1-2:「御武運を」
ぐっすり眠ってぱっちり起きた早朝。
シャワーを浴びて歯を磨いて、拘束装備から専用装備に着替える。
純白の生地にところどころ水色の紐があしらわれたブラ、ショーツ、ロンググローブ、サイハイソックス……鑑定スキルで表示される名称は[巫女の枷]シリーズだ。
もともとは邪神の生贄にされる女の子のステータスを低下させる呪具だったんだけど、邪神をぶっ殺して譲り受けた。
【錬成】スキルで装備効果を20倍にして、装備品の効果を倍増させる首飾り[神の加護]を装備して、これでステータスを四百分の一に低下することができるようになった。やっと手加減すれば大の大人並みの化け物レベルに落ち着いたわけだけど、どうせならステータスだけじゃなくてサブステータスまで低下させて欲しかった。
で、エプロンドレスを着て一階に下りる。まだ出勤時間じゃないけど、顔を出しておくのが習慣になっていた。起きてるから手伝えることがあったら言ってください、みたいな感じ。
「おはようございます」
ホールに顔を出して、受付の二人にも声をかけておく。
はっきり言って野郎の相手をしなきゃいけない受付業務は鬱だから、不快な思いをさせて辞めて欲しくないしね。人間関係は大切に。
「あ、おはようイリア」
「おはよう」
今日の受付にはリアがいた。
短めのスカートの下で揺れる尻尾が可愛さ倍増。癒される。
もう一人は普人のリュック。ハーフエルフ嫌いのとばっちりでエルフが嫌いなのか、あまり話しかけてこない。こっちとしてはありがたい限りだ。
「エクトルさんが探してたよ。見つけたらすぐ来てほしいって」
「エクトルさん? わかった」
「わ、わかったって言いながら、どうして撫でるのをやめてくれないの?」
リアが可愛いからだ。
もう少し癒させておくれ、と思っていたら、客らしき二人組が来店してしまった。
仕方ない。エクトルさんのところに向かおう。
エクトルさんはこの街の領主。
なんとかっていう戦争ですごい戦果をあげたおかげで爵位と領地を貰えたけど、平民上がりだからこんな何にもないところに追っ払われてしまった人だ。因みにこれ、自分で言っていた。
フランクさんよりも気さくな人で、しょっちゅう街を散策する。仕事はないのだろうか。
領主の館の前まで来たけど、門番の人に止められてしまった。なんでも西門のほうに行っているとか。上司のたらい回しには慣れています。
西門に着くと、門番の騎士と護衛に囲まれてエクトルさんが何やら難しい顔をしていた。
「おはようございます」
「ああ、イリア。おはよう。呼びだててしまって申し訳ない」
頭を下げるエクトルさん。
あまり領主が人に遜ってはいけない気がするけど、周りの人も苦笑してるくらいだし放って置くことにした。
「いえ。それより、何か問題ですか?」
私を呼ぶということは、十中八九ギルドへの依頼絡みだ。
渉外担当は大抵支部にいないし、事務員は書類と情報伝達関連で事務室から動けないし、支部長が支部からひょいひょい離れられるのも問題があるから。
フットワークが軽いといえば聞こえはいいけど、結局使いっ走りですよね。慣れてますけど。
「まだ確証はないんだが……どうやら西の街道にロンドベアが出たらしい」
ロンドヴィル・ベア。通称ロンドベア。ロンドヴィルの国中に生息する、前肢が強大に発達した熊型の魔物だ。魔物にしては温厚で雑食だから危険度は低いけど、冬眠から起きた直後や、攻撃をしかけて狂暴化すると下手な傭兵では手に負えなくなる、比較的高レベル帯に位置している。
だけど、今は春も半ば。雑食の彼らが街道に出てまで食料を探す理由は無い。
なにせ西の街道の南には、人が立ち入ることのできない魔物の巣食う密林が広がっているからだ。
食料を求めて街道に出ているとしたら、行商のような一般人にとっては最悪の部類だ。
「……妙ですね」
食料のことだけではない。
昨日四人組の受けた依頼で魔物を討伐する地域もここ、西の街道近くだった。
杞憂ならいいけど、関連しているとしたら厄介なことになる。
「一度支部に戻って調べてみます。討伐依頼は出されますか?」
「ああ。見積もりを頼む」
「はい。では後程」
支部に戻ると。食堂には朝食を食べに来た人でそれなりの賑わいをみせていた。
お前ら働け!
