到着
馬車は順調に駆けていく。
イシュタールはすごい。何の問題もなく馬を操っている。馬を操るどころか触ったことすらない私は、ただただ尊敬するばかりだ。
昼過ぎに一度休憩を取り、軽い昼食。その後、再び馬車での移動。もし酔ったらどうしようと思っていたけれど、気分が高まっているせいか、まったく平気だった。
夕方。空が橙色に染まりつつある頃、ヴィントの街に着いた。
「ここがヴィントです」
街の門は石造り。それほど大きくはない。門前には兵士が一人、やる気なさげに立っている。他には誰もいない。門は閉じられているので、中がどうなっているか、ここからではわからない。
イシュタールは兵士に声をかけ、街に入る手続きを早々と済ませた。それほど警備は厳重ではないらしく、名前と性別、ヴィントに来た目的を書けば、もうそれで良いらしい。
石造りの門が開かれ、私たちはヴィントに足を踏み入れた。
門を入ってすぐのところは、小さな広場になっていた。露店がいくつか、通行人がごくわずか。あまり栄えてはいなさそうだ。
「とりあえず宿を取りましょう。ああ、そうだ。その前に、馬車を預けなくては」
イシュタール曰く、街の中で馬車を走らせるのは原則的に禁止されているらしい。許されているのは、医者と警備兵、そして貴族のみ。一般の人間は、街に入ってすぐ、馬車を預けなくてはならないのだそうだ。専用の業者もいて、大抵、門を入ってすぐのところに店を構えているらしい。
イシュタールの言うとおり、広場のすぐそばに店があった。看板には、『馬車預け所』と記されている。
ふと、疑問を抱いた。
私には看板の文字が読める。――読めた。でも、これは日本語じゃない。見たこともない文字だ。なのに、一目見て意味が理解できる。
そもそも、イシュタールたちと普通に会話ができている時点でおかしい。遠く離れた異世界の人々が、運よく日本語で喋っているなんて、そんなはずはない。
馬車を預けて戻ってきたイシュタールに訊いてみると、にっこり笑って答えてくれた。
「それはですね、鈴さんが召喚されてきたからですよ!」
「はあ」
「我々が行った召喚の儀では、対象にローヴァリースの言語への理解と、『エキラ』と『クロス』への耐性を与えた上で移動させる――という形になっているんです。だから、僕が使っている言葉も、もちろん鈴さんの国の言葉じゃありません。ローヴァリースの共用語ですよ!」
言葉が理解できる理由はわかったが、また知らない単語が出てきた。『エキラ』と『クロス』って何だ。
「『エキラ』は自然界の力。森を、川を、空を、海を、岩山を、そして街を――あらゆる場所に流れる、自然の持つエネルギーです。『クロス』というのは、生き物がその身に宿している『エキラ』のこと。もちろん人間も持っています。生き物もまた、自然の一部ですからね。自然界のエネルギーを体内に秘めているのです」
「な、なるほど」
「『クロス』は『エキラ』と違って、訓練や才能次第で、自由自在に操ることができます。己が身の内にあるものなので、己の意思により操ることもまた可能、なのです。そして、『クロス』を操り、『エキラ』と融合させることで――自然界に意思の力を発現することができます。例えば、火を起こしたり、水を出現させたり、風を起こしたり。自然を少しだけ操ることができるんですねえ」
エキラは外界、クロスは体内。二つを融合させると、自然を操ることができる。――こんなこと、もといた世界で言ったら変人扱いされるだろう。つくづく異世界なんだなあ、と思う。
「『エキラ』と『クロス』を融合させる力のことを、我々は『魔法』と呼んでいます。訓練や才能によって魔法を使う者のことを、魔法師と呼びます。数はあまり多くないので、重宝されることが多いですねー」
魔法。そう言ってもらえるとわかりやすい。火だの水だのを操ったり出したり。うん、まさしく魔法だ。
「おそらく、鈴さんのいた世界には、『エキラ』と『クロス』はないと思います。なので、『エキラ』と『クロス』が存在するところに来ても大丈夫なように、体内に『クロス』を送り込み、こちら仕様の体にする、という……そういうこともなされているんです」
なぜかイシュタールは誇らしげだ。
「ふーん……じゃあ、頑張れば魔法が使えるようになるかもしれないんですね」
「ええ。訓練次第では、可能性は全然ありますよ!」
それはちょっと面白いかもしれない。
「魔法師になりたいなら、ベール王国に行くと良いかもしれませんね。ヴィントからだと遠いですけど」
「ん……と、考えてみます」
いきなり「魔法師になります!」と決意できるほど、私ははっきりきっぱりしていない。
それに、可能性がある、というだけで、必ずなれる、とは言われていない。数が多くないということは、かなり努力が必要なんだろうし……。
面白いかも、という気持ちが、ずんずんとしぼんでいく。ううん、そうだ。私は昔からこうだった。難しそう、と思うと、すぐやる気が失せてしまう。
宿はすぐに見つかった。
『橙色の薔薇亭』――大通りから小道に逸れて、少し歩いたところにある、小さな宿だ。
店内はこじんまりとしていて、客も少ない。けれど清潔だし、店主も穏やかそうな人だ。
一人用の部屋を、二部屋取った。ベッドとテーブル、そしてクローゼットがあるだけの、質素な部屋だ。
ヴィントを見て回るのは明日だ。今日はもう遅いから、あまり外出しないほうがいいとイシュタールに言われた。まあ、確かに、よく知らない街を夜にうろつくのは危ない。
その日は食事を済ませると、明日に備えて早めに部屋に戻り、就寝した。




