第六十話 眠れる部屋の勇者
姉と2人で台所に立っていた。
『よしよし、白玉粉もだいぶほぐれてきたわね。じゃあ、ここからはハル君の番よ。薄力粉とベーキングパウダー、重曹を一緒にふるって、牛乳と交互に少しずつ混ぜ入れてね』
そう言って姉は僕にボウルを手渡す。
『わかったよ。でも何で重曹入れるの?』
『重曹を入れると特有の香りと黄色い綺麗な焼き色になるのよ。出店とかで売ってるタイ焼きっぽくていいでしょ』
お祭りの屋台で売っているタイ焼。その甘く香ばしいかおりを想像してみると、思わず涎がこぼれそうになった。
『なるほど~。確かにそっちのほうが凄く美味しそうだね』
『でしょ。じゃあ、たくさん作ってお父さんとお母さんを驚かせましょう』
『りょーかい。頑張るよ』
だが一生懸命に粉をふるって混ぜるものの、子供の力じゃなかなか上手くいかない。
『ほら、もっと手際よくやらないと美味しくできないわよ』
流石に見かねた姉が声をかけてくる。
『いや、これ結構難しいんだって』
その後も頑張ってみたものの、ボウルの中の材料は均等に混ぜ合わさっておらず、誰が見ても残念な状態だった。
『もう無理。絶対にできない』
『こら、簡単に諦めるんじゃないの。男の子でしょ』
『だって、作業全然面白くないし…』
『だってもへちまもない。ほら見てて。こうやるのよ』
言いながらボウルを取り上げた姉は、見事な手際で素材を混ぜ合わせていくのだった。
『あのさぁ、これって僕がやる意味あるの?姉ちゃん一人でやったほうがいいんじゃないの?』
『そんなのダメよ。ハル君と私で作るから意味があるんでしょ。それにさっき全然面白くないって言ってたけど、考え方を変えてみるの』
『考え方?』
『そう。出来上がったタイ焼きを食べてくれるお父さんとお母さんを思い浮かべてみて』
『うん』
思い浮かべたのは喜んで食べてくれる両親の笑顔だった。
『どう?』
『笑顔で食べてくれた』
『それで?』
『きちんとタイ焼き作って喜んでもらいたいって思った…』
『そうね。その気持ちが大切なのよね。食べてくれる人の喜んだ顔を思い浮かべると、料理も楽しくなるんだから』
そう言って再びボウルを僕に手渡す姉。
『一緒に喜んでもらおうね』
『…うん』
その日作ったタイ焼きは決して最高の出来上がりとは言えなかったけど、それでも両親は感動してくれて『美味しいよ』と喜んで食べてくれた。
姉と2人で両親の為にタイ焼きを作ったあの日。
それは僕が料理の楽しみを知った日でもあった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ふぁぁぁぁ~」
大きなあくびとともに目覚めた僕は、目を擦りながらベッドから立ち上がり、背筋を伸ばしたり腕を回したりしてみた。
うん、何だか身体がやけに軽いな。
熟睡できたおかげだろうか。前日の疲れもすっかりとれているみたいだった。
「それにしても、凄い懐かしい夢だったなぁ…」
懐かしいと言い方は変なのかもしれないが、その夢は僕にとって前の世界での大切な思い出の一つだったから。ついつい懐かしいと表現してしまうのだった。
それにしてもどうしあんな夢を見たのかな?ひょっとしてコレのせい?
そう思いながら僕は左腕にはめられたブレスレットを見た。
それは天然石のモスアゲートと魔法石(小)で出来た数珠のブレスレットで、天然石には羊の彫刻が施されていた。
モスアゲートと言えばリラックス効果があり安らぎを与えてくれる天然石。
確かマロンさんも「これをはめて眠れば、疲れがとれる事間違いなしですよ」と笑いながら言ってたっけ。
あの時のマロンさんも可愛かったなぁ…。
思い出すだけでちょっとニヤケてくる。
でも、そんなブレスレットをいつもらったのかと言えば、それは少し話を遡らなければならない。
そうそれはちょうど2日前。みんなで食事をした日の事だった。
◇
パネットさんを見送った後、マロンさんも仕事が残っていると帰り支度を始めていた。
せっかく久々に会えたのにマロンさんと全然話せていない。
食事中はシロップとばかり話してたもんなぁ。
僕だって話したい事は山ほどあったのに。
そんな事を思っていると、マロンさんが僕の方を向いて合図を送っているのに気づいた。
ちょいちょいと廊下の方を指さしているではないか。
僕は頷き部屋から出ると、マロンさんも直ぐにやってきた。
「えっと…、どうかしたの?」
「はい、どうぞ」
僕の間抜けな質問にマロンさんは小さな紙袋を手渡してきた。
戸惑いつつも受け取った紙袋を開けると、中に入っていたのはブレスレットだった。
「これは?」
「お土産ですよ」
ニッコリと笑って言うものだから、僕はそれ以上何も聞けなくなった。
そしてマロンさんは続けて、
「先ほどのお菓子は皆さん用で、こっちはハルトさん個人用です。って言っても安物なんですけどね」
と言ったのだ。
えっ、個人用!?
一瞬聞き間違いかと思った。
でも少し照れたような笑顔で話す彼女を見てると、決してそれが聞き間違いではない事がわかった。
あらためてブレスレットに目をやる。彼女は安物と言ったがとてもそうは思えない立派な一品だった。
仮に安物だとしても、値段なんてどうでもいい。マロンさんから個人的にお土産を貰えたって事が何よりも嬉しかったから。
嬉しさのあまり呆然となっていると、
「どっ…どうでしょか?お気に召しませんでしたか?」
とマロンさんがちょっと不安そうな表情で僕の顔を覗き込んできた。
「いっ、いや全然。とっても嬉しいよ。本当にありがとね」
突然の事でありきたりなお礼しか言えなかった。でもそれが本心だった。
「あぁ、良かった。何も言ってくれないから心配しちゃいましたよ」
そう言ったマロンさんの表情は少しホッとした晴れやかな笑顔だった。
「ごっ、ごめんね。マロンさんと会えただけでも嬉しかったのに、そのうえ個人的なお土産までもらえて…。こういうの初めてだったから、感動しちゃって…」
あっ、ヤバい。思った事をそのまま口に出してしまった。
すぐにマロンさんを見ると、案の定どう反応したら良いものかと少し困っている様子だし。
またやっちゃったな。いくら嬉しいからといっても、後先きちんと考えて発言しなければいけないなと反省するのだった。
「あっ、いぇ、喜んで頂けたのなら私も嬉しいですし…。
えっと、このブレスレットは安眠効果があるみたいなんですよ。冒険者のお仕事は疲れる事も多いと思いますので、今のハルトさんにはぴったりかなぁと。
これをはめて眠れば疲れがとれる事間違いなしですよ」
そう言って最後は万遍の笑みを向けてくる。
それはまさに天使の笑顔。見るたびにドキドキして、僕の心は奪われっぱなしだ。
そしてこの日はそんなマロンさんをとても愛おしく感じ、昂る気持ちを抑えきれずにいた。
それで、勢いのまま誘ったんだ。
「デートしよう」
「えっ!?デート?」
急なデートの誘いに驚き顔のマロンさん。
でもここは多少強引にでもいかないと。
「えっと、マロンさんが出張している間にいい感じのお店を発見したんだ。是非一緒に行きたいなぁって思って。それにほら、おっ、お礼。そう、このブレスレットのお礼もしたいし」
つい捲し立てるように喋ってしまった。お店なんて発見してもいないのにね。これじゃあ焦って誘ったのバレちゃうよなぁ。
でも、悔いはないぞ。この場の勢いだとしても誘えたんだから。
けど、やっぱり断られたら辛い。どうかOKを…。
そんな僕の願いが通じたのか、マロンさんは微笑みながら、
「いいですよ。楽しみにしてますね」
と言ってくれたのだった。
思わずガッツポーズをして喜んだ僕に、彼女は「大袈裟ですよ」と笑っていたけど、これが全然大袈裟じゃないんだよな。
今嬉しさを表現するのにガッツポーズ以上のものは思い浮かばなかったから。
「では明後日なんてどうですか?私、夕方から予定ありますが、お昼の時間帯は空いてますので」
「うん、明後日にしよう」
「はい。待ち合わせ場所は`カフェ猫耳亭'でいいですか?」
「この前のお店だね。うん、そこにしよう」
「時間は11時頃で?」
「OK」
「決定ですね。では、明後日までにいい感じのお店をきちんと見つけておいて下さいねっ」
「…はい」
やっぱりマロンさんにはバレバレだった。
◇
というわけで、今日はマロンさんとデートの日。
昨日は丸一日討伐依頼をこなしていたから相当疲れが溜まっていたはずなんだけど、今はすっかり疲れもとれ万全の状態だった。
このブレスレットのお蔭なのかなぁ。昨夜は23時には眠れたしね。
左腕のブレスレットを見ながら安眠効果の凄さを感じるのだった。
まぁ、でもそれだけじゃないよな。
マロンさんとデートできるというワクワク感の影響もあるだろうしね。
お店もしっかり見つけたし、今日は楽しみな一日だなぁ。
そんな感じで起きて早々浮かれ気分の僕は、ゆっくりと朝の身支度をしていてた。
ギルドカードの‘m’ボタンが緑色に点滅していた事に気付きもせずに。
実際、僕がそれに気付いたのは目覚めて15分が過ぎた頃だった。
すぐにメール起動させると3Dホログラムで‘受信5件あり’と表示されるではないか。
朝っぱらから5件も?珍しいなぁ。何事だ?
早速チェックしてみると、それは全てマロンさんからものだった。
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少し早いけど
`カフェ猫耳亭'に着きました。
先に入ってますね。
マロン
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ん?
どういう事?
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テラス席にいますね。
ドリンクだけ注文してます。
マロン
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えーっと、これは…つまり…。
読みながら冷や汗が出てくるのがわかった。
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ハルトさん、何かありましたか?
もしかして事件ですか?
マロン
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嫌な予感しかしない。
先を読むのが物凄く怖くなってきた。
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大丈夫ですか?
心配です。
連絡お待ちしてます。
マロン
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だって、この続きなんて容易に想像できたから…。
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ひょっとして、
約束の事忘れちゃったのかな?
マロン
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慌てて部屋の時計に目を向ける。
ただ今の時刻は15時半と。
ん?
15…
「ぎゃーーーーー!やっちまったーーーーーー!!」
僕はかつてない程の大声で絶叫したのだった。




