第四十六話 嗤う悪魔
「タルトさん………」
この異様な空間にどうして彼女がいるのか?
この惨劇は何なのか?
一体何が起こっているのか?
聞きたい事が山ほどあった。
でも、一目見てひとつだけ確信できた事があった。
それはタルトさんが犯人ではないという事。
後姿こそ血で染まって痛々しかったが、彼女は誰かを抱きかかえて庇うように佇んでいたのだ。
「タルトさん、大丈夫ですか?」
急いで近づき声をかける。振り返ったタルトさんは僕の顔を認識するなりホッとした表情を浮かべた。
「…ハルトか。良かった。この娘を…」
そう言って、タルトさんが身を挺して守っていた人物が姿を現した。
それはズコットさんの愛娘であるティラちゃんだった。
ただし、彼女の意識はなく様子は明らかにおかしかった。
「こっ、これは…!?」
思わず息を飲んだ。何と彼女の首回りが紫色に侵食されていたのだ。
「覚えがあるでしょ。あの忌々しい呪いだよ」
確かに覚えがあった。ってか、忘れるはずがない。僕自身もかかったものだから。この症状は間違いなくスィルーが生成するゾンビの呪い攻撃によるものだった。
「えぇ。あの時はマロンさんがいてくれたから直ぐに治療できまたが…」
「そうね。今はマロンがいない。と言うよりも時間もないの。非常にマズイ事態だわ」
「え?でっ、でも、確かこの呪いは一週間程かけて体が侵食されるわけですよね。あと2日もすればマロンさんも戻ってきますし、時間の余裕はあるはずでは…」
そう言った僕にタルトさんはティラちゃんの洋服と袖をまくり背中と腕を見せた。
「なっ!もう侵食がそんなに進んでいるなんて…」
驚いた事に背中と両腕は既に紫色になっていた。いくらなんでも浸食のスピードが早すぎる。何故だ。大人も子供も呪いの侵食速度はたいして変わらないはずなのに。
「残念ながらそんなに余裕はないの」
悔しそうにタルトさんが言った。
「いったいここで何があったんですか?スィルーが現われたって事ですか?」
「実はね…」
そう言ってタルトさんは知りうる範囲で状況を話してくれた。
◇
今朝は例の事件の後処理で礼拝堂を訪れていた。
礼拝堂にある‘封印の間'で回収した魔剣の‘封印の儀'を執り行うためだ。
今回私達の任務はギルド代表として‘封印の儀'の立ち合い。別に私達じゃなくてもいいのにと思うのだけど、一応回収した張本人という事もあって断る事は出来なかった。
今回任務に就くのは私とズコットとアモンドの3人。ハルトはシロップのお迎えもあるし、私達の中では最年少なのでお休みという事にした。でも、そもそも内容がただの立ち合いだから3人でも多いなと思ってしまう。
礼拝堂の前に集合した時、ズコットはティラを連れてきていた。何でも任務の後に遊園地に行くのだとか。全く義弟ながらいいパパしてるじゃないと感心してしまう。
ただ封印の間に入る事が許されているのは関係者のみだった。その為ティラは礼拝堂の大広間で待ってもらう事となった。
大広間は日々多くの来場者が集う為、常時多くのシスターが配置されている。シスターの1人にティラの事をお願いし、私達3人は上階にある‘封印の間'へと向かった。
‘封印の間'には司祭と2人のシスターがいた。うち1人はいつもマロンと行動を供にしていたシスターだ。以前私の家に来た時にマロンから怒られていた人物(確かレーヌといったっけ)と一緒にいたもう1人で特徴的なお団子ヘアをしたシスターだった。
一応知らない顔でもなかったので笑顔で挨拶をしたけど、相手の反応は思いの外薄かった。まぁ、実際に話したわけでもないし他人と言えば他人だからね。馴れ馴れしい挨拶はマズかったかな。
でも、彼女は何故マロンの出張に同行していないのだろうとちょっと不思議に思った。
そうこうしていると≪コンコン≫とドアがノックされ、また別の3人組が室内に入ってい来た。
「遅れて申し訳ございません」
深々と頭を下げて入ってきたのは王国騎士団の団員だった。
