5-1:「おかえりなさい」
今回から五話です
闘技場。
傭兵ギルド員同士、魔法ギルド員同士が戦うことを認められる唯一の場であり、個人戦、チーム戦共に上位ランカーになることは、彼らにとっても最高の誉れの一つに数えられる。
特に戦闘能力が直接加味されないギルドランクに不満を持つ者にとっては、その力を示し、認められる絶好の場所でもあった。
それに、その恩恵を受けるのは闘士だけじゃない。
武器や防具を提供する鍛冶屋、的や障害物を造る鋳造・木工といった工業ギルドは勿論、観客に飲食物を売る商業ギルドにとっても、闘技場というのは金のなる木に違いない。
闘技場の保持者となる領主、経営を任される連合ギルドにとってもいい収入源となり、訪れる観客は安全な位置から血沸き肉躍る戦いを眺められることで、いいストレス解消にもなる。
当たり前なことだけど、問題がなかったわけじゃない。
オーブワイト王国の首都にあった闘技場で一番問題となったのは、貴族による八百長騒動。
暗黙の了解で行われていた地下賭博場はオーブワイト貴族のいい収入になっていたみたいだけど、それを良しとしない……というか、対立派閥の貴族の密偵による内部告発により八百長が発覚。公にはできないまでも、八百長の事実は瞬く間に民衆へと広まった。
そこでかなりの客が減ったけど、その時点ではまだ閉鎖する程じゃなかった。
決定的な打撃になったのは、貴族の主導によるギルド員の捕縛。
八百長を暴いた側の貴族が更に追い詰めようと欲を出して、八百長を行った者の証言を得ることで、自分たちの勝ちをより確実にしようとした。
でも流石にそこまで馬鹿じゃなかったのか、密偵を出す前に八百長を行ったとされる闘士の情報を掴むことができず、罪の内容に関わらず前科のある者を捕縛するという暴挙に出た。
結果は信用の失墜。ギルドからの反発とギルド員の不参加という事態に陥り、程無くしてオーブワイトの闘技場は閉鎖されるに至った。
こういった闘技場の話は連合の職員として無関係じゃないけど、リュネヴィル支部には結局他人事でしかなかった。
「総会で、リュネヴィルに闘技場を造ることになった」
そうフランクさんが言うまでは。
ゲーム大会が終わってから、数日が経った頃。
『異常? 特にないかな。神子のねーちゃんだって何か感じてるわけじゃないんだろ?』
『ええ。ですが、私よりあなたの方が空気の変化には敏いでしょう?』
シルフはけらけらと笑った。
その姿は等身大の活発そうな少女といった風貌だから、シルフィードと呼ぶべきかもしれない。けど、中性的な印象は男性の姿でも女性の姿でも変わらない。
『やる気ないだけのねーちゃんに褒められてもなー』
『シルフ! 先程から聞いていれば、神子様に対し何たる――』
ノームの乱入で話は途切れてしまったけど、結局シルフも何か変化を感じているわけではないらしい。
それから程無くして、ノームの説教を嫌ったシルフに急かされるように、ニーナとエリアスさんは列島諸国連合へと帰郷。
その頃には、ロンドヴィル一帯の気候は少し肌寒い平年の冬に戻っていた。
そして、彼女たちと入れ替わるように帰ってきたのがフランクさん。
「あれ、フランクさんどこか行ってたんですか?」
「クロード、お前のぶんのお土産は無しだ」
「心細かったよフランクさぁ~ん!」
「おーよしよし。シンシアは腹黒いなぁ」
やっぱり、フランクさんがいると支部の空気が柔らかくなる。
そんな様子を眺めていたら、フランクさんが向かってくるのを捉えた。
「ただいま、イリア。ハクも」
「おかえりなさい」
「ピィっ」
ハクを撫でて、堪能したフランクさんは袋を差し出した。
なんか、前世で単身赴任から帰ってきた父さんの姿が過ったのはなんでだろう。機嫌をとるような感じ。
忘れられるのが怖い……とかじゃないよね。こんなに愛されているんだもの。
……嫌な予感がしないわけじゃないけど、【神の目】で見えてしまった中身に問題は無い。
「ギルダーポートの特産のナッツとマンゴーで作ったお菓子だよ。最近できたらしいから、君も知らないと思って」
「お気遣い痛み入ります。でも、無事に帰ってきて来てくださったことがなによりです」
「あ、ああ」
見るからに動揺するフランクさん。私は確信した。
絶対何か隠してる。
と、私の視線から逃れる様に、フランクさんはシフト表に目を向けた。
「イリアはこれから受付か」
「はい」
「私はエクトルさんのところに行ってくる。夕方には帰ってくるから、その時に部屋に来てくれ」
「畏まりました」
ここで言う部屋っていうのは執務室のことであって、私室のことじゃない。