「クロードさん、ロンドベア討伐依頼の報酬の見積もり、よろしくお願いします」
「ロンドベアね。わかった! 相場はどんなかな~」
実際には現在のロンドベアと同ランクの魔物討伐依頼の相場と、ロンドベアの素材の相場も含めた討伐依頼の報酬の見積もり。クロードさんは言わなくても分かってくれる。
「デジレさんは西の街道周辺の討伐依頼の検索をお願いします」
「二か月くらいでいい?」
「はい。お願いします」
皆私よりベテランなのに聞き分けよすぎ。しかも仕事の速い有能な人ばかりで本当に助かる。
私は外で調べもの。服は……このままでいいや。
視線を感じて振り向くと、リアとリュックがぼーっとこっちを見ていた。
「どうしかした?」
「う、ううん! なんでもない!」
上司に見つかったわけでもないのに、真っ赤になるほど慌てて受付に戻るリア。
可愛いけど、ちゃんと仕事はしようね。
リュックはどうでもいい。
支部の裏口から出て南門に向かう。
「お、イリアちゃん。おでかけかい?」
「はい。少し散策です」
「気をつけてな」
「ありがとうございます」
この世界でも御多分に漏れずエルフは人間嫌いだ。だから私のような人間社会で仕事をしている生粋のエルフは極稀で、顔パスできるくらい知れ渡っていたりする。
決して服装のせいではないと思いたい。
さて、南門から少し迂回するように南西の密林へと歩みを進める。
とはいっても、足を踏み入れる必要はない。
ていうか虫多くて無理。
「このあたりでいいかな」
周囲を見回しても人の気配はない。
よし。
固有スキル【千里眼】発動っと。
「ぎゃぁああああああああ!」
む、む、虫っ、虫がいっぱいいっぱ、いっぱ――……
失☆神
うう……、気持ち悪い……。
「イ、イリアちゃん!? 大丈夫かい!?」
帰る途中、南門の門番さんが心配そうに近寄ってくる。
ああ、大丈夫そうに見えますか……?
なんて愚痴をいうくらい精神的にやられてるし、それを口にできないくらい心が折れてます。
「大丈夫です。すこし日光に当たり過ぎて……」
「そ、そうか。そうだよな」
我ながらなんだその言い訳はと思ったけど、門番さんはすんなりと理解してくれた。
そんなに病弱な印象をもたれていたんだろうか。
「歩けるかい?」
「はい……大丈夫です」
だから服に着いた土を落とすふりして尻を触るな。
ショック療法で少し持ち直しちゃっただろうが。
「あ、イリアおかえり」
「うう~……リア~」
「ふぎゃっ!?」
リアに抱き着き心を癒す。
カウンターで受け付け待ってる人が見えるけど知らん。
回復するまで頑張れリュック。
「タイラントスパイダー……」
見積もりを受け取りに来たエクトルさんは応接室でその名前を聞いて硬直してしまった。
タイラントスパイダー。体と頭の比率は普通の蜘蛛と同じくらいだけど、体に対して小さな頭部が人間の大人くらいある馬鹿デカイ蜘蛛。
人を丸呑みするくらい大きな口に、下手な武器では傷つかない外骨格をもつ。鉄も砕く牙と爪には麻痺毒があり、生きたまま骨を粉々にして丸呑みするのを好む。悪趣味だ。
しかもじゃかじゃか動いてすばしっこいし、糸は下位魔術じゃ燃えない、生半可な刃物じゃ切れない強度をもつっていうね。
あれだ。ボスです。暴君っていってるもの。
しかもボスクラスの中でも上位。
そりゃあんなのが密林のなかにいたんじゃ他の魔物は怖くて追い出されちゃうよね。
っていうのが、ここ最近の西の街道周辺で頻発した魔物討伐からの推測。
密林の浅いところに住んでる魔物から順番に出てきてたし、たぶん間違いない。
同席したフランクさんもさすがに苦い顔をしてる。
「では、イリア。これからも密林から追われた魔物が押し寄せてくる、と君は考えているわけだ」
「はい。西のウィルヴィルと密林より南西のアール砦に問い合わせれば、より確証を得られると思います」
たぶんどっちも密林から出てきた魔物の討伐依頼が増えてるだろうし。
