2-5:「申し訳ありません」
「くっ……!」
うめきに似た声が耳朶を打ち、私は目を覚ました。
声の主を認めると、マスクに隠れて目しか見えてないはずの表情が、恐怖に凍ったのがわかった。
「……まさか初日に来るとは思いませんでした」
「……呑気にも程があるぞ」
私の呟きに応えたのはフランクさん。
普段とは打って変わった闘志剥き出しの佇まいに、険のある言葉。何より手に嵌め込まれた籠手がその異彩の中心にある。
いつの間にか閉められていた窓の前に立つ彼の足もとには二つの影。うめき声を上げたのは男性らしい体格の方で、女性のように細めの体格をした人影は完全に意識を失ってる。
両者ともすでに手足を縄で拘束されていて、私が眠りこけている間に全て終わってしまったらしい。
まさか二人とも来るとは思ってなかったから探す手間は省けたんだけど、まさか拘束、もしくは追跡する手間まで省けるとは思わなかった。
「申し訳ありません支部長。お手を煩わせてしまいました」
「く、来るな化け物……!」
私がベッドを降りようとすると男性が慄く。傷つくなぁ。
きっと私の誘いに乗って窓から潜入したまでは良かったけど、全然歯が立たなかったんだろう。
身体は結界で傷つくことはないから、精神的なダメージの方が深刻だ。
「大人しくしてください。あ、舌を噛み切ったり毒を飲んだりしても無駄ですよ。絶対に回復させて見せますので。貴方方が襲った人たちも全員無事です。これで信じていただけますか?」
私の言葉で、男性は完全に抵抗する意思を失った。
「その落ち着き様……最初から囮になるつもりだったな?」
「え、ええ。まさか初日に来るとは思いませんでしたが……」
フランクさんが怖い……。
籠手の準備といい薄々気づいてたのかもしれないけど、街を徘徊したのはリュネヴィルに雛がいることを確認させるためだった。
ラシェルへの伝言は大衆の前で私の部屋に雛がいることを教えるためだし、窓を開け放っておいたのは外からじゃ絶対侵入できないから。
準備もあるだろうし、戦闘員でろくに情報収集ができない人たちかもしれない。もしかしたら卵と雛を結びつけられないかもしれないから、引っかかるのに数日かかることを覚悟してた。
暗殺者ってだけで雛を狙ってるとは限らなかったから、こっちから捕まえに行くことができなかっただけに、初日に来てくれたことは嬉しい誤算だった。
「俺が警戒してなかったらどうするつもりだったんだ?」
勿論私が捕縛します。……なんて言える雰囲気じゃなかった。
フランクさんは私のチートを知らないし、知らせるつもりもないから説明のしようがない。
どうしたものかと悩む私に呆れたのか、フランクさんは一つ溜息を吐いて話題を切り替える。
「この二人を下の個室に運んでくるから、イリアは応接間で待機」
「……はい」
フランクさんらしからぬ有無を言わせぬ物言いに、素直に頷くしかなかった。
「……ぴぃ?」
寝ぼけた雛が顔を上げる。
私の背後ではフランクさんが二人を部屋から連れ出している。こんなもの見ちゃいけません。
雛をもう一度寝かせつけ、フランクさんの言いつけ通り応接間で彼が来るのを待つことにした。
「業務さえ熟してくれるなら君の力に関しては詮索しないと採用のときには話したが、今回のことは看過できない」
応接間に戻ってくるなり、フランクさんからお叱りを受けております。
「何故俺に言わなかった」
「敵を騙すには味方からと言いまして……」
「敵に露見するのを防ぐというのは分かるが、俺まで警戒に含める必要はない」
うう……今更気付いたけど一人称が俺になってる……本気で怒ってるっぽい。
心配させてしまったのは悪いと思うけど、まさか怒らせる程だとは思いませんでした。
「すいませんでした……以後気を付けます」
「……他に誘き出そうとしてたりすることはないな?」
「はい」
