第一二五話 三つ首
薄明るい明かりのなかを進んで行く。途中いくつも岐路や上り、下りを経て二十分程走った辺りでバイクを止めた。少し道が凹んでいる場所に止めて、下りるよう促す。
『ここ?』
脱いだヘルメットを手渡しながら尋ねてきた。鍵を抜き、これからさらに歩いていかなければならない方向を向きながら答えた。
「まだ先だ。」
取り出したカードキーを壁のスロットに通し、扉を押す。重さはないが、金属の擦れる高い音が鳴った。錆び付いた階段が下へどこまでも伸びている。実際目的の階はかなり下だ。
「さっきも言ったが、これから行く場所は、今回の潜入用の準備をする。」
階段を下り始めて数段というところで、話しはじめた。今説明するのがベストだからだ。
「俺の姿や名を知ってるのは相棒とお前くらいだ。だから、これから会う奴らの前で“シン”や、“狼さん”なんて呼び方をするな。自分の名もだ。」
正確には組織の一部も俺の事を知ってるんだろうが、今は関係ない。正体に関わることは全てタブーだ。
コツン、コツンという足音が一定の感覚で響く中で、少し大きめの声で彼女が訊いてきた。
『じゃあ、なんて呼べばいいの?』
当然の質問だ。ただ、考えてなかったな。
「ケルベロス、いや…。」
ふと、世間で呼ばれてる名を使う事も浮かんだが、すぐに止めた。バカバカしい。子供が考えたような名前。ふざけているようにしか思えない名で呼ばれたくない。ならば、まだ、
「“狼さん”でいい。」
結局これしかないのか。ろくなものがないな、と思うと、溜め息が出た。その様を見てか、くすくすと足音とともに届いた。
『狼なのに犬なんだ。』
「俺が付けた訳じゃない。」
どうでもいい事ではあるのだが、腹が立ってしまう。不思議なものだ。
『でも、合ってると思うよ?』
この返事はからかっているのだろうか?理由を言うよう促すように、少し視線を横に向けた。
『トーイッシュと私を入れたらちょうど三つ首だよ。』
「イヌ科は俺だけだぞ。」
『まぁ、そうなんだけどね。』
なんてどうでもいい会話なんだか。元に戻そう。
「とにかく、“セフィリア”という名を出すのも駄目だ。偽名を使う。名は−」
何にしようかと考えようとして、少し言葉が途絶えた、その少しの間に、彼女が言葉を挟んだ。
『アルセラがいい。』
あまりにも早く答えた事にも驚いたんだが、理由がわからず、気になった。
「構わないが、どうしてその名なんだ?」
偽名に使う代名詞という訳ではないし、俺は今まで聞いたことがない名だった。何かの学者の名なのだろうか?
『…わからない。おかしいな、忘れる訳ないのに。でも、それがいいの。』
「そうか。」
絶対ではない、という事なのだろう。それでも十分過ぎるほどの記憶力を持っている事には変わらないのだが。
「後少し下りて、窓のある通路を進むと目的地だ。言ったことは守るように、な。」
昔はこのエリアを表していただろう、壁に掛かっている汚れて何の数字かはっきりと読み取れない印を目印に、もう一度忠告した。
昔はこのエリアを表していただろう、壁に掛かっている汚れて何の数字かはっきりと読み取れない印を目印に、もう一度忠告した。