第六十一話 寝坊の果てに
なっ、なんだって!
今15時半だと!!
昨日は確か23時にはベッドに入ってそのまま眠ったはずだぞ。
それに今までどんなに長くても10時間以上連続で寝続けた覚えはない。8時間も眠れば絶対に1度は目が覚めるタイプだし。
そんな僕が14時間半も寝続けただと!?
僕は寝坊したという事実を未だに信じられないでいた。
だが、考えている暇はない。
だってマロンさんが`カフェ猫耳亭'で待っているはずだから。
とにかく今は一刻も早くマロンさんの元に行かなければ。
頭の中はその事だけでいっぱいだった。
そして、僕は急いで部屋から飛び出した。
途中、廊下を駆けていると掃除をしているシロップが目に入った。
このまま走り去る事も出来たのだけど、どうしてもひと言言ってやりたい気分になり僕はシロップを呼んだ。
「シロップ!」
「あれ?ハルト様。もうお帰りになったんですか?」
何故少し嬉しそうにしている。いや、そんな事よりもだ。
「いや、今起きたんだよ」
「えっ!今ですか?だって今日はマロン様とお約束があるとあれほど楽しみにされていたのに」
「そうだよ。そのうえで寝坊しちゃったんだよ」
シロップには今日の予定を話していた。普段なら女性に会うと言うだけで凄く不機嫌そうにするのだが、マロンさんに会うと伝えた時はそんな態度をとらなかった。
マロンさんを認めてるって事なのか?ってか、ここ最近で急に仲良くなってるんだよなぁ。
一体2人の間に何があったのか。凄く気になるんですけど。でも「秘密です」と頑なに教えてくれないんだよなぁ。
そんな事を思いつつ僕は言葉を続けた。
「ってか、どうして起こしてくれないのさぁ~」
もはやただの八つ当たりでしかない。
そんな僕にシロップはクエッションマークを浮かべて言う。
「あの~。お言葉を返すようですが、私は10時半頃ご様子を伺いにお部屋にいきましたよ」
「だったら、その時に起こしてくれてもいいじゃないか」
「いぇ、違うんです。その時既にハルト様は部屋にいませんでした。だから私はてっきり出かけてしまったものだと」
「いやいやいや、ないないないない。だって、ほら。僕ここにいるじゃん。今まで部屋のベッドで寝てた証拠でしょ。ってか、きちんとベッドまで確認したの?」
「もちろんです。ハルト様のベッドメイクは私の仕事です。毎日責任もってやってます。ハルト様が使用したベッドに潜り込むのを私がどれだけ楽しみにしてると思ってるんですか!」
うん、なんか怒られてしまったぞ。ってか、今シロップとんでもない事をサラッと言ったよね。
「とにかく、私がお部屋に行った時、既にハルト様はいなかったんです。というよりも布団も温かくなくて、まるで昨夜はベッドを使用されていないかのような状態でした」
「そっ、そうか。疑ってごめんね」
とんでも発言が物凄く気になったが、真剣に話すシロップを見てると嘘を言ってるようにはとても思えなかった。
何よりしっかりと仕事をしてくれてるシロップを疑ってしまった事。それが心苦しくなって、素直に謝罪したのだった。
でも、だとするとこれはどういう状況なんだ?
10時半に部屋にいなかった僕。
でも、15時半に目覚めたのはベッドの中。
う~ん、さっぱりわかんない。
そんな風に僕が頭を抱えている時だった。
「ねぇ、ねぇ、ハルトさま~。昨夜は何処へいかれてたんですかぁ~?夜中に部屋を抜け出して何をしていたのかなぁ~?」
とシロップがふらふら体を揺らしながら肩をトントンと叩いてくるのだ。
しかもその瞳には光が宿っておらず、また例の変なスイッチが入っている様だった。
思わず後ずさりしてしまったよ。
「どうして逃げるんですかぁ~?やっぱりやましい事でもあるんですかぁ~?」
「なっ、何もないから。ずっと部屋にいたし」
「あれ~?でも、それっておかしな事ですよね~。だってベットに温もりが残っていなかったんですよ~」
「いや、知らないし。もう、いったい何がなんだか。こっちが知りたいよ…って、オイ!!」
今、チラッと見えたぞ。エプロンの下から光る刃物を。何故そんな武器を握り締めているの!?