私の返答が本心からのものだと信じてくれたのか、フランクさんは大きな溜息を吐いた。
そうして持ち上げられた顔はいつもの虫も殺さなそうなフランクさんの表情に戻っていた。
「あの二人は盗賊ギルドに所属してる」
差し出された登録証の模写は、確かに二人の名前と一致していた。
「私はこれから尋問を行うけど、何か聞いておいて欲しいことはあるか?」
「えっと……お一人で、なんでもないです」
お一人でされるつもりですかって聞こうとしたけど、彼の表情がすべてを物語っていた。
尋問なんて見せられるわけねーだろ、と。
色んな意味で気を使う必要なんてないんだけどなー……。
「じゃあ一つだけ。聞いておいてほしいことというか、支部長へのお願いというか」
「フランクだ」
「へ?」
「フランクでいい。そうしないと君はいつまでも他人行儀なままだろう」
他人行儀というか、身について……いや、魂にまで染み渡ってる縦社会への順応で、目上の方には礼儀をもって接するのが癖なんです。
……今の流れじゃ、何を言っても駄目そう。
「わかりました。フランクさんへのお願いなんですが、あの二人に依頼を持ちかけて欲しいんです」
「……どんな?」
「竜神の卵に関する情報全ての開示です。盗賊ギルドには諜報員も所属していますから、うちのギルドから依頼という形で白状させることで、もともとギルド連合の回し者だったっていう言い訳が立ちます」
所謂二重スパイってやつだ。
盗賊ギルドは総本山から各地のアジトやギルド員に直接繋がる、他のギルドから独立した体制を持ってる。この構造は縦の繋がりは強いけど、横の繋がりが極端に弱かったりする欠点があるから、彼ら自身が協力すれば寝返りは気付かれにくい。
その点を危惧して独自の教育機関を持ってるらしいけど、その点は問題ない。目には目を。精神干渉には精神干渉を、だ。
「彼らを見逃すのか……?」
「いえ。達成報酬は刑執行保留程度で、勿論相応の償いはしていただきます。竜神の怒りが収まらないのであれば、真っ先に差し出しましょう」
と、そこでふと気づいた。
「あの人たち、あの卵が竜神の卵だって知らないかもしれません」
「そんなことが……あるか」
「はい。部下を捨て駒というか、部品としか思っていない上司ならあり得ます」
というか、十中八九そういう幹部しかいないけどね。
……前世で世話になった社長もそうだったなぁ。
内心でうんざりしていた私同様、フランクさんの顔にも苦々しいものが混じる。リュネヴィルにいた盗賊ギルドをエクトルさんと排除しただけに、思い当たることがあるのかもしれない。
「ですので、竜神の卵だったことは状況を見て切り出してください」
「わかった」
立ち上がり、フランクさんはドアに手をかけたところで立ち止まる。
「君はすぐ部屋で休みなさい。あのごたごたの中でも起きなかった豪胆さの持ち主でも、君がいないと寂しがるからな」
トラウマにでもなってるのか、お腹をさするフランクさん。
前世で妹が赤ちゃんの時はかなり手を焼いた覚えがあるけど、それを考えれば竜の雛は全く手がかからないといって言い。寝つきはいいし、夜泣きはないし、癇癪を起さないし。
体当たりくらい可愛いもんだ。……結界で守ってる私が言えたことじゃないけど。
翌日の昼。
情報を整理するために応接間でフランクさんと向き合う。私が来る前にフランクさんが淹れてくれた紅茶の香りが部屋いっぱいに広がっていた。
私とフランクさんの表情はとても真剣なんだけど、抱き抱えられながら私にちょっかいを出してくる雛のせいでどうにも締まらない。
因みに朝食は俊敏性ステータス(脚力・瞬発力・集中力の総合値)を強化する風の補助魔術ベリーアラート。
吸収後にはこれらのステータスが上昇したから、もう間違いないだろう。
素早さの増した尻尾の絡みを往なしていると、昨夜同様紅茶で一旦喉を潤したフランクさんが口を開く。