むしろ、そっちに流れていない方が怖い。操られてこっちに流されてる可能性なんて考えたくない。
「フランク。支部長としての意見を聞きたい」
「タイラントスパイダーは災害指定の魔物です。傭兵ギルドと魔法ギルドで連携して大々的に参加者を募り、速やかに対処に当たるのが賢明でしょうね」
「どれくらいかかる」
エクトルさんの視線は私に向けられていた。
使い魔の伝令で連合本部に知らせるのは一日で済むとして、そこから各ギルドが集まって……各支部に依頼を出して、集めるのに五日はかけたいけどそれじゃ遅すぎるし……リュネヴィルにくるとなると……。
災害指定なら国から報酬は貰えるから上限は取り敢えず排除して……複数の編成……あの強度だし、きっとギルドも参加ランクの下限特例は制限するはずだから……。
「出発まで十日ですね。報酬は2000万ギルズで山分けってところでしょうか」
ギルズっていうのは、ギルドが発行してる通貨。金や銀、銅なんかの含有率で値が変動する各国の通貨ではなく、普遍・世界共通の通貨として生まれた。転がして利益を出そうっていう人を出さないように、各国の通貨からの換金しか受け付けてなかったり色々しがらみはあるけど、おかげで世界で最も安心安全ってことで広く普及してる通貨でもある。
閑話休題。
「十日で集められるか?」
「2000万で済むのか?」
二人の疑問は別々だった。
「十日なのはそもそも時間に余裕がないというのもありますが、篩いにかける意味もあります。実力のある方々は行動力もありますから」
色々な意味で。
「2000万は基本報酬です。持ち帰った素材で追加報酬とすれば文句は出ないでしょう」
そもそも、ある程度上位にランク付けされるギルド員は皆金以上に素材に飢えている場合が多い。
戦士なら武器や防具の素材。魔術師なら媒体や研究の素材といった具合に。
だから、素材強制引き取り額込みの報酬金額よりそっちの条件のほうが美味しいはず。
「十日後、集まった人員で成功する見込みがないようでしたら騎士団の方に依頼することになりますので、エクトルさんは騎士団が十四日後にこちらに到着するよう手配をお願いします」
二人は苦笑いを零す。
「本部と国を脅す気か」
「まさか」
気を悪くされたようなので、精一杯の笑顔を作る。
こちらとしては善意でしかない。
本部には、2000万と珍しい素材が手に入りますよ。でもさっさとしないと国が掻っ攫っちゃいますよ。ってこと。
国には、2000万(+ギルド支部への仲介料)払うより騎士団五十人のひと月の給料と兵糧の方が安いですよね。ギルドに先を越されないよう頑張ってください。ってことだ。
ほら、善意じゃないか。ギルドの方が有利なのは、支部で働かせているので。
「時間がないのは確かだが、少し急ぎ過ぎじゃないか?」
「だって、蜘蛛とか気持ち悪いじゃないですか」
「「 …… 」」
本気で答えたのに、余計呆れられたのは釈然としない。
「今回の依頼ですが、依頼主は私名義でも宜しいでしょうか」
「構わないが……」
「理由を聞いても?」
確かに街の一大事にたかがギルド支部の受付如きが依頼を出すというのは不自然だ。二人が訝しむのはわかるけど、そんな大それた理由はなかったりする。
「保険ですよ」
期日となる十日後。
集まったのはたったの5人。
でも、応接室に迎い入れたフランクさんと、同席してるエクトルさんは失望した表情はしていない。
というか、困惑して頭が追いつかないって感じだ。
「イリアイリアイッリアぁ~っ!」
「痛いですよ、ルーラ」
さっきから抱き着いて頬ずりしてくるのは、褐色の肌と長い耳を持ったダークエルフのルーラだ。
本来犬猿の仲であるエルフとダークエルフだけど、私たちは異端だから仲がいい。……というか、ルーラが完全に懐いてしまっている。というか好かれている。愛されている。
百合っこである。
