2-3:「何かございましたでしょうか」
竜の雛の面倒を見るということで、受付業務と厨房業務は一時免除ということになった。
育児休暇をいただけるなんて……ああ、なんて真っ白な労働環境。
……なんて感動に浸ってる場合じゃない。リスク回避のためにも、竜神にバレてから行動するっていうのは絶対に避けたいところだ。
「あ、イリアちゃん。三人が受注した場所が分かったよ」
「ありがとうございます。流石デジレさん。仕事が早いですね」
「イリアちゃんに褒められると嬉しいねぇ。で、三人が依頼を受けたのはシバレミス支部。フィレアレミスの南東の街だね」
「依頼主は分かりますか?」
「勿論。依頼はシバレミス支部にある商業ギルド名義で出されてる。依頼内容は、シバレミス東部の森に現れたフィレアハウンドの討伐」
シバレミス東部の森といえば、耐暑性に優れた特産のオレンジを栽培していることで有名だ。特産品を守るために商業ギルドがケチな農業ギルドに先んじて依頼を出したとしても不思議じゃない。
不思議なのは、あの三人組がわざわざリュネヴィルを目指してきたってことだ。
アール砦やウィルヴィルを素通りしてきたとは考えにくいけど、その間にある国境のロンディナス山脈を越えてきたとしたら不自然すぎる。
……やっぱり、本人たちから話を聞かないと埒が明かないか。
「ピィ~……」
弱々しい声に視線を向けると、足元の雛がこくりこくりと舟を漕いでいた。
おねむですか。
「デジレさん、お忙しいところありがとうございました」
「いえいえ。また何かあったらいつでも言ってね」
身分としては私の方が低いのに。なんて器の大きい人だ。
私室のベッドに雛を寝かしつけて階段を下りていると、一階から罵声のような大声が聞こえた。急ぎ向かった一階のカウンターでは、四人組のギルド員とリアが対峙するように睨み合っていた。
「何かございましたでしょうか」
割って入るように現れた私に、男たちは下卑た笑みと視線を向ける。
「おう姉ちゃん。あんたにも忠告しとくが、ギルドが査定を誤魔化しちゃいけねえよ」
「誤魔化してません!」
キシャーと噛みつかんばかりの勢いで尻尾を立てるリアが可愛い。撫でたい。愛でたい。
和みかけた心を叱咤して男たちと向き合う。
「素材査定へのご不満でしょうか」
「何度も言わせんじゃねぇよ! てめぇらが査定で下手打ったってのに、俺たちゃわざわざ来てやったんだぜ!? ったく……まぁ言っても俺は平和主義だからよ。誠意を見せて貰えりゃ事を荒立てる気はねえよ」
「兄貴は暴れ出したら止まらねぇからなぁ~。こんな支部一溜まりもねえよ」
「なんならその体使って解消させといた方がこの支部のためだぜ?」
取り巻きともども、単なる脅しで実際にやる気はないのが見え見え。因みに、本当に怒りが爆発しそうなのはホールにいるお客様全員なんですけどね。数の暴力に曝されて魔物の気持ちでも知りたいんだろうか。
「査定リストはお持ちでしょうか」
「ああ!? ねぇよ! こっちは信頼して預けたってのによぉ! 後で振り込まれた金見たら少なすぎっから来たつってんだろうが!」
あー……一番面倒なクレームだ。
完全に換金されて、実物が無くなった後で査定に文句をつけてくる奴。こういう奴は大概常習で、以前別のところでクレームつけたらまかり通っちゃって味を占めたって馬鹿が多い。
それにしても……大声出せば主導権を握れるとでも思ってるのかな。
「登録証と依頼表はお持ちでしょうか」
「終わった依頼表なんざあるわけねえだろ。登録証は、っと。ほらよ!」
男は登録証を渡すでもなく投げつけてくる。別に取ることは造作もないけど、湧き上がる不快感は止められない。
へし折んぞこのボケ……。
いや駄目だ落ち着け。登録証は高いからダメ。登録証は高いからダメ。最悪事故に見せかけられる状況じゃなきゃ折っちゃダメ……ふう。
「……少々お待ちください」
「早くしねえと店が無くなっちまうかも、な!」
男が大剣を握り、空いてるカウンターの椅子に向けて振り下ろす。
重さと【剣術】スキルで鋭さを増した斬撃が、木製のカウンターチェアを理不尽に粉砕する。
……筈だった。
「がっ!?」
何かに護られただけの何の変哲もないカウンターチェアはビクともせずに、撃ち込まれた力の反作用だけを相手に返す。油断して衝撃をモロに受けた男は、手首に残るあまりの痛みに脂汗を浮かべる。
取り巻きの男たちは何事かと目を白黒させて、身に覚えのあるホールの数人が苦笑を浮かべていた。たぶん酔っぱらって転んで椅子に頭をぶつけた人たち。