それを職員の皆は知ってるから、勿論下種な想像を働かせたりすることはしない。
「聞き捨てならんな」
そう。職員は。
いきなり事務室に現れた男に、全員の視線が集中する。とはいえ、驚いているのは初見となるフランクさんだけ。
現状を把握できていないフランクさんに、男は名乗りを挙げる。
「俺は泉の里の長老にして、イリアの婚や」
「まだいたんですか? 早く帰ってください」
言葉を遮られるも、私に文句ひとつ言うこともできず固まるジジイ。
本当に早く帰ってほしい。私の幸せな時間を邪魔すんな。
そんな私の願いが叶うことは無く、ジジイはふっと笑みを浮かべる。
「俺にまた何年も待てと? ……無体なことを言うな。寂しさで死んでしまうぞ」
死ねばいいのに。……とはさすがに言わないけど、いい年した大人が偉そうに小動物みたいな主張しても引くだけだ。ダメ人間が好きな人にでも貰われろ。
と、いつまでもジジイに感けている暇は無いので、フランクさんに向き直る。
「夕食は如何しますか?」
「え? あ、こっちでとるよ。そうだな……発つ前に食べたカレーを食べようかな」
「わかりました。明日の分の仕込がありますから、作っておきますね」
「あ、フランクさんだけずるい! 私も!」
ラシェルが言い出したことで、人数分のカレーを取っておくことになってしまった。雪まつりに出したことが宣伝になってしまったのか、週末限定ながら今ではうちの人気商品。昼までには完売してしまうっていう有様だったりする。
食事に関するインセンティブが無いから、殆どの職員はカレーに有りつけない。
「わかった。皆の分も作るね。でも、今回だけだよ?」
言いながら浮かべてしまった苦笑には罪悪感が含まれてる。
カレーが売り切れになってしまうのは、宿の不足の時とは違って計画的なもの。私が造る量を制限して、希少価値を高めてるからだ。
理由は単純で、材料が希少だから。
スキルを使えば簡単に増やせるけど、業者さんの目を誤魔化さなきゃいけないし、何よりパーシャに言った言葉がある。
今は取りあえず香辛料の有用性を広めることにして、農家さんの手で量産されるようになったらいいなーっていう感じだ。
「じゃあ皆、仕事に戻ってくれ」
「「「 はい 」」」
フランクさんの言葉で、皆が持ち場に戻っていく。
目の端でジジイがいじけたけど、そのまま無視して受付に入った。
ゲームの大会が終わったとはいえ、幾つかのテーブルでは囲碁や将棋を打ったり指したりする人がいる。本当は行儀がよくないけど、食事中はやらないので取り敢えずスルー。
「ナディアさん、顔を上げてください」
「しかしっ……」
金髪碧眼の美女、ジジイの護衛で来たエルフの一人で、火弓のナディアといえば泉の里で知らない者はいないほどの実力者。気高く優雅で、里には彼女をお姉さまと呼んで慕う女の子がたくさんいる。傍から見てると、学校の先輩を尊敬する後輩女子みたいだった。
そんな彼女が衆人環視のなか、私に向けて頭を下げてる。
ヨルクの土下座程の低姿勢じゃなくても、異性じゃない分(?)迷惑度で言えばどっこいどっこい。
「長老様はもはや君無しでは生きられない。考え直してくれないだろうか」
「お断りします」
取りつく島もない私の回答に、ナディアさんはがっくりと肩を落とした。
彼女の顔が少しやつれて見えるのは、精神的なものだけじゃないと【神の目】が示してる。
「お食事でもどうですか? なんなら私が作りますが」
「う、うむ……すまないが、いただこう」
エルフは排他的な種族で、守護している結晶柱やエルフ自身を攫いにくる他種族との諍いのせいで、軒並み警戒心が強い。
私が用意した宿と食堂ということである程度は受け入れてくれているんだろうけど、それでも普段通りの生活ができるかと言われれば不可能だと思う。
ということで、胃に負担を掛けないよう卵雑炊と野菜たっぷりのホワイトシチュー。
……だけのはずが、
「……、こんなものばかり食べたから、あの糞ジジイはいつもいつも不味い不味いと文句ばかり……!」
「でも、俺もイリア様がいなくなって食が細くなった」
「私だってそうよ!」
ピザ、小龍包、きつねうどん、春巻き、パエリア……。いつの間にか増えていたエルフたちの胃袋に、提供した料理が片っ端から片づけられていく。
あまりの大所帯になったから、二階の個室に移ってもらうまではまだ良かった。
エルフもワインを飲むからアルコールは大丈夫だろうって思って出した果実酒……というかカクテルがまずかった。
「あのジジイにイリアちゃんは不釣り合いよ!」
「「「 そーだそーだ! 」」」
