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Nothing changes  作者: 希月律
第二章
9/9

全てがうまくいかなくて

 珍しく前向きになっていたのに。

 やっぱり私は私だった。





 午前は荷物を片付けて、午後から早速、働き始めることになった。

 店のエプロンをつけ、髪もまとめ、意気込んで店に出た。

「いいかい、お客さんが来たら、とりあえず挨拶をして。今日は初日だから、とりあえず私が対応する。それを見て覚えてね」

「は、はい」

 お客さんが来たら挨拶、お客さんが来たら挨拶。

「それまでは、店の掃除でもしてもらおうかな。雑巾がけは閉店後にやるから、床を掃くだけだけどね。そのとき、ついでに棚の中身も見てくれ。どこにどんな商品があるか、大雑把でいいから頭に入れていって」

「は、はい」

 掃除中は商品を見て覚える。雑巾がけは閉店後にやるから、今はやらない。

「他のことは、その時々で指示していくよ。わからないことがあったら訊いてくれ」

「はいっ」

 最初は簡単なことしか任されていない。ゆっくりやれば、きっと大丈夫。


 まだお昼の営業が始まったばかりで、お客さんはいない。だから、最初はほうきがけをする。

 床の埃やゴミを丁寧にほうきで集めながら、棚を見てまわる。

 細々とした日用品。中にはまったく見たことのないようなものもあって、面白い。前の世界にあったものと似たものを見つけても、異世界にもあるんだ、と思えて面白い。

 しばらくの間、うきうきで掃除をしていた。頑張ろう、と意気込んでいたのもあって、気分が高揚していたせいもあるかもしれない。

 けれど、そのせいで。

「……リンちゃん、リンちゃん!」

「は、はいっ!?」

 突然、ベギットさんに強く呼びかけられた。

 いけない、いけない。ついつい、商品を見るのに夢中でぼうっとしてしまっていた。はっと顔を上げ、返事をする。

「あのね、熱心に掃除してくれるのはいいけど、さっきお客さんが入ってきたのを無視したでしょ?」

「えっ?」

 言われて、私は咄嗟に周囲を見回した。全然気がつかなかった。そんなに商品に意識が集中していたのか。

「もういないよ。また店内にいらっしゃったら、こんなふうに言うわけないじゃないか」

 そのとおりだ。私は恥ずかしくなって、俯いた。

「いろいろとミスをするだろうってのは、新人さんだから理解してるけど……お客さんが入ってきたら挨拶するってのは、基本中の基本だからね。頼むよ」

「は、はい。すみません……」

 やばい。がくっと落ち込んだ。

 そりゃベギットさんも怒る。挨拶なんて誰にでもできることで、難しいことじゃない。それができなかったのだから。お客さんだって、店員が掃除に夢中で無視されたら、嫌な気持ちになるだろう。

 それほど声を荒げて怒られたわけではなかったけど、だいぶダメージを受けてしまった。お客さんが来たら、大きな声でしっかり挨拶をしよう、と心に決めていたのに。やってしまった。


 ここですぐに気持を切り替えて、「そんなこともあるさ、はいはい」と流せていたら、この後で挽回することもできただろう。

 けれど、私はそれができなかった。


 挨拶しなきゃ。挨拶しなきゃ。挨拶を忘れてはダメ。

 そう思いながら、ほうきを動かす。扉のほうに意識が行っているせいで、掃除のほうは時々おろそかになってしまう。

 ――扉の開く音がした。

「い、いらっしゃいませっ!」

 大きな声で、はっきりと挨拶。……あ、でも、声が大きすぎたかもしれない。

 案の定、入ってきた女性客は驚いたような顔をしている。まずい。

 フォローの仕方もわからず、挨拶をした体勢のまま、固まる。

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日は何をお探しですかな?」

 慌ててベギットさんがやって来た。女性客の表情が和らぎ、そこから会話がスムーズに流れていく。

 ……また、やってしまった。

 大きな声を出しすぎて、でも、そこですぐに謝って、フォローしていればベギットさんが来なくても済んだはず。失敗するだけして、何もできなかった。

 おいおい、まだ簡単なことしか任されていないぞ。掃除と挨拶。そんなの、小学生でもできることじゃないか。前の世界でやっていた古本屋のアルバイトでも、最低限はできていたはずなのに……。

 古本屋のときと今、何が違うのかを考えてみた。

 今のほうがいい環境のはずなんだ。店主はむしろ古本屋のときのほうが嫌な感じだったし、私は嫌われていて、ろくに声をかけられることもなかった。それに対して、ベギットさんはきちんと対応してくれる。

