8-7:「私は――」
それから三日後。
戦力のあるほとんどの地域が一斉に攻勢をかけられたことで、ロンドヴィル全域で増加した魔物の掃討を完了することができた。
ロンドヴィルのあちこちで歓声が上がり、それは隣国にも聞こえるほどだったとか。
裂けた地面の埋め立てや街道の補修、それに家屋の修繕……魔物の掃除なんかはギルド員が積極的にやってくれるだろうけど、色んなことが元通りになるには時間がかかる。
……もちろん、元通りにならないものもある。
だけど、支部を訪れた人には笑顔があった。
行きかう人にも笑顔があった。
街中が、笑顔であふれていた。
『褒めてイリアー!』
『聞いてイリア! ダーリンがかっこ良かったの!』
『終わったよイリア――楽しみにしててねイリア姉!』
『無事終わったわ~。うふふ、待ってるわね~』
『無事完了した。報告だけはしておこうと思ってね』
『終わったぜイリア! やった! やったんだぜ俺たち!』
『あー、ダルかった。まぁ一件落着だ。安心しろ』
『報告させていただきます。万事、大事なく終了しました』
守りたかったものを守れたり、自分の信念を貫くことができたんだろう。
報告してくれた声も、みんな嬉しそうだった。
世界中で起こった全ての困難……邪神は返り討ちにして魔物は乗り切ることができた。
少なくない犠牲が出たけど、これで後は、終息に向かうだけ。
そんな予想を裏付けるように、やがて連絡網も復活。
これを終息宣言と捉え、私は教会に向かった。
私が来るのを知っていたように壇上に立ち、こちらを見る男性の視線を受け止める。
その視線に込められた感情はよく分からないけど、少なくとも快く思ってはいなさそう。
そんな男性……使徒さんは一歩踏み出して口を開いた。
「……全て貴女の読み通り、ですか?」
大精霊もこの人も邪神も、私を一体なんだと思ってるんでしょうね。
「いえ」
むしろ、被害は予想より大きかったし、多かった。
そんな私の内心を呼んだかのように、使徒さんはまた一歩足を踏み出して、言う。
「なら、何故手を御貸しにならないのですか?」
「私の手はいりません。貴方が言う程、この世界の人々は弱くない」
人は強い。
個人はどうあれ、人と言う種は、この世界のどの種よりも強い。
でも、使徒さんに同意は得られなかった。
「世界は救いを求めています。移ろい変わる、揺蕩う様な支配者ではなく、心の拠り所となる神を求めている! その仮初の器が最大の宗教であるラトヴェスター教であり、国やギルドといった多数による力です!」
ですが、と使徒さんは続ける。
「人々はその真の脆さを知った! 支配者は全てを救えない! 祈り続けるだけでは何も救えない! そう気付いたのです! 今こそ、人々は唯一の神を求めているのです!」
そうしたのはあんたじゃん。
なんて野暮なことは言いませんけど、使徒さんの言うことにも一理あるとは思います。
人が何かに所属するのは、自分の弱さ……個の弱さを知っているから。
集まり、寄り添い、助け合って……人の社会はできている。
でもそれは、ともすれば集まった人々を殺すような脆弱さと、食らいつくすような狂暴性も秘めてるんですよね。
今回の件でも、ロンドヴィルを含め、幾つかの国や支部は不始末の責任を追及されるだろうし、神や世界樹に祈っても大事な人を失った人は、誰かに祈ることはなくなると思う。
縋るものを失くしてしまった人たちは、支えをなくしてしまった人たちは、簡単には立ち上がれないかもしれない。
それに、今までに思ったことがある人は改めて思うだろうし、気付かずにいた人は知ってしまったと思う。
国もギルドも宗教も、絶対じゃないってことに。
「……以前お話ししましたが、未曽有の危機が迫っています。それは今回とは比較にならない災厄となるでしょう」
静かに……でも強い口調で言う使徒さんは、私をじっと見据えながら続く言葉を口にした。
「神におなり下さい。さもなければ、この世界は滅びの道を辿るでしょう」
言いたいことは色々あるけど、私の言葉で、私の考えを伝えよう。
それがたぶん、この世界のことを本当に思ってる使徒さんに対する、最低限の礼儀だと思うから。
「私は紛い物です」
あの光のドジで紛れ込んだ、本来この世界にはなかった筈のモノ。
私の言葉に使徒さんの表情が強張り、視線が強くなる。
それでも、まだ言葉を止めるつもりはありません。
「神がいなければ滅びるというなら、いずれ本物の神の器が現れます。纏まらなければならないというのなら、いずれ本物の統治者が現れます。貴方の言う、世界を救うために」
それが、この世界の仕組みだから。
全てが繋がり混じりあってるこの世界だから……悪が生まれるっていうのなら、それを倒す英雄は必ず現れる。
それはもう生まれてるのかもしれないし、これから生まれるのかもしれない。
人は弱くない。
今回の件を、私の友達や大勢の人が手を取り合って鎮めたように……この世界の誰かが、必ず世界を救ってくれる。
そう私は信じてる。
この世界のみんなを信じてる。
「では何故」
私の言葉が終わったと判断したんだろう。
使徒さんは言う。
「自らを紛い物と蔑み、世界に危機は無いと言うのであれば、何故貴女は人を助けるような真似をするのですか?」
「当たり前じゃないですか」
本当に理解できないらしく、使徒さんは怪訝とした表情を浮かべる。
「今もこの世界のどこかでは誰かが困っていて、本人や別の誰かがそれをどうにかしたいと思っています。その思いを聞き入れた人たちが起ったら、私はそれを助ます」
「……なぜ、困っている者に直接手を差し伸べてはいただけないのですか」
その答えも簡単。
「私がやったら、誰も成長しないじゃないですか」
それじゃ意味がない。
それは今回の件で証明されたしね。
皆、本当に強くなった。
皆、傷ついて、悲しんで、立ち止まって、泣き崩れていた。
それでも立ち上がって、足を踏み出して進む強さを持った。
私が手を出さなければ救えないと言われた試練を乗り越えるほど、強くなった。
それが、本当に嬉しい。
少しだけ目を伏せ、湧いて出た自己嫌悪を抑え込む。
使徒さんの身動ぎする音が聞こえて目を開くと、視界の先では、彼がまた一歩近づいていた。
その表情に笑顔は見えないけど、明らかに希望を見つけたような目の輝きがあった。
「それこそ、それこそ神としての――」
「違いますよ」
言い切る前に言葉を遮る。
そんなんじゃない。そんな風に思われたくない。
これは私自身のためであって、私の我儘だから。
人に試練を与えて成長を促す――神の役割なんて、思われたくない。
「これは、私が受付だからです」
「……受付?」
「はい」
理解できず、呟くような使徒さんの声に、私は頷く。
浮かべるのはいつもの笑顔。
そう。
これは私の役目。私の自己満足。
「ギルドは皆で助け合う組織で、ギルド連合はギルド員を補助する組織です。だから」
世界のためじゃない。
誰かのために頑張るギルド員のため……
今、この瞬間を生きる人たちのために、
「誠心誠意、依頼が成功するようご助力いたします」
それが今の、私の在り方。
「私は、ギルドの受付嬢ですから」