「相手はイリア様じゃなきゃイヤだ!? まず自分の責任を果たしてから我儘は言え!!」
「「「 そーだそーだ!! 」」」
宴会中。
一人が愚痴を言い、それを周りが同意し、囃し立てる。
……よっぽど鬱憤溜まってたんだね。ご愁傷様。
彼らの話から察するに、どうも私がジジイの介護をしたのがいけなかったらしい。
飯が不味い、手際が悪い、あんな敵も瞬殺できないのか等々。イリアなら、イリアなら、イリアなら……。
むしろ私に敵意を向けないだけできた人たちだなーって思うくらいだった。
因みに、個室には最初から防音対策を施してあるから、彼ら彼女らの愚痴がジジイに聞かれることは無い。
だから安心して愚痴って下さい。私も対策を講じておきますので。
夕方になり、フランクさんがカレーを食べ終えたところでお土産のお菓子、リンツァートルテを紅茶と共にいただいた。
トルテつながりでザッハトルテを思い出したから、今度改善したリンツァートルテと一緒にメニューに足しておこうと思う。砂糖控えめにして生クリームをたっぷりつけるやつ。
そんな風に甘い物のことばかり考えていたのは、現実逃避していたからだ。
「……やっぱりイリアは反対か?」
「はい」
私の即答に、フランクさんは困ったように頭を掻く。
彼の話というのは、連合ギルド本部長並びに支部長会議での結果……闘技場の建設だった。
エクトルさんの所に行ったのは、その交渉のためだったらしい。
「理由は、治安の悪化か?」
「それもあります」
「……それ以外にもあるのか?」
眉を顰めたフランクさんに、私は頷きを返す。
そして、渡された計画書を開き、一文を示してみせる。
「魔物を捕らえ参加者と戦わせるとありますが、魔物は魔物を引き寄せます」
「それは、エクトルさんに言っていた魔物の増加と同じか……?」
「いえ。違います。人が増えて魔物が増えたとしても、基本的に生活圏を出ることはありません」
例外は人が近づくか、魔素の増加や瘴気の影響を受けた時。あとは悪魔とか邪神に操られたりするくらい。
「ですが、魔物が人の生活圏にいるとなると話は別です」
「そうなのか?」
「はい。同位体……同じ種族の魔物同士は、互いの位置と大まかな状態が分かるんです」
繁殖期に発生した未熟な個体を彼らが見つけられるのは、この機能に依るところが大きい。
では、同位体が人を襲おうと興奮状態になっていることを認識した魔物はどうするか。
「仲間を呼ぶ、か」
そう呟いたフランクさん同様、魔物との戦闘経験がある人ならその結論に達する。
厳密には、仲間の興奮状態……人への破壊衝動に釣られて集まってくる、と言った方が正しいけど、結果は同じだから特に訂正の必要はないと思う。
「それと、もう一つあるのですが」
「……ああ。教えてくれ」
「人の生活圏に長時間滞留した魔物は、その姿と能力を変異させます」
フランクさんが固まってしまうのも無理はないと思けど、この情報は魔物を研究しようとして捕獲したことのある国の上層部には、結構知られてることだったりする。
とはいっても、その原因は不明とされている段階。人の吐き出す影素が知性の強化や、人に近い体格への変化を齎してるってことは解明されてない。
「変異の程度や、変異までの期間などはわかりませんので、危険性は未知数です」
「そうか……。そちらは、警備の強化で対処するしかなさそうだな」
本当は原型になってる種族で結構分かるけど、どの国でも解明されてないから黙秘。
黙り込んでしまったフランクさんには悪いけど、魔物を囲い込むということの危険性を知ってもらえれば、それで良かった。
「とはいえ、私は一介の受付です。それがギルドと国の決定なら異論は挿みません」
「……そう言ってくれると助かる」
そう言って、フランクさんはソファに身体を預けた。
体力的な疲労が見られないからには精神的なものだろうけど、魔物の呼応のことはそこまで気を揉むようなことじゃないと思う。
「あちらで何かありましたか?」
「ん? ああ、いや。大したことじゃないよ」
何かあったらしい。
まぁ言わないならいっか。……と思った矢先に、フランクさんは続けた。
「国との軋轢もなく、ギルド員からの信頼も厚いリュネヴィル支部……だってさ」
「……はぁ。ご愁傷様です」
「本当にね。やっぱりイリアにも来てもらえば良かったよ」
うふふ。フランクさんだから口と顔には出さなかったけど、絶対お断りです。
国との関係が悪化するのは、お互いの領分を認めた運営をしないからだし、ギルド員から不評を買うのは、大抵が連合の優位性に胡坐を掻いてるから。
自分たちの行動を棚に上げた、醜い嫉妬と無責任な期待の板挟みなんて断固拒否です。