「ねぇ、ねぇ、ハルトさまぁ~。正直に吐かれた方がいいですよぉ~。女遊びされてたんですよねぇ~?」
何故そうなる!?さっきから正直に言ってるじゃん。自分でもわけがわからないんだって。
ってか、仮にもし女遊びだとしてもシロップには関係ないよね!
なんてツッコんでも、聞く耳持たないんだろうなぁ。
「なっ、なぁ、シロップ。シロップさんや、まずは落ち着こう。僕は本当に部屋を抜け出した覚えもないし、その物騒な武器はしまってね」
でもやはりその言葉は届いていなかった。
案の定と言うべきなのかな。シロップは「いなかった。いなかった。いなかった…」と言いながら一歩また一歩とゆっくり近づいて来てるしね。
もうね、少し恐怖すら覚えてしまうよ。どこで育て方を間違えたのやら…。
そんな時だった。
「見てて飽きないんだけどさ、そろそろマロンの所に向かった方がいいんじゃないの?」
振り向くと、ニヤニヤ笑いながらこっちを眺めているタルトさんとジト目のノワさんがいたのだ。
「ちょっ、見てないで助けて下さいよぉ~」
2人はやれやれと言った表情でアイコンタクトを交わすと、すぐにノワさんが僕の横を颯爽と通り過ぎてシロップの元へ行った。
そして彼女の耳元で何やら囁いたかと思うと、急にシロップは落ち着きを取り戻したのだった。
そして、
「では、ハルト様。お気をつけて行ってらっしゃいませ。マロン様にはよろしくお伝え下さいね」
と、いつもの調子でそう言って、尻尾を振りながら奥へと引っ込んで行ったのだ。
シロップの急な変わり様に呆気に取られてしまう。
「一体どんな魔法を使ったんですか?」
僕は今後の為にとノワさんにその方法を聞いてみた。
「魔法だなんてとんでもない。私はただ急いでベッドメイクをしてくるよう指示しただけですよ」
えっ?たったそれだけで。
全く意味がわからないと言った表情をしている僕にタルトさんが続いて言った。
「今なら温もりとやらが残っているだろうしね。シッシッシ」
なるほどね…。
ん?
「っておいーーーーー。可笑しいでしょ。そもそも何余計な事を吹き込んでるんですかぁ」
「まぁまぁ。結果助かったわけだし」
「それはそうですけど…」
「ハルト様はもう少しシロップの事を、いや女心というものを理解したほうがいいかと存じます」
うわっ、ノワさんにサラッとダメだしされちゃったよ。
でもシロップの扱いが上手いのはノワさんの方だしな。これじゃあどっちが主人なのやら。ちょっと苦笑いになってしまう。
そんな僕にタルトさんは笑いながら手を振るのだった。
「ほら、もう行きな。マロンと約束してるんでしょ」
「そっ、そうでした。こんな事してる暇ないんだ。マロンさーん、すぐに参りますからね~~~」
お2人にお礼を言うのも忘れ、僕はタルト邸を後にしたのだった。
「ところでタルト様。マロン様はまだお店にいらっしゃるのですか?」
「さぁね~?」
「ハァ~。また適当な。ハルト様、凄く焦って出ていきましたよ。まずメールするなどアドバイスをすればいいものを。タルト様もお意地が悪い」
「シッシッシ。まぁそう言いなさんなって。脇目もふらず一直線なところ、面白いじゃない。青春だねぇ~」
「また楽しんでいらっしゃる」
「さてさて、どうなる事かしらね~」
◇
とにかく思いっきり走った。
朝の身支度も途中だった為、碌に装備品も付けていない。ぶっちゃけパジャマ姿だ。
そんな姿で街中を走り回っているものだから、当然周囲からは奇異な視線が飛んでくる。
でも今の僕にはそんなの関係なかった。
まぁ流石に『見ちゃいけません』と子供の目を塞いでいる母親を見かけた時には堪えたけどね。
そして走りに走って息を切らせながら辿り着いた`カフェ猫耳亭'。
そのテラス席の一角に僕は見たのだ。遠目だったけど、一目でわかった。それがマロンさんだと。
