光の中で
今日も無事、つまらない一日を乗り切った。
大学でもアルバイト先でも、昨日とまったく変わらなかった。今日も依然として一人ぼっち。数えるほどしか喋っていない。
ベッドに寝転がりながら、携帯電話を開く。午後九時――まだそんな時間か。
父は仕事が忙しいらしく、遅くなると連絡があった。母は用があって実家に帰っている。この家に、今は私一人だけ。
眠くなるまで、どうやって時間を潰そうか。お風呂にも入ったし、あとはだらだらして、適当な時間に寝るだけだ。
インターネットに繋いでも、今は何もしたいことがない。音楽って気分でもない。本棚には読み飽きた本ばかり。
溜息をついて、ベッドに寝転ぶ。ふわふわのシーツ。これが唯一の癒しだ。
ふと、枕の下に硬いものの感触があった。手を差し入れてみると、一冊の本があった。
「そういえば、昨日、読みながら寝ちゃったっけ」
表紙には、制服姿の女の子と鎧姿の美青年が繊細なタッチで描かれている。タイトルは『パステル・リンク・ファンタジア』。そう、昔大好きだったアニメ――の、原作。
昨夜、暇で暇でしょうがなかった私は、これを読みながらごろごろしていた。そうしていつの間にか眠っていた。きっと、寝返りをうつ間に枕の下に入り込んでしまったのだろう。
原作の表紙を見ていると、ふいに、アニメ版が見たくなった。
ベッドから下りて、DVDを入れてあるケースを開ける。アニメ版のDVD-BOXは、一番手前に入っていた。
つい最近、購入に踏み切ったものだ。評判が悪かった割には、原作人気のおこぼれでBOXになっている。ちょっと高かったけれど、頑張った。
パソコンを立ち上げ、DVDの一枚目を再生する。第一話。主人公が異世界へ召喚されてしまう、全ての始まりの部分。
ごく平凡な主人公の生活。突然の召喚。不安そうな主人公。
『ここは……どこ? ママ? パパ? ど、どうしよう……』
不安を煽るBGM。一話が終わる。画面が暗転して、エンディング・テーマが流れ出す。その後は次回予告。まあ、すぐに二話が始まるんだけどね。DVDだから。
ぼんやりと『パステル・リンク・ファンタジア』を見ていると、何だか悲しくなってきた。
今でも大好きだけど、小学生の頃のように、無邪気に感情移入はできない。
架空の人物と自分を比べるのはおかしな話だけれど――平凡なはずの主人公が、自分よりはるかに恵まれていて鬱々としてくる。
容姿が平凡。設定上はそうなのだろうが、アニメの絵柄だとじゅうぶん美少女に見える。私はどこからどう見てもごく普通。むしろ地味なくらいだ。
性格が平凡。そうかな? 明るくて良い子じゃないか。優しいし、友達もいる。
能力が平凡。いやいや、突然召喚された異世界でやっていけてる時点で普通じゃないよ。
それとも、これが世間一般の『平凡』なのだろうか? 自分の平凡さに悩んでいる人たちも、何だかんだ言ってこのくらいの要素には恵まれていて、私はつまり――平凡以下?
ああ、それでも――もし、万が一、私がこんなふうに異世界に召喚されたら。少しくらい補正が効いてくれるかな? 容姿にも性格にも能力にも。
普段は馬鹿馬鹿しくて考えもしないようなことを、『パステル・リンク・ファンタジア』を見ていると、つい考えてしまう。
考えても仕方のないことなのに。どうせ異世界なんかに行けっこない。そんなことは現実には起こらない。当然のことだ。
一枚目のDVDを見終わり、二枚目を再生する。
波乱万丈の展開。主人公が敵に追われ、森の中を逃げ惑っている。敵はどんどん近付いてくる。主人公の目に涙が浮かぶ。
『どうしよう、どこに逃げたらいいの……? 捕まったら……だめ、考えたくもない』
主人公の声が震えている。
――せっかく再生しておいて何だけれど、だんだん眠くなってきた。
まあ、いいや。どうせ明日は休みだし。見ながら寝ちゃおう。
ベッドに移動し、寝転びながらアニメを見る。敵に襲われた主人公を、突然現れた美形の騎士が颯爽と救い出すシーン。
『大丈夫か?』
『貴方は……?』
『名乗る気はない。お前のように胡散臭い小娘にはな。……まったく、危なっかしい奴だ。見ていられなくて、手を出しちまったよ』
『あ……助けてくれて、ありがとう』
『本当だ。放っておいたら死んでたぜ』
登場人物たちの声が、少しずつ遠くなっていく。
おやすみなさい――。
と、思ったところで。
「……!?」
思わずがばりと飛び起きた。
何だ、これ。
「眩しい……」
眠りそうになったその瞬間、急に部屋の中が黄金色の光に包まれた。
真夏の直射日光みたいに眩しくて、まともに目を開けていられない。片手で目元を覆い、呆然とする。
怖い。怖い怖い怖い。何だこれ。夢、か? 夢を見ている? こんなに鮮明に?
とにかく部屋から出よう。そう思って、ベッドから下り、手さぐりで扉を探す。眩しくて目が開けられないから、なかなか見つからない。
「誰か、助けて」
叫んでも、助けは来ない。アニメとは違うのだ。両親共に出かけていて、家には私一人だけ。都合よく救いの手が差し伸べられるはずがない。
まばゆい光の中、アニメは再生され続けている。主人公の声が聞こえてくる。
『私、旅に出る。こんなところにいたって、何も始まらないわ。何が起きたって構わない。私……私は……』
『見知らぬ世界で、生きていく』
だんだんと意識が遠くなってきた。頭がふわふわして、気を失いそうだ。抗う気力も失せてきた。
記憶があるのは、思わずその場に座り込んだところまで。光がよりいっそう強くなって――
その後は、知らない。