 ああ、わかった。だからだ。

 古本屋の店主は、初日で私がトロいとわかると、すぐに見限った。クビにはしないものの、それこそ誰でもできるようなことだけ任せて、失敗しても何も言わなかった。

 怒られたり、注意されるとダメなのだ。萎縮してしまって、うまく動けなくなる。放置。無視。諦念。――だからこそ、古本屋ではリラックスできた。期待されていないことは辛かったけれど、それ以上、何もなかった。

 指摘されると、自分がいかにトロくさくて何もできないかがはっきりと理解できる。だから、こうなってしまうのだろう。


「リンちゃん」

「は、はいっ」

「今のお客さんね、ちょっと不快そうだったよ」

「す、すみません。あんな大きな声で挨拶しちゃって……」

「いや、そのことじゃなくて」

 ベギットさんが床を指差した。

「さっきから女の子がずっとほうきがけをしているのに、床が埃っぽいって」

「あ……」

 挨拶に気を取られすぎて、掃除にまで気が回っていなかったのは、自覚している。見られていたか。

「頼むよ」

 そう言うと、ベギットさんはさっさとカウンターのほうに戻っていってしまった。

 取り残された私は、しばし呆然とした後、必死でほうきを動かした。


 絶対に、「使えない」と思われた。「新人だということを差し引いても、使えない」って。




 閉店の準備中、私は何もすることがなく、おろおろしているだけだった。何をすればいいかもわからないし、これをしろとも言われない。

 閉店後にぞうきんがけをする、というのは聞いていたから、せめてそれはやろうと思ったのだが――。

「ああ、ぞうきんがけはやっとくよ。疲れてるだろ、今日はいいよ」

 断られてしまった。

 仕方なく、自室に戻る。

 今日の数々の失態が頭を巡って、部屋にいてもリラックスなんてとてもできない。

 前の世界の古本屋でも、もし店主がしっかり注意してくれる人だったら、今日みたいになっていたんだろうな。何もできなくて、おろおろして、店主をがっかりさせたのだろう。

 今日、店に来たばかりのとき、ベギットさんはとても喜んでいた。一人で店を守っていたところに、新人が来たのだ。これで楽になると思ったのだろう。

 だが、結果はこれだ。楽になるどころか、むしろ手間を増やしてしまった。それも、子供でもできるような簡単なことで。

 私は溜息をついた。

 ――ふいに、部屋の扉がノックされた。

「はいっ」

「私だ、ベギットだ。入っていいかな?」

「あ、はい、どうぞ」

 入ってきたベギットさんは、申し訳なさそうな顔をしていた。





 ベギットさんは椅子にも腰かけず、立ったまま話した。


 申し訳ないけど、ここで住み込みで働くという話、なしにしてもらえないだろうか?

 実は、親族の一人が、住む場所を失ってしまったらしくってね。どうしようもないから、この部屋に住まわせてあげなくちゃならなくなったんだ。

 え? 私も他に住むところがない?……ううん、そうかい。でも、親族を見捨てることはできないからね。

 こっちの都合で勝手なことを言っているわけだし……住み込みの話はなしで、その上でここで働いてくれ、なんて無理は言わないよ!

 住み込みの仕事なんて、他にもたくさんあるだろう。早いうちに見切りをつけて、新しい仕事を探したほうがいいんじゃないかい?


 私は頷くしかなかった。

「さすがに今日はもう遅いから、この部屋に泊まりなさい。明日の朝、今日の分のお給料を渡すからね」

 ベギットさんはそう言い残すと、部屋を出て行った。





 私は倒れこむようにベッドに腰かけると、深々と溜息をついた。

 ほとんど荷物がなかったから、最低限のもの以外、イシュタールから貰った鞄に入れたままになっている。これなら、明日出て行くときは楽だろう。


 さきほどのベギットさんの言葉を思い出す。

 親族が住む場所を失ってしまったから、と言っていたけど――本当だとは思えない。あまりにタイミングが良すぎる。

 予想以上に私が使えなくて、でも「役に立たないから解雇」とはっきり言うのは悪いから、あんな言い方をしたんじゃないか。住ませてあげられなくなった、ちゃんと住み込みができるところで働いたほうがいい。そう言って、「辞めます」とこちらから言わざるを得ない状況にしたんじゃないか。疑うのは良くないけど、そう思ってしまう。