だが、ダークエルフという特性のとおり魔術スキルに長け、古代魔術を使う二人のうちの一人でもある。最後に会ったときは職業が魔道士だったけど、今ではさらに高位の魔導師。ステータスも魔術特化だ。
「羨ましい……」
「クぅリぃスぅ~?」
「ひぃっ! 嘘です! だからその振り上げた拳を下ろそう!」
「セレナ。今のはきっと、俺もセレナとイチャイチャしたいな~ってことだよ」
「え? ……えぇ~!?」
「ばっ、何言ってんだエリック!」
そんな漫才を繰り返しているのは、傭兵ギルドの三人組〈常夜の星〉。剣士クリスと闘士セレナ、それと召喚術師のエリックだ。この三人と会ったのは、東の列島諸国を彷徨ってた時かな。悪魔を倒す旅だかなんだかで、一緒に公爵だかなんだかの大悪魔を倒した覚えがある。みんな二十歳になってないのに馬鹿みたいに強い子たちだ。……実年齢は私の方が下なんだけどさ。
まぁとにかく、みんな元気で旅を続けられてるみたいで良かった。
「イリア様。私を弟子に」
「嫌」
「そんな……」
崩れ落ちたエルフの青年。エルフは嫌いだ。以上。
「貴様ルーラ……! ダークエルフの分際でイリア様に触れるな!」
「……あんた誰?」
抱き着いたままルーラは青年を見下す。
「ふ、フフフ……鎮まれウンディーネ。標本にするのはまだ早い」
「すごい……精霊だったんだ……」
青年の隣にいる女性に漲る力を見て声を上げたのはセレナだ。精霊魔術の適正あるよって教えてあげたけど、まだ手を出してなかったんだね。っていうか、大精霊以外見えてない? スキルは初期値ですら結構上なのに……なんでだろ。
「ウンディーネ……エルフ……あー! あんたヨルクか! エルフの泉の大精霊と契約したバカエルフ!」
「口に気をつけろ黒エルフ。貴様を今この瞬間に氷漬けにすることも我らには可能なのだぞ」
「ハッ。その前にペシャンコにしてやんよ!」
成長しない人たち。人間より寿命がある分、精神年齢の成長速度も遅いんだろうか。
「二人とも、それくらいにしなさい」
「は~い」
「ハッ」
よし、静かになった。
「申し訳ありません」
茫然としてるエクトルさんとフランクさんに頭を下げると、二人は狼狽してしまった。
「いや、いいんだよ。数より質とはこのことだ」
フランクさんの言うとおりなんだけどさ。
っていうか、このメンバーなら魔王どころか邪神も倒せるんじゃないだろうか。
「エクトル様、お手数ですが騎士団への通達をお願いしてもよろしいでしょうか。このメンバーを知らせていただければ、問題もないでしょう」
「あ、ああ。それがな、騎士団の派遣は中止された」
「え?」
あの国王、正気か?
「そういきり立つな。ギルド連合から派遣の必要はないと通達があったらしくてな」
「あー、それ俺らのせいかも」
片頬の腫れたクレスがおどけながら言う。
「傭兵ギルドのおっちゃんに、俺らが行くから心配すんなって言っちゃったんだよね」
「成程……」
得心がいった。傭兵ギルドも魔法ギルドも、募集閉め切っちゃったんだね。
だから、こんなに人が少なかったんだね。
「その代わりと言いますか、常夜の星の方々には登城する旨を陛下から承っております」
「うへぇ。めんどくせ」
何をさせるつもりか知らないけど、2000万払うかわりに三人を呼び寄せる算段だったのか。確かに、そうでもしないとすっぽかしそうだもんね。
「あれ? でもそれならどうしてルーラたちは依頼を受けることができたんですか?」
「そりゃ勿論、ギルドに依頼出したでしょ? イリアの名前で」
「イリア様からのご依頼は見つけ次第報告するよう、魔法ギルドの職員には仰せつけておりますので」
二人の執着がちょっと怖い。保険程度だったけど、今後は止めようかな。危険な気がする。
ともあれ、依頼的には全く問題なしだ。
「注意事項です。持ち帰った素材には品質鑑定を行いますので、くれぐれも留意してください」
「「「 はーい 」」」
炭なんか持ってこられても困るよ、と。
「あまり生態系を壊さないでくださいね。……御武運を」
蜘蛛よ。安らかに眠れ。