まだ居てくれた事が嬉しかった。
そして一秒でも早く詫びたかった。
だから、僕は急いで店内に入りテラス席を目指したんだ。
『おっ、お客様。その様なお姿で入店されては困ります』
驚きの表情で止めに入る店員。
まぁ、当然の反応だよな。パジャマ姿の男が受付も通さずズカズカと店内の奥に進もうとしているのだから。
それでも僕はそんな店員を振り切って目的地、そうテラス席目指して進むのだった。
そしてようやく彼女を目で捉える事が出来る位置まで辿り着いた時、
「マロンさん!!」
僕は思いっきり叫んでいた。
突然店内に響いた大声に、一瞬の静寂が訪れる。
そしてその叫び声に反応した彼女も、こちらを振り向くのだった。
僕の視線とマロンさんの視線が重なる。
僕の瞳にはマロンさんは待ちくたびれたといった表情ひとつせず『あいたかった』と安堵の表情を浮かべたように映った。
僕は嬉しくなってその場で更に口を開いた。
「マッ、マロンさん。今日は…」
そう言葉を続けようとした時だった。
複数の店員が後ろから覆いかぶさってきて、ものの見事に身柄を確保されたのだ。
店内で大声を上げた男が取り押さえられた事もあり、周囲から一斉に喝采が湧き上がる。
「むうー、むうーふぅーっっ、むぅーふ、むぅーむぅー」
優秀な店員によって素早くタオルで口を塞がれた僕は碌に声を発する事も出来ず、両脇を抱えられたまま別室へと連れていかれるのだった。
「そっ、その人、私の連れですー」というマロンさんの声を背中に受けながら。
◇
今、僕たちは`カフェ猫耳亭'を出て近くのベンチに座っている。
あの後別室に連れていかれた僕は、追ってきてくれたマロンさんが事情を説明してくれた事もあって、厳重注意を受けただけで解放されたのだ。
でも流石に店内に居続けるわけにもいかず、外へ出る事となったのだ。
それにしてもさっきから会話がない。
ってか、微妙に気まずい空気が流れているし。
チラッと横を見ると、プクーっと頬を膨らませたマロンさんの横顔があった。
これは相当怒ってるって事だよね。
まぁ、そりゃそうだ。
現在時刻は16時30分。僕はデートの約束に5時間半も遅刻したわけだからね。
ここは誠実に謝ろう。
僕は立ち上がり、角度が斜め45度になるぐらい頭を下げて謝罪した。
「ごめんなさい」
でも彼女からは何の反応も返ってこない。
恐る恐る顔を上げてみると、マロンさんがジーっと僕を見つめていた。
そう何も言わずただジーっと。
「えっ、えーっと…」
流石にこれ以上どうしていいかわからず、戸惑いの声を上げてしまう。
そんな僕の様子に、彼女はハァーっとため息ひとつついて言った。
「ハルトさん、本当にわかっています?私が何に怒っているのか」
「そっ、それはもちろん。あり得ない遅刻をした事だよね」
「違います。ほら、全然わかっていない」
マロンさんはまたハァーとため息をついたのだった。
「いいですか。まず遅刻してきた事。それに関しては怒っていません」
「えっ!?そうなの」
とても信じられなかった。だって5時間半の遅刻だぞ。
「確かにあり得ない遅刻です。メールの返信もないから、ひょっとしらた何かあったのではと心配もしましたし。でも、そのパジャマ姿を見る限り眠っていたわけですよね。だったら怒る理由にはなりません」
えっ、本当に?それって十分怒る理由になると思うのだけど…。
「まぁ、起きてからメールのひとつで送るぐらいの心遣いはして欲しかったですけどね」
言われて初めて気づいた。僕はパニックのあまり返信をしていなかったのだ。普通は駆け出す前にまずメールだろ。これは確実に今日の反省点だった。
「じゃあ、マロンさんは何に怒ってるの?」
「それはハルトさんの言動にです。非常識にも程があります」
