目にしみるから。
ツン、と、しみる玉ねぎのニオイ。
――あ、きた!
泣きたくないのに、涙がポロポロとでる。目を開けてなんかいられない。
「やばっ」
ツツーッと鼻腔をつたう液体の流れ。あわてて、目の前にあったロール式ペーパータオルの端っこをつかんだ。グイッと力の限り引きちぎる。
「ミュウミュウどうした、指切ったの?」
心配性なリュウに聞こえないように、小さく声をあげたつもりだったけれど。自分が思っていたより、ボリュームが大きかったみたい。
隣のリビングで、のんびりクイズ番組を見ていた彼が、いきなりソファから立ち上がった。キッチンまで、スゴい勢いでスッ飛んでくる。さすが、陸上部。あっというまにゴール。私の前に立つ。
「アレ、なんで……泣いているの?」
クチャクチャにしたペーパータオルで鼻と口をおさえながら、包丁を持っている私。可笑しな格好の私を見て、きょとん、とする彼。
どうしてなんだろう。私が涙を流しているワケが、本気でわからