38 決闘
とうとう魔王候補VS勇者、が始まります。
空が青い。太陽がある。
初めて見た時には感動しきりだったこの空にも随分慣れてきた。
「どうしたの?」
ベッドに座ったまま、窓をぼーっと見ているわたしを不思議に思ったのか、鈴さんがわたしの視線を追って窓に目を向けた。
「いえ、綺麗だなって思って」
「そう? まあ良い天気よね。それより、早く下に行きましょ。乗合馬車の時間に遅れちゃうわ」
身支度を整えて、部屋を後にする鈴さん。
「……大丈夫」
ずっと見たかった青い空が見られた。
優しい場所があることも知ることができた。
わたしの正体を知った勇者一行の反応が怖くないとは言わない。でも、これ以上黙り続けている方がつらい。
雷翔の事は気がかりだけど、これ以上彼に頼り切ってばかりじゃいられない。それじゃわたしは何も変われない。
大丈夫。覚悟はできた。
「ジュジュ! おはよう」
階段を下りるとすぐに、おかみさんが笑顔で迎えてくれた。手に持っているお盆には、ほかほかと湯気が上がっているパンが乗っている。
「うわあ、美味しそう!」
「焼き立てだからね。美味しいに決まってるだろ。ほらほら、さっさと席に座って。ウィナード達が待ってるよ」
「はい。あ、そうだ、おかみさん。一つ、お願い事があるんですけどいいですか?」
「ん? なんだい、改まって」
「雷翔っていう人が、わたしを探しに来るかもしれないんです」
「……知り合いかい? 思い出したのかい?」
急に真剣な顔になったおかみさんに、わたしは曖昧に笑った。
「わたしを助けてくれた人なんです。ジオさんの話だと、わたしを探してくれているみたいで」
「なんでそんな大事な事黙ってたんだい! あんたを探しに来るっていうんなら、ここにいればいいじゃないか」
「ウィナードさん達、赤髑髏の事を王様に報告しに行かなくちゃいけないって言っていましたし。わたしの都合で、ウィナードさん達を困らせる事は出来ないですから」
「困るって……ジュジュ、勇者の仕事は困っている人を助けることだよ。報告なんて二の次さ! あんたが言いにくいなら、あたしから言ってあげるよ」
おかみさんの言葉に、頑なに首を振る。
「勇者だからって、ウィナードさんばかりに頼るのは違うと思うんです。自分でできる事は自分でしないと。誰かに頼ってばかりじゃ、わたし、いつまでたっても足手まといのままだから」
「あんた……ホント、真面目な子だね。いいよ、そのライカってやつが来たら、あたしはどうすればいいんだい?」
「……伝えてもらえますか? わたしの事は気にしないで、帰っていいよって。あと、ありがとうって、伝えてください」
「なんか、遺言みたいなセリフだね……」
「えっ? そうですか!? じゃあ、後は自分でなんとかするからよろしく! って伝えてください」
「急に軽くなったね。まあ、いいよ。そんな感じで伝えればいいんだね」
「はい! よろしくお願いします」
頭を下げて、ウィナードさん達の席に向かう。
ああ、遺言とか言うから焦った! うう、実際にそうならないように頑張らないと。
やわらかくてあったかいパンに、きのこのスープ。卵焼きに、カリカリのベーコン。それから食後の紅茶。
ああ、美味しかった。
満足感を味わいながら、旦那さん、おかみさんに見送られてお店を出る。ロニーさん、ジョセフさんも手を振ってくれている。ハイルさんは昨日のお酒が効いているのか、具合悪そうな顔をしているけれど、それでも窓から身を乗り出して手を振ってくれた。
わたしも大きく手を振り返す。
「良い所よね。ジュジュ、家族が見つからなくても安心ね。あそこに家があるんだから」
「……そうですね」
角を曲がって、お店が見えなくなる。
……ここで、もうおしまい。
“ジュジュ”から“わたし”に戻るんだ。
「ん? なしたべ?」
ぴたりと足を止めたわたしを、ルークさんが心配そうに覗き込んだ。
「具合でも悪いだか?」