「非常識?何か寝坊以外にマズい事したかなぁ…?」
「マズい事したかなぁ?じゃありません。カフェにパジャマ姿で現れ、受付を通さずに店員さんの静止を振り切り、挙句の果てに店内で大声を上げる。これを非常識と言わずに何と言うんですか?」
言われてみると確かに酷い言動だ。うん、非常識がピッタリだな。
「でっ、でも店内でマロンさんと目があった時、マロンさんも笑顔で何か言ってませんでしたか?『あいたかった』とか」
「言ってません。私は『おしずかにね』と言ったんです。なのにその後も大声を上げるし…」
えっ、そうだったの。あれは僕の勘違いだったのか。ちょっと嬉しそうに反論しちゃったじゃないか。恥ずかしい。
「あの…反省してますか?」
「はっ、はい。とっても反省しています。本当にごめんなさい」
僕はマロンさんが怒っている理由を理解し改めて謝罪したのだった。
でも、それじゃあ何故寝坊で怒られなかったのか?聞かずにはおれなかった。
「あのぉ~、ちなみになんだけど、なんで眠っていた事は怒る理由にならないの?」
すると彼女は僕が左腕にはめてたブレスレットを指さして言った。
「恐らくハルトさんが寝坊した原因はそのブレスレットにあります」
「え?これ?」
「ハルトさん、昨日はかなりお疲れだったのでは?」
「そうだね。朝から晩まで討伐依頼をこなしてて結構疲れていたかも」
「やっぱり。これで確信しました。全てはそのブレスレットが原因です」
そう言ってマロンさんは僕の左腕をとって、ブレスレットについて説明してくれた。
正式名称‘安らぎのブレスレット’。腕にはめて眠る事で疲労回復を何十倍にも高める事ができる。
眠っている間は魔法石の時空魔法が発動し対象者は別空間に移動し、そして回復が終わると元の空間に戻され目覚めるという仕組みだった。
なるほどな。これならシロップが言ってた事とも辻褄が合う。
昨夜僕は確かにベッドで眠ったけど、別空間にいたのだからベット自体は使用していなかったってわけだ。
ちなみに一度効果が発動すると完全回復するまで目覚める事はないらしい。
今回は14時間半で目覚めたからまだ良かったものの、疲れ方によってはそれ以上眠っていた可能性もあったわけだ。
考えると恐ろしいアイテムだ。今後の使用は慎重にしなければと思った。
「効果をお伝えしていなかった私にも責任ありますし、だからそれについては怒る理由になりません」
そう言ってマロンさんはニッコリと微笑むのだった。
でも、そんな彼女を見てると胸が痛くなってきた。
いくらブレスレットの効果を知らなかったとしても、自分からデートに誘っておいて寝坊はだめだ。
しかも5時間半も待たせるなんて…やっぱりあり得ないだろ。
もっと怒っていいのに。
優しすぎるよ…。
「結局僕はマロンさんの貴重な時間を無駄にしてしまった…。ほんとに、ごめんね…」
絞り出すように謝罪するのがやっとだった。
するとそんな僕の内心を察したのか、
「そんな顔しないで。私は無駄だなんて思っていませんよ」
と彼女は優しく言うのだった。
「でも…」
それでもなおネガティブな事を言おうとしたところ、彼女の人差し指がサッと伸びてきて僕の唇を塞ぐ。
そして、マロンさんは満面の笑みで言った。
「それに待っている間もデートのうちですからね」
寝坊した事、お店に迷惑をかけた事、この日の反省点はたくさんあった。
でも最後に彼女が言ってくれた温かいひと言で、落ち込んだ気持ちが瞬時に軽くなった。
そしてそれは絶対に忘れる事が出来ない言葉として僕の胸に深く刻まれたんだ。
だからと言って今後も寝坊していいわけではない。
寝坊でデートに遅れるなんてもう金輪際ご免だしね。
ただ、今回は寝坊して得たものも大きかった。
僕はますます君に惚れたんだ。