「彼らは竜の卵とは知っていたが、竜神の卵だとは知らなかったようだ」
「そうですか……」
フランクさんには話術スキルもあるし、紅茶の香りで隠そうとするくらい手荒なこともしたんだろうから間違いないだろう。
「竜神と聞いて流石に思うところがあったんだろうな。今朝になって依頼を受けてくれたよ」
「良かった」
もしダメだったら【読心】使っちゃおっかなって思ったけど必要ないみたいだ。
読心スキルはチートが仇になるタイプの典型で、表層どころか深層心理、記憶まで読み取って頭に叩き込んでくるから結構しんどいんだよね。あれはチート理性が無かったら自己認識にゲシュタルト崩壊を起こして確実に精神崩壊するレベル。
さらに最悪な手は結界を外して魅了の解放。
こっちは完全に意志を奪って下僕にしてしまう可能性があるからやりたくない。人を家畜より下に貶めるようなことはしたくありません。
「彼らが受けた依頼は、馬の魔物が奪った竜の卵の奪取と、卵に関わった者の排除。初めは依頼通り馬の魔物を追っていたが、途中で同じように卵を狙う者とやり合ったらしい」
「同じように、ですか?」
フランクさんは僅かに顔を顰めて頷く。
「彼らの言葉をそのまま伝えるが……初めに近づいて来る時は人の姿をしていたらしい。だが、気づいた時には黄色の鱗と一本の角を生やした海蛇に変わっていたんだそうだ。その海蛇を何とか撒いて馬を追った時にはあの三人の手に渡っていて、三人に目標を変えたようだ」
海蛇……今度はウンクテヒですか。しかも卵を狙ってたって言ってたけど、今聞いただけだと卵を狙う人間を狙ってるようにも思える。
卵の奪取を依頼した者。それとは別に卵を狙ってるのか、それを阻害しようとした者。卵を守ろうとした麒麟。うわぁ、面倒くさそうな三角関係……。
「……馬の魔物にはどんな対処が命じられていたんでしょうか」
「特に言及されなかったらしい。彼らも依頼主と会ったそうだから間違いないだろう」
私は耳を疑った。
盗賊ギルドは基本的にブラック企業と一緒。部下は人間じゃなくて部品だから、末端は上層部から送られる依頼を熟すだけ。依頼内容に是非を唱えることはおろか、依頼主に会うこともまず無い。
「あの二人、それなりの地位にいたんですね」
それなら洗脳は浅いだろうし、こちらの提案を受けたことも信憑性が増す。
私は思わず意外そうに零してしまったけど、フランクさんはそうは思わなかったらしい。
「ああ。実力も相当のものだったからな。前にいた子悪党とは雲泥の差だよ」
「成程」
と頷きつつ内心では承服しかねていた。
あの老害で埋め尽くされたブラックギルドは、実力じゃなくて血がものを言う組合ですから。
アレン、早く改革しないと総本山ごと更地にしちゃうぞ?
「依頼主について何か言いましたか?」
「ああ。名はカトーと言っていたが恐らく偽名だろうということと、その男の特徴だな。中肉中背の優男で、肩まで伸びた長い茶髪に、目は明るめの茶色だったそうだ」
どこにでも居そうな人相過ぎて全然手掛かりになりそうにない。
そう思った矢先だった。
「それと、喉元に焦げ茶色の鱗のようなものがあったらしい。どこかの部族かと二人は考えたようだが……君は知ってるか?」
「ええ……はい」
それ、竜神と龍人が人に化けてる時の証です。
喉元に残る一枚の鱗。竜の姿に戻ると反転して逆鱗になる。
「おかげで分かってきました」
「本当か」
頷きを返すけど、内心叫びたい気持ちでいっぱいだった。
人に化けられる竜は竜神とその眷属だけ。麒麟は竜神を裏切るような行動は取らないし、そもそも取ることができない。
つまり、竜神にとって良くないことにこの雛を利用しようとしてる奴と、それを邪魔しようとしてる奴が眷属にいるってことだ。
で、麒麟は雛の安全を確保するために私を利用したと。
一族のごたごたに人を巻き込みやがった……!