「あれ?ルークは来てないの?」
「副団長は関係各所への報告がありまして、今日は私達だけとなっております」
今回の一件は王国騎士団主導の事件となっていた為、その後の処理も王国騎士団がほぼ行う事になっていた。
色々駆けまわっているであろうルークを思い浮かべると少し気の毒な気もする。まぁ仕事に関しては真面目な彼の事だから、そつなくこなしているんだろうけどね。それにそのおかげでギルド側では事後処理がほぼないのだから、その面に関しては有り難く思わなくちゃね。
全員が揃ったところで司祭より簡単な説明があって‘封印の儀'が開始された。
王国騎士団に預けられていた魔剣が部屋の中央にある台座の上に設置される。
司祭を中心に2人のシスターがその台座を取り囲み、封印魔法の詠唱が始まった。台座に光の鎖が現われ魔剣を雁字搦めにしている。この状態で邪気を払いながら封印を完成させていくのだった。
‘封印の儀'は小一時間ほどかかる為、残りのメンバーはその様子を見守る事となる。司祭が「時間かかりますので、楽にしていて下さい」と言ってくれたので私達は部屋の壁側に設置された椅子に腰かけて待たせてもらう事となった。
結局立ち合いという名目の単なる見物だった。これなら王国騎士団だけでいいんじゃないと思ってしまう。
まぁ私がギルドの立場とかあまり気にしていないからそう感じるだけなのかもしれないけどね。
ふと横を見るとズコットは横に座った団員に何やら話しかけられてちょっと鬱陶しそうにしていた。アモンドに至っては欠伸をして退屈そうにしているし。ふふ、緊張感の欠片もないわね。
でも、そんな雰囲気は一瞬で吹き飛んだ。
両手を前に突き出し魔法を詠唱している3人をしばらく眺めていたところ、シスターの1人(私の家に来た娘)が不意に片手で自身の髪を触った。
結っている髪が崩れたのかしら?そんな感じで見ていると、急にお団子部分から何かを取り出し、司祭の喉元を掻き切ったのだった。そして乱暴に魔剣を台座から奪い取り素早くもう1人のシスターの首元に先ほどの何かを突き立てた。よく見るとそれはメスのような鋭利な刃物だった。
その場の全員が何が起こったのかすぐにはピンとこなかった。だが自然と全員がシスターを取り囲むように動いていた。
「何をしている!その刃物と魔剣を置いて彼女を放すんだ」
団員が叫ぶとともに全員でじわじわと間合いを詰めていく。だが彼女は動じる事なく冷たい表情のままいっこうに動こうとしない。シスターを解放するつもりもないようだ。
この状況を打破する為にも私が忍術を唱えようとした正にその時、『きゃぁ~』と大広間のほうから悲鳴が起こったのだ。全員がそちらへ一瞬気をとられた。
そして『しまった』そう感じた時には遅かった。その一瞬のうちにシスターの喉元が掻っ切られたのだった。
「くっ。こうなった力づくでも取り押さえるぞ。タルトさん達は大広間の方を頼みます」
そう言われた時には既にズコットは我先へと駆け出していた。当たり前か。大広間にはティラもいるのだから。
「わかったわ。あんた達も気をつけてね」
この場は王国騎士団の3人に任せて私とアモンドも大広間へと向かった。
そして私達が大広間の扉を開けた時、そこは思いの外静まり返っていた。だが明らかに様子は変だった。
室内は薄暗く、祭壇へと続く長椅子には人々が規則正しく腰かけていてはいるが空気が重くとても礼拝堂のものとは思えなかった。
しかし、長椅子の先にある祭壇をよく確認するとその理由がすぐにわかった。
「『きゃぁ~、きゃぁ~』どうでしたかぁ~?わたくしの迫真の演技は~」
そこにはあの宿敵スィルーが不敵な笑みを浮かべて立っていたのだった。
「全く朝から嫌な顔を見たわ。まさかあんたの演技だったとはね。まんまと騙されたわ。ひょっとして上にいるシスターもあんたの手下なのかい?」
「オーッホッホッホ。わたくしは役者でもあり監督でもありますのよぉ~」
