第一〇二話 歯痒さ
−レイン
「お疲れ様。…何か飲む?」
早朝。みんなのお弁当の準備をしていると、玄関から音がした。こんな時間になるのはジェイクしかいないからすぐにわかった。
『ビール注いでくれるか?飲んだら寝るよ。』
居間に入って来た姿を見て気付いた。礼服だ。きっと失敗してしまったんだ。そんな時はお酒を飲んでる。やけになって飲むんじゃなくて、次の仕事に気持ちを切り替えるためにふっ切るようにしてるらしい。その時の顔がどこか辛そうで、見ていて心が痛んだ。
「はい。一緒に何か食べる。」
グラスに冷蔵庫から出した缶ビールを注いで渡した。少し見えた表情は今までよりは目に力があったけど、やっぱり辛そうに見える。
『いや、すぐに行くよ。あいつらにこんなとこ見せたくないからな。』
グラスのビールをさっと喉に流し込んだ。一缶分丸ごと…。
『ごちそうさま。悪いが、もう行くよ。』
グラスを差し出して、私が受け取ると、さっと背を向け二階へと足を進めようとした。
「…あんまり無理しないでね。」
苦しそうな背中を見たら、声をかけずにいられなかった。ただ、こんな事しか言えなかった私が少し歯痒かった。
いつも私たちや周りの事を気にして、自分の事を労ってあげないところがある。多分ジェイクは自分が家にろくにいないから、私たちに苦労をかけてるなんて思ってる。私たちは誰もそんな風に思ってないのに。ジェイクに会えない日はみんな私に聞いてくる。ちゃんと帰って着たのか、怪我はしてなかったか。体を張ってるのを知ってるから、寂しくても部屋まで押しかけたり、文句を言ったりしない。みんなで分担して家事をするのもジェイクに負担がかからないように、ってみんなで決めた事。子供が家事を手伝うのは当然だもの。父親は仕事だけに集中してたらいいのに。
『…心配かけて悪いな。でも、もう大丈夫。』
足を止めて、振り返りながらそう言った。あー、逆に気を遣わせたなぁ。
「なら、いいけど、明後日の事−。」
『そっちの心配か。ちゃんと覚えてるよ。』
少し笑いながら答えた。確かに大丈夫そうだからよかった。
今までに二回くらいこんなことがあったけど、最初はかなりひどかった。
なんとかみんなには隠せてたけど、かなり荒れた。帰ってきたのが深夜だったからよかった。飲み潰れてずっと泣いてた。その人には幼い子供がいた。その子は父親の弟夫婦に引き取られたらしいんだけど、私たちとダブったらしくて、自分のせいで私たちみたいな子を増やしてしまった、って嘆いてた。結局自分がしてることはただの偽善じゃないかって。
あの時叩いた手の痛みをちゃんと覚えてる。初めて人に手をあげたから。弱さを見せるのは仕方ない。ジェイクだって一人の人間だから。だけど、私たちといることやジェイク自身の決断を偽善なんて聞きたくなかった。だから、手が出た。…なんだか懐かしい。たいして時間は経ってないのに。
『おはようです、レイン姉。後は代わりますわ。』
エルンが起きてきた。もうそんな時間なんだ。
「ありがとう。私、もう行くね。」
さっとエプロンを外して、鞄を取りに行った。今日は早いからみんなが起きるまでいられない。顔を見れなくて少し寂しいけど、犬小屋の中から出てきたフランにだけ手を振って、私は家を出た。