「デジレさん、度々申し訳ありません」
「ギルドの問題は皆の問題」
それだけを言って登録証を受け取るデジレさん。
「イリア、私にもできることないかな」
そう言って事務室の奥から現れたのはアマベルさん。鑑定スキル持ちで、素材の査定を引き受けてくれるギルド職員だ。
いつもは人目を避けるように奥の査定室に籠ってるけど、自分の仕事を侮辱されて流石に頭に来てるらしい。とはいえ、直接突っかかっていったりせずに私に聞いてくるあたり流石に冷静だ。自分の正当性だけを説いても、ああいう手合いには効果ないしね。
でも、他にもカードが用意できるなら話は別。
「アマベルさんが一緒に説得していただけると助かります」
「わかった。了解」
二回も頷く程頭にきてるらしい。
クレーム処理の基本は謝罪。変に言い訳したり、歯向かって二次クレームになるのを防ぐためだ。
でもそれは商売の場合。
うちはギルド支部であって、ギルド員は客であっても顧客じゃない。持ちつ持たれつの関係だ。
それを分からせてあげようと思う。
「あったよ。22日前にうちで魔物討伐の依頼を受注してるね。その時魔物の素材で追加報酬を申請してる」
「その魔物と素材は分かりますか?」
「ちょっと待ってね。……あった。ロンドラット6体の討伐で、その皮が4枚に前歯と尻尾が5、目が6、それに爪が26、それと脳と心臓が2つずつだね」
「クロードさん、」
「了解」
もう名前だけで伝わるとか。命令してるみたいで罪悪感が湧いてくるんですが。
何にしても、申請された部位だけで彼らの実力が分かってしまう。マウス・ラット系の素材は大抵商業ギルドの調合師か魔法ギルドに売り渡される。その中で最も高値で取引されているのが脳と心臓だ。
これらの部位は魔法ギルドの触媒としてよく用いられるから、ある程度力のある人はマウス系の討伐の際には積極的に狙っていく。知らないなら素材の価値を語る資格なんてないし、そうじゃなければどちらも潰さなきゃ勝てないような実力しかないって自分で言うようなもの。
「22日前の相場だと、脳と心臓以外は状態の悪い物と良い物でもそれ程差が無いね」
クロードさんに視線が集中する。
一枚の紙を机に広げ、クロードさんが指で示しながら部位価格をピックアップする。
「皮は500~700、前歯が500~600、目は300~500だし、尻尾は500~700で爪は100~200。脳は30000~40000で心臓は20000~25000」
「最低111400、最高で147500ギルズですか……」
脳と心臓以外が良い物だったとしてもその差額じゃ食事一回が良いとこだし、狙いは脳と心臓の査定だろう。
「いや、おかしい」
異議を呟いたのはアマベルさん。
「ここのところロンドラットの脳と心臓を査定した覚えがない。覚えがあるのはラオブルマウスくらいだよ」
クロードさんに視線を向けると、案の定調査を始めていた。
そして頷く。
「そうだね。ラオブルマウスはともかくロンドラットのは二か月程前に急落してから一気に上昇して、それからは一向に相場が下がってない。需要に対して供給が追い付いていない証拠だし、それ以降出された採取依頼に回された様子もない」
二か月程前といえば、タイラントスパイダーが出た頃だ。
あの暴君で真っ先に追い出されたロンドラットはどんどん狩られて、急増した脳と心臓が市場に出回って価値が急落。激減したロンドラットは人里に下りてくる程の数もいないから、それらの部位が供給されること自体が減ってしまうわけだ。
そんな部位が査定に出されたら、まずは採取した本人に採取依頼の受注と達成に回すかどうかを確認するはず。うっかり連合の業者に卸しちゃいましたーなんて凡ミスをする人、うちの事務にはいません。
「デジレさん、依頼主の情報はありますか?」
「うん。依頼主はウィルヴィル郊外にある炭鉱の持ち主だね。どうも炭鉱の中に潜んでいたらしくて、その討伐を頼んだって流れみたい」
炭鉱ってことは、所属してるのは工業ギルド。
素材を降ろす機会がなければその価値もわからない……かな。価値が分かってれば、素材で追加報酬とか設ける筈だし。
ていうかウィルヴィルのギルド職員が依頼作成のときに話してないのがおかしい。あそこのお役所仕事はここまで酷いか。
「イリア」
「はい」
デジレさんに渡されたのは登録証。この不思議技術には討伐目標をカウントする機能が備わっていて、それはつまり、どこでどの魔物を討伐したかを逆算することも可能というわけだ。