「あんな事があったんだもん、やっぱ精神的に参っちゃったわよね。もうちょっと休んだ方が良かったかしら」
「いえ……いえ。違います」
目を閉じて、息を吸う。
――大丈夫。
顔をあげると、こっちを見ているウィナードさん達が見えた。
不思議そうな顔のウィナードさん。ウィナードさんの肩から首を傾げて見ているクーファ。心配そうな顔の鈴さんにルークさん。静かにこちらを見ているジェイクさん。
「……少し、場所を変えてください。お話したい事があるんです」
「場所?」
「はい。……人気のない、開けた場所でお願いします」
わたしの言葉に、ウィナードさん達は明らかに動揺した。まあ、当然だろう。
そんな中、ジェイクさんが動いた。
「広場がいいか。今ならまだ人も少ないはずだ」
すたすたと歩き出すジェイクさん。わたしもそれに倣って歩き出した。
慌てたように、ウィナードさん達がついてくるのがわかる。
「ジュジュ、どうしたの? 話したいことって?」
「……わたしの事です」
「わたしの事って、思い出せたんだか!?」
嬉しそうなルークさんには答える事が出来なかった。
わたしが記憶を取り戻した、と思った様子のウィナードさん達は、いそいそとした様子で歩き出した。ああ、違うのに。
胸が苦しい。でも、もう足を止める事は出来ない。
暗い気持ちが胸を占める中、広場についた。
ジェイクさんが言った通り、広場に人の姿はない。広場のそばにはお店も並んでいるけれど、まだ早い時間のせいかすべて閉まっているようだ。
「それで、ジュジュの話って?」
明るい笑顔でウィナードさんが尋ねてくる。
わたしはウィナードさんの前に立った。
「勇者、レイン」
「え?」
今まで生きてきた中で、一番勇気を出した一瞬だった。
不思議そうな顔のウィナードさんを、まっすぐ見つめる。
「わたしと戦ってください」
沈黙。
ウィナードさんは、瞬きを繰り返した。
「……え?」
「え?」
「ちょ、え!?」
ウィナードさんの疑問符のついた声に反応して、ルークさんや鈴さんもきょとんとした声や焦った声を上げる。
「ええっ? なんで!? ちょ、ジュジュ! 意味が分かんないんだけど!」
うん、当然ですよね。
鈴さんの質問に答えようと彼女の方を見ると、鈴さんの隣に立っていたジェイクさんと目が合った。彼はいつものように無表情だった。
「おまえは、どうして勇者と戦いたいんだ?」
冷静な声で尋ねられた事に、はっきりと答える。
「わたしは勇者と戦わなくちゃいけないんです」
「そうか」
彼は一度目を伏せてから、わたしを見た。
その手が剣を抜いて――わたしに、差し出した。
「ジェイク!?」
「何してるべ!」
鈴さんとルークさんが驚きの声をあげている。
わたしも驚いたけれど、無意識のうちにその剣を手に取った。
「決闘を望むなら、その作法を教えてやる。お互いに名前を名乗ることだ。偽名じゃなく、本当の名前だ。名前を賭けて戦う。勝った方が、その名前――命をもらえる」
名前。
確か雷翔が、実名を知られるのが危険だって言っていた。あれは、わたしに“ジュジュ”を名乗るように言った時のことだ。
こちらでは、名前を賭けるなんていうことがあるのか。でも、今は危険だとか言っている場合じゃない。
わたしはウィナードさんを見た。彼は明らかに動揺をしている。
今なら。動揺している今なら、一太刀くらいは浴びせる事が出来るかもしれない。
「わたしは真珠。魔族で、魔王候補の者です。魔王になるために、勇者レイン。あなたと戦います」
重い剣を突き付けて、ウィナードさんに宣言する。
「真珠」
背後から、懐かしい名前で呼ばれた。
え? 背後?
振り向くと、ジェイクさんがこちらを見下ろしていた。
どうしてジェイクさんがわたしの名前を呼んだの?
「俺の名はジェイク・レイン」
え?
……レイン?
「勇者レインとして、名を賭けて戦おう」
勇者。
「あなたが――……」
勇者レイン?