 そんなことを考えていると――それこそできすぎたタイミングで、隣の部屋から声が聞こえてきた。


「あの子、出て行くって?」

「ああ。今日だけ泊まるが、明日にはな」

「良かったわね。これで新しい人が探せるわ」

「そうだな。いくら新人とはいえ、ありゃダメだ。愛想もない、使えない……見た目が良ければ、客にも許されたかもしれんがな。それもないってんじゃ、どうしようもないよ」

「紹介所さんに全て任せてしまうからよ。ちゃんと自分で会って判断しなくちゃ」

「面倒臭がってはいけない、ということか。忙しかったんで、ついつい任せてしまったよ」

「次は仕事ができて、愛想がよくて……お顔もキュートな子を探さなくっちゃね」

 重なる笑い声。


 意外と壁が薄いってことを、少しなら声が聞こえてしまうということを、夫妻は知らないんだろうな。





 次の日、私は雑貨屋を出たその足で、再び職業紹介所に行った。


「もう解雇(クビ)になったのかい?」

「いや……あの、事情ができて、住み込みにはできなくなったと言われて」

「ふぅん……」

 職員も嘘だと思ったろうな。体よく追い払われたか、と思ったか――もしくは、解雇されたと言いづらくて嘘をついたと思ったろう。

「この前見せた住み込みの仕事、まだ残ってるぜ。酒場と仕立て屋、どっちがいい?」


 仕立て屋を選んだ。


 その日は雑貨屋の一日分の給料で宿を取り、次の日、仕立て屋に向かった。

 お洒落な店構え。店頭で立ち働く、愛想の良い女性たち。

 この時点で、私は気後れしてしまった。もっと言うと、ここもダメだ、と思った。


 結果から言うと、私はここでもあっさり挫折した。

 解雇されることはなかったけど、私自身が耐えられなかった。

 他の人たちと同じ制服を着ていても、何から何まで違う。私が一番地味な顔をしているし、立ち居振る舞いだって不器用で、精一杯笑っても愛想良くは見えない。お洒落で可愛い店内だからこそ、それがひときわ目立ってしまう。

 ひそひそ、ひそひそ。他の人たちが囁く声が、嫌でも聞こえてしまう。

 新しい人、微妙よね。

 ――とても耐えられなかった。


 その次は、酒場を選んだ。


 がやがやした店内、酔っ払いたち、お酒の匂い。

 精一杯、声を張り上げた。精一杯、早く動いた。精一杯、笑った。

 だけど。

「申し訳ないけど、辞めてくんねぇか?」

 三日ほど働いた後、店主にバッサリそう言われた。

 念のため、理由を訊いてみた。

「馴染みの客らが、口を揃えて言うのさ。あの新人を辞めさせろ、見ていて酒がまずくなる、ってな」

 それ以上、店主は何も言わなかった。

 精一杯頑張ったけど、それがうまくいくかはまた別。働いている間中、「頑張っているけれど、一般的な新人さんが頑張ったときの出来栄えと比べたら、格段に劣るんだろうな」と思っていた。


 そのまた翌日、職業紹介所に行ってみた。

 私を見るなり、職員は黙って首を横に振った。

「すまねえが、紹介できる仕事はもうねえ。ちょうど全部、売り切れちまった」

 帰ろうと扉のほうを振り向くと、笑っている客たちと目が合った。

 また、よそ者だから注目されているのだろう。そう思って、黙って通りすぎようとした。

 そのとき、背後から職員の声が聞こえてきた。

「おお、よく来たねえ、ビルんとこの息子さん。ついに働き出すのかい? もうそんな歳か。今は五つほど求人があるぜ」

 やっぱり、求人自体はあるんだ。『私に』紹介する職業はないんだろうな。

 当然だ。得体の知れないよそ者で、いきなり引っ越してきて仕事をしようとして、その上、三回連続ですぐさま辞めて、あるいは辞めさせられてしまっている。また紹介してやろうと思うほうがおかしい。





 街の外――しばらく歩いたところに、馬車がとまっていた。

 見覚えのある馬車。栗毛の馬。そっと近付き、入り口をノックする。

「はーい……って、あれ? 鈴さん?」

 きょとんとしたイシュターンの顔。どうしました、何かありました? と言われて、思わず泣きそうになってしまった。

「ごめんなさい。せっかく何日も馬車に泊まってもらって、申し訳ないんですが……ヴィントを出ようと思うんです」

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