一つの存在
頭の痛みと共に、真は意識を取り戻す。
眼前に広がるのは那穂に与えられた真の部屋。
先程まで見た物は夢なのか・・・。
そう考え安堵のため息を零した時、あのきつい臭いが鼻を伝う。
服にまで染み付いた臭い。
それが夢で無い事を知らせていた。
夢で無いと解った瞬間、背筋に冷たいものが過る。
――――――何故・・・生きている?
脳裏に過る不安。
真はまだ気だるい体に鞭を打ち、2人がいるであろうリビングへと向かう。
扉の開く音に、部屋に居た凪砂と那穂が振り返る。
「大丈夫?」
近寄る那穂に何も答えず、2人が座っていた対面側のソファーに腰を落とす。
未だ消えない不快感。決して良い状態とは言えない。それでも、問わなければならないのだ。
「・・・なんで・・・暗鬼が・・・」
「解らん。話には聞いていたが実際に見たのは初めてだな」
凪砂の応えに思考が止まる。
「え・・・だって・・・」
困惑し始めた真。
「もしかしたら、蒼間が真ちゃんを必要としなくなったか、真ちゃんを通して直接凪砂を討とうとしたとか?」
更なる那穂の言葉に真は完全に狼狽する。
「暗鬼は・・・狭間のものじゃないの?」
震えた声で問うた真に、2人の動きが止まる。
「どう言う意味だ?」
普段から表情を変えない凪砂の眼つきが更に鋭いものへ変わる。
「だって・・・狭間が暗鬼を仕向けてるって・・。だから私・・・」
「待って待って。一度落ち着いて。時間はあるんだから。
全部聞かせてくれない?」
那穂に宥められた真は今までの経緯を話す事にした。
前触れ無く突然真の学年を襲った暗鬼。無意識に真がそれを退治し、蒼間に保護された。そして、夜道に襲われた事。
全てを話したのはこれで2度目になる。
暗鬼は狭間の差し金と聞いている事も2人に告げた。
最後まで話した後、静かに那穂が口を開いた。
「蒼間が・・・暗鬼を遣っていたんじゃないの?」
「それは違うと思う。あれは一族総出で騙してるとは思えない」
狭間方が何か隠してるとは思えない。
――――――ならば・・・
「・・・第三者。他の一族が関与してるんじゃないの?前からずっと違和感感じてたから」
その問いに何かを考え込んでた凪砂が漸く口を開いた。
「考えられる事ではある。だが無理な話だ。暗鬼は確かに昔存在していた。
だが今では暗鬼に関する術式は存在しない。
記述も一切ない。誰も使えないんだ。
蒼間では無いとすれば、思い当たる節が無い」
はっきりと否定された。だが、そんな答えで納得行く筈がなかった。
「そもそも・・・暗鬼って何?」
「暗鬼は影だ。暗鬼が存在していたのは一族が分離する頃・・・大体室町から平安時代だな。お偉い連中の影贄として使われていた。
彼らの厄災を全て暗鬼が受けていたんだ。
詳しくは知らんが暗鬼は生き物。危険視されたんだろうな・・・いつしか暗鬼は一族から存在を消され今の式を使った物に変えていったんだ」
良く理解できないが、俯き、瞳を閉じると嫌でも浮かぶあの姿。
「あの暗鬼は何時もと違ってた。
大きさだって違ってたし・・・あんな臭いだって放って無かった。私が狙われてるの?」
2人に聞いても解らない事は解っていた。
やり場のない不安といら立ちが八つ当たりとなって2人にぶつけてしまう。
「俺はあの姿しか知らない。
暗鬼に遭った連中は狭間にも居たが殆どが死んでいる。
きっと人を殺す事によって成長を始めているな。あの腐臭もそれだろう。
陰の気を与え、人を弱らせる」
凪砂は真の八つ当たりを気にもしないように会話を進める。当られた事に気付いていないのだろう。
「あのさ、一度遥鳴さんと話し合う事は出来ないの?