パタパタと扇子を広げ仰ぎだした。スィルーの一挙手一投足が私の感情を逆なでする。
「つまりあんたの手下ってわね。ひょっとして魔剣を使った一連の事件もあんたの仕業なの?」
「ご名答ですわぁ~」
そう言ってまたしても高笑いをしだすスィルー。しかし、その笑い声をかき消すようにズコットが叫んだ。
「それよりも、娘は何処だ!」
ズコットの大声にニヤケが止まらないスィルー。そしてあいつは言ったんだ。
「役者が全て揃いましたわぁ~」
そう言って≪パンパン≫と手を叩くと同時に長椅子に座っていた人々がいっせいに立ち上がり、私達の方を向いた。
スィルーがいる時点で薄々想像はついたが、全ての人に精気が感じられず既にゾンビ化した状態だった。
薄暗くて直ぐには気づかなかったが、よく見ると辺り一面に血が飛び散っているし、恐らくこの場で殺されてゾンビに変えられたのだろう。その数はおよそ60体。もう目の前にいるのは私達の敵でしかなかった。
そして2体のゾンビがティラを抱えて祭壇の前に姿を現した。
「ティラ!」
ズコットの叫び声を聞きティラの身体がピクリと反応した。
「ティラ!大丈夫か」
父親の声を認識したのか「パパーー」とティラが泣き叫んだ。
声を発する事が出来る事からティラはまだゾンビ化してはいないようだ。本当に良かった。
「心配するな。すぐにパパが助けてやるからな」
そしてスィルーを睨み「貴様。ティラに何をした。今すぐ解放しろ」と剣を構えた。
だがスィルーは動じる様子もなく、親子の再開をニヤニヤしながら眺めていて、
「何をしたかですって~?今はまだ何もしてませんわよぉ~」
と言いながら注射器を取り出した。
「これにはわたくしお手製の呪いウイルスが入っていますわぁ~。ひとたび注入すればほんの2~3時間で素敵な世界に行けますのよぉ~」
そして笑いながら注射器をティラの首元に構えた。
「うわーーん」
恐怖で大声をあげて泣くティラ。
「やめろぉ~」
私達3人は走りだした。
だがスィルーが≪パチン≫と指を鳴らすと同時にゾンビ達がいっせいに動き出し、私達の行く手を阻んできた。
『火炎斬』
怒りの炎を纏ったズコットの剣が立ちはだかるゾンビをバッタバッタと切り裂いていく。
「待ってろ。もう少しの辛抱だ」
声をかけながらティラの元へ一直線に駆けて行く。
一刻も早くズコットが辿り着けるように私とアモンドが群がってくるゾンビを片っ端から駆逐していった。
そして、あとほんの少しでズコットがティラに届くところまで行った時、無情にもスィルーが注射器を刺してその中身を注入したのだった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
ティラの悲鳴が響き渡る。
「ティラーーー」
目の前のゾンビをなぎ倒しようやくティラの元へ辿り着いたズコットが彼女を抱きかかえ何度も呼びかける。しかしティラからは何の反応も返ってこなかった。
「オーッホッホッホ。大丈夫、お嬢ちゃんは気を失っているだけですわぁ~。まぁ、このまま一生目を覚まさない可能性もありますけどねぇ~」
注射をしてすぐに祭壇の上に飛び移っていたスィルーが満足気に笑っている。
「黙れ!!!」
怒りに満ち溢れたズコットがスィルー目がけて剣を振るうも、それはビュンと空を切った。よく見るとスィルーの身体は既に透けはじめていてた。
「移転結晶を使ったわね。ズコット、スィルーは逃げるつもりよ」
「逃がすかぁ~」
そう叫び何度も剣を切り付けるが、それは最早消えゆく彼女に届くものではなかった。
そして次に彼女が現われたのは大広間から廊下へと繋がる扉の前だった。
「誰も逃げたりしませんわよぉ~。お楽しみはこれからですものぉ~」
そう言って手の平に小瓶を置いて見せてきた。
「これは今注射したウイルスの解毒剤ですわぁ~。これさえあればお嬢ちゃんを救う事ができますのよぉ~。聖女ちゃんがいない今、これが唯一の方法ですわぁ~」
そしてズコットを指さしながら言葉を続けた。
