近の出来事を読み上げてる。その内容にはあまり興味がわかなかった。事故があったとか、そういうのは被害にあった人は大変だろうな、って思えるけど、会社の社長が代わる、なんてのは私には関係ないんだしね。
テレビのリモコンをいじってたけど、結局見るのをやめて、電源を切った。見ていてもよくわからないのばっかりで、飽きてしまった。狼さんのところに行こうかな、とも思ったんだけど、あまり気が進まなかった。昨日、描いている横で見ていたけど、すごく話しかけにくい雰囲気なので、途中からいって邪魔したくはないし…ね。
イスから立ち上がって、食堂から出て行った。自分の部屋に戻ろうか、と思って足を進んだんだけど、すぐに足が止まった。そうだ、今なら誰もいないんだ。進む先を変えて、部屋とは逆方向に歩きだした。
コンピュータ室。勝手に使うのは悪いかも、とは思ったけど、気になることがあったんだ。少し使うくらいなら、トーイッシュも怒らないと思うし。キーボードの前に座って電源を入れた。少しすると、画面にパスワードの入力待ちになった。パスワードは昨日狼さんが入れてたのを覚えているから、その通りに打ち込んだ。コンピュータはちゃんと動いてくれてる。よかった。
調べたい言葉を打ち込む。インターネットでその言葉を探してみたかったんだ。いくつか項目が見つかって、上から一つ一つ見ていった。関連したないようだったけど、欲しいものじゃない。そのページに表示された項目に目を通し終わって、今度はまた別の言葉を入れてみた。だけど、やっぱり見つからなかった。
仕事の最中、通信機から聞こえたトーイッシュたちの話。私はなんなく答えられた。だけど、私はその事を教えられた記憶がない。“カレン・サラス”と“亜種生産技術”なんて言葉は、私は知らないはずなのに。
変なことばっかりだ。知らないはずなのに、知ってる。あの名前だって。…そうだ。それも調べてみよう。調べていた言葉を消して、違う言葉を叩いた。
”アルセラ・オクスエン”
買い物に行ったときに、思いついた名前。ファミリーネームも思いついてたんだけど、そこまでいらないと思ったから、ファーストネームだけ言ったんだけどね。検索してみると、たくさん出てきた。一番上の項目を選んでみると、同じ名前の人が顔写真と一緒に出ていた。年配の女性検事さん。実在する人だった。他の項目も見て行ったけど、ほとんどこの人の事だった。でも、やっぱり、この人の事を私は知らない。どうしてこんな名前をひらめくのかな。入力した名前を消して、別の名前を入力し始めた。ひらめいた名前。まだ一人分ある。その人の名前もいれてみよう。
”キース・イヴィアン”