候補となるのはラオブルマウス。正式にはラオロア・ブルーマウスといって、他のラオロアマウスよりも一回り程大きく、雑食性で生息環境は多湿で光素の少ない地域を好む。青色の毛並みは多湿な地域に満ちる水の因子の影響だ。
対して正式名称をロンドヴィル・ラットというロンドラット。この巨大なネズミのような魔物はラオロアマウスよりは大きいものの、他の地域に生息する固有種に比べれば小柄。他の固有種が軒並み巨体なロンドヴィルでの生息を可能とするために雑食で、また逃げ延びやすいよう複雑で死角の多い森林地帯を好む。巣を地中に作るため、毛並みは土の因子に近い黄色。
この二種類のネズミは、体格や食性・生息環境の類似性から非常によく似た内部構造をしていて、外見に至っては青と黄色という全く異なる毛色でしか見分けがつかない。
それでも、特殊職業・ベテラン鑑定士で強化された【鑑定】スキル持ちのアマベルさんなら、この程度は難なく見分けられるだろう。
「……ありました。ウィルヴィルの炭鉱でロンドラットを討伐した後、ロンディナスの麓にある森林でラオブルマウスを討伐しています」
ロンドラットで一山当てようと考えたけど思うように行かず、似てるラオブルマウスで騙そうとしたわけだ。わざわざリュネヴィルに来たのは、生息地域が近くて警戒が身についてるウィルヴィルを避けたからだろう。依頼作成と違って査定ミスは支部の損益に直結するから、さすがに慎重にやるだろうし。
「間違いなさそうだね」
アマベルさんが俄かに殺気立つ。
あとはこれらの情報をうまく使って相手のミスを誘導するだけなんだけど、この様子だと話し合いになるかどうかすら怪しく思えてしまう。【話術】スキルに適正がないのって、この性格のせいなのかもしれない。
「話は聞かせてもらった」
少し前からいたのにずっと黙り込んでた支部長が名乗りをあげる。
ずっとお腹を擦っていたから調子が悪いのかと思ったけど、自分から参加してくる辺りそうでもないらしい。
「あ、支部長。いたんですか」
「おはようございます、フランクさん」
デジレさんとクロードさんの挨拶に、
「うん。おはよう」
「で、どうするイリア」
「おいクロード、お前わざとやってるだろ」
いじられるフランクさん。
なめられてるのと親しまれてるのって紙一重だけど、フランクさんはきっと後者だ。
……たぶん。
「イリア、ここは私に任せて部屋に戻ってくれ」
「え、いいんですか?」
私以上に意外そうな顔を全員が浮かべる。
そして次の瞬間には不安そうな表情に変化した。
フランクさん、部下に任せているのであって仕事をしてないわけじゃないんだけど、それがあまりにも縁の下すぎて皆に認めてもらえてないらしい。
ここは一つ【話術】スキル持ちの実力にお任せして、支部長の威厳を見せつけていただこう。やっぱりいい組織にはいいリーダーがいるものだし。
「では宜しくお願いします」
「うん。早く行ってあげてくれ」
その一言で、何故フランクさんがお腹を擦っているのか分かってしまった。
「失礼します。私は支部長のフランク・デシャンと申します」
「お、おう。受付じゃ話にならねぇ。とっとと査定をやり直しやがれ」
「畏まりました。では、改めて二、三質問させていただきますが、申請されました――――」
カウンターから聞こえる声に耳を傾けながら階段を上っていくと、次第に鈍い音と鳴き声が聞こえてくる。ドカッ、ピィ、ドカッドカッ、ピィ~、ドカッピィー。
ああ、この支部全体に物理保護貼っておいて良かった。
「ピィ~!」
ドアを開けると、雛が一目散に突撃してくる。高い【剛体】スキルのおかげか、ダメージを負った様子はなくて良かった。
この直撃を受けて無事なんだから、本当にフランクさんって昼行燈。
「ピィッ、ピ、ピィ~ッ」
「よしよし、ごめんね」
全身全霊で寂しさを紛らわせようとしてくる雛を撫でる。
流石の通訳チートも赤ちゃんの言葉までは理解できません。言葉を翻訳するのであって、意志を言葉に変換するわけじゃないからね。うわ~んっていう大人の泣き声を言葉に変換できないのと一緒。
「ピィ~……」
凭れ掛かってくるだけになったところを見ると、鬱憤は晴らし終えたらしい。
抱きしめてベッドに座ると、雛は前掛けの上に丸まって大人しくなった。体力も結構減ってるし、暴れたせいで疲れたのかもしれない。
撫でていると気持ちよさそうに目を閉じて首を下ろしていく。こんなに可愛いのに、最終的には人を丸呑みできるくらいの大きいドラゴンに育つんだよ? 時って残酷だね。