「【紅蓮の剛剣】。わたくしは礼拝堂の最上階で待っていますわぁ~。これが欲しければ追ってきなさい。ほら、急がないと刻々と時は過ぎていきますわよぉ~。オーッホッホッホ」
笑い声だけを残しスィルーは扉の外へと消えていった。そしてスィルーが消えた後で廊下の方からいくつもの悲鳴が聞こえてきた。
礼拝堂にはこの大広間や封印の間を含め大小いくつかの部屋があり、来訪者の数も非常に多い。
そして今聞こえた悲鳴は別の部屋にいた人達のもの。恐らく大広間の外は既にパニック状態なのだろう。最上階まで行くついでに目についた人々を手当たり次第に攻撃してるのだ。あいつの性格を考えるとやりかねないなと思ってしまう。
私はすぐにズコットの元に駆け寄った。彼は眠っている娘の頭を優しく撫でていた。しかし早くも注射部の皮膚を中心に紫色に変色しはじめていて、それが事態の深刻さを物語っていた。
「…タルト義姉さん、この場は頼みます」
「わかったけど…。大丈夫?」
ズコットは「…問題ない」と頷き、急いで最上階へ向けて駆け出した。その背中に怒りのオーラを纏って。
私は何だか嫌な予感がして、1人でゾンビと戦ってくれていたアモンドを呼びズコットの後を追うように頼んだ。
状況を悟ったアモンドは頷くも「まだゾンビが残っていますが、いいんですか?」と私の心配をしている。
ザッと見て室内にいるゾンビは残り10体と言ったところ。これぐらいの数ならティラを庇いながらでも私1人で何とかできる。
「大丈夫よ。私を誰だと思っているの」
「ですね。じゃあ俺はズコット先輩を追っかけます」
そしてアモンドを見送った私はティラを抱えながら残りのゾンビと向かいあった―――。
◇
「私が知るのはここまでよ。ゾンビを倒し終わったところで、ハルトが来てくれたってわけ」
タルトさんの話を聞いたあとで、よくよく周囲を見回してみると、四肢を切られ体を切断された見るも無残な姿は全てゾンビ化した死体であった。
「状況はなんとなく理解できました。僕もズコットさんを追いますが、まずはここから出ましょう」
「えぇ、そうね…。いつまでここにいても………」
そう言ったところでタルトさんが前のめりに倒れてきた。
慌てて抱きかかえ声をかけたところ、何の反応もなかった。突然の出来事に焦ったが、呼吸もあり心臓も動いている事から、ただ気を失っているだけだとわかって安心した。
そして僕は思い出した。タルトさんの背中が血で染まっていた事を。
あまりにも迂闊だった。話を聞くよりも先に傷の心配をしなければいけなかったのに。
急いで彼女の状態を確認したところ、一カ所の傷以外に外傷はなく、背中の血も大半はゾンビの返り血だった。
ただ、その一カ所が問題だ。背中に受けた深い傷で、恐らくゾンビの爪にやられたものだろう。傷跡の周りが徐々にではあるが紫色に変色していた。どうやらタルトさんも呪いにかかってしまったようだ。
幸いな事はタルトさんの場合はゾンビによる呪いなのでまだ時間的余裕があるという事。マロンさんが戻ってくるまでの辛抱だ。
僕は急いでギガポーションを傷口にふりかけ応急処置を行った。呪いは解除できないが、傷跡を直す事はできるからね。
ちなみにポーションの類はHP・MPの回復や傷口の治療には使えるが、呪いを解除したり、精神的なダメージや疲れを癒すような事は出来ない。
現にギガポーションを使用した後もタルトさんが意識を取り戻す事はなかった。
昨夜から今朝にかけてあまり休めていないはずだし、きっと疲れも相当たまっていた事だろう。そのうえ呪いにもかかり、本当は早く休んでもらわなければならない状態だったのに、僕が気がきかないばかりに…。自分の迂闊さに反省しきりであった。
僕は背中にタルトさんを担ぎ、ティラちゃんを抱えたまま礼拝堂の外へと歩きだした。
後の事は任せて今はゆっくりお休み下さい。タルトさんの代わりは僕が務めてみせます。
そう心の中で呟きながら。