第三者の可能性があるなら尚更・・・。この間みたいにさ」
「それは無理よ。この間は致し方なかったとは言え、簡単な事じゃないわ。
こんなこと他の一族に知られたらいくら当主でも血祭りよ」
真の訪ねを一蹴する那穂。
言い分もわからなくもないが空しさが過った。
大した答えも見出せないまま凪砂は自宅へと帰って行った。
真は先程まで寝ていた部屋に戻り、寝具に深く腰掛けていた。
頭の中を支配するのは蒼間と狭間と、暗鬼のみ。決して頭の切れない真には、どうすればいいのか、どうなるのか・・・混濁する考えに悩まされていた。
それでも、何かしたくて、何とか今の状況を進展させたかった真は携帯を手にした。
* * * * *
実家へと帰っていた幸希は雪乃の脅迫めいた物言いにより、再び戻って来ていた。呼出し先は雪乃の家。
雪乃が一人暮らしと知っているため、多少憚るものがあるが、そうも言っていられない。気を重くしながらチャイムを鳴らすと、雪乃は現れた。
「うわ・・・何その顔」
第一声。耳に障る発言をして。
「んで。用って何だよ。俺相当忙しいんだけど」
不快感を引きずったまま部屋に入り込み、座る幸希。
用意していたお茶を出しながら雪乃も腰を下ろす。
「何で帰ってたの?」
「別に・・・」
幸希は必要以上の詮索を嫌う。解りきっていた答え。
雪乃は切れる。何故戻っていたかなんて想像は着いていた。その証拠が今の顔だ。
「まぁ悪かったわね。
電話で話す内容じゃ無いと思ったのよ。
遥鳴さんに言うのもどうかと思って」
「呼び出したからにはそれ相応の内容なんだろ」
「別に私が行ってもよかったんだけどね・・・」
一呼吸して、雪乃は表情を変えた。
「真がまた暗鬼に襲われたって」
予想もしなかった発言に幸希の表情は強張る。
その反応を見て、確信した雪乃は自分が知っている事、今の状況を全て話した。携帯を渡し、まめに連絡を取り合っていた事、狭間の当主と共に居た時、再度暗鬼に襲われた事。その暗鬼が、以前よりも変わっていた事。
「真は更に蒼間を疑い出したみたい。仕方ないとは思うけどね」
信じがたかった。今まで正しいと思っていた事がこんな形で覆されるとは・・・この状況で真に誤解と説いても説得がない。
「蒼間を疑ってるのは嘘なんだけどね。
真が疑ってたのは第三者の存在。だからそのことについて何か知ってるんじゃないかと思って」
囁かな嘘。それは意図的ではないが、幸希が真を傷付けたことへの、雪乃なりの仕返し。しかしそれが幸希に効いていないのは解っていた。
「幸希が今何を調べてるのかは知らないけど、確実にこっちの方が解決に近いでしょ?
本当なら私が何とかしたいけど。下っ端に過ぎない私が出来る事なんて何一つ無いもの」
それには、自分の何も出来ない虚しさ、悔しさ、真を支えられない不甲斐無さが込められていた。
幸希は何も言わず、考え込んでいる。きっと殆ど寝ていない。一目見てわかるように、疲弊の色がはっきりと目の下に現れていた。
学校にも来ず、怠けて見える幸希。そんな奴が蒼間の中核であるというのだから屈辱なのだが、見えない所で働く。それを知っているから雪乃も直接何も言えない。言えない所か役にすら立たないのだ。
「悲しい事に話はそれだけなの。
真も言い過ぎた事には多少反省してるみたいよ?一度会って話してみたら?」
「そうだな・・・」
心此処にあらずといった感じで幸希は立ち上がった。
「帰るの?」
「嗚呼。悪いな」
少しでも休ませたかった雪乃の思いを余所に幸希は帰ってしまった。
小さな溜息が一つ零れた。