「イリア?」
「放置しましょう。ここに向かわせたんですから、いずれあちらから接触があるはずです」
わざわざ天宮に行ってやる必要もない。
雛を連れて行くのはあのバカへの憂さ晴らしにはなるけど、雛に罪はないしね。
「……その接触は昨夜のようなことにはならないんだな?」
「はい」
雛を狙ってる方が先に来たら話は変わるけど、麒麟だって馬鹿じゃない。むしろ殺意とか敵意に敏感だから、必ず相手より先に動くだろう。まだ空で見てるなら暗殺者が捕まってるのを見てるだろうしね。
「来たらどうしよっかなぁ~」
「ピ?」
首を傾げる雛の頭を撫でる。
この子を守れって言うならそれだけの物は頂かないとね。
天宮の財宝といえば、やっぱり竜神の腕輪かな? いや、竜神の耳飾りも捨てがたい。
竜神の鱗から作られた腕輪の方は所有者の魔力を吸って魔術障壁を作り出す宝具だから、自分で魔力を纏えるようになるまでは雛に着けさせておきたい。
遺骨で作られた耳飾りは腕輪の逆で物理障壁。現時点で普通の攻撃なんか効かない防御力があるけど、風の魔術で障壁を覚えるまでは持たせておきたいところだ。
以前は貢物としてやるって言われたから拒否したけど、雛を守るためなら別。どっちも竜因子と特に相性がいいから雛にもぴったりだ!
「夢が広がるね!」
「ピィ!」
来るなら来てみろ麒麟。
その時お前は私の提案に胃を痛めることになるんだ!
そのくらいの憂さ晴らしで済むんだからありがたいと思え!
そんな風に考えていた時期もありました。
「来ちゃった」
カウンター越しにおどける、息をのむような超美形。緋色の髪は肩まで伸びて、切れ長の目に宿る瞳は紺色。
その後ろには青年が一人。こちらは金髪に濃い茶色の瞳を持つ好青年といった風貌だ。
「……依頼表はあちらの掲示板にございます」
「私たちがギルド員に見えるかい?」
からからと笑う美形。その喉元には鱗が見て取れる。
「ピィ……?」
私に抱えられたままの雛も、美形の顔をじっと見つめている。
「ではお食事でしょうか」
「ああ、うん。それもいいね。どこか密談できる場所があるといいんだけど」
「リア、個室にご案内して差し上げて」
「え、あ、うん。こちらでございます~」
給仕業務中のリアに案内を任せて、私は事務室に向かう。
元々育児休暇中なので受付はしていなかったのに、カロンさんに呼ばれて降りてみたらばったり遭うとか……運もチートなはずなんだけどなぁ。
「おはようございます。お待たせしました、カロンさん」
「ああ、イリア。おはよう。早速だけど、これを見てくれ」
カロンさんから手渡されたのは数枚の紙。
内容は傭兵ギルドからの感謝と謝礼、そして今後の対策に対する提案書だった。
「この前のクレーマーですか」
「そう。結構余罪もあったんで、連合に対して傭兵ギルドが正式に謝罪してるんだね。それとは別個にうちに対しても謝罪してる。それがその書類」
カロンさんはロンドヴィルの各ギルドと連合本部との渉外業務を担当してくれてる人で、連合以外どのギルドも支部を置いていないリュネヴィル支部にとって欠かせない人材だ。
「それはいいんですが……この提案書の最後に、面会を求める嘆願書じみたものが混じってるんですが」
「うん。傭兵ギルドは直接君と面会したがってる。はっきり言ってしまうとヘッドハンティングだね」
こんな時は翻訳チートが恨めしくなる。
意味が分からない、なんてことが起こらなくなるから、自分を誤魔化すことすらできません。
「……ロンドヴィル支部ですか?」
「まさか。総本山だよ」
思わずため息を零したくなる。ちょっときっかけを作るとこれだよ。
「どうする?」
「拒否します」
事務室にいた皆が胸を撫で下ろした。嬉しくて泣きそう。
「理由はどうする?」
交渉役のカロンさんには大事なことだ。
「そもそも今回上手く処理したのは皆さんのお力です。私だけが引き合いに出されるのは正当な評価とは言えません」
「あはは。了解。支部の皆をダシに使ったような真似をさせるな、ってことで」
たぶんカロンさんは本気で言う。
意訳したカロンさんと否定しない私に、事務室は腹黒な笑いが溢れる。
……なんて笑ってもいられないか。
「カロンさん、申し訳ありませんが宜しくお願いします」
「任せてよ」
軽い調子で言っていても、彼に対する職員の信頼は強い。
新しい面倒事ではなく雛を抱えられることに安堵しながら、私は二階に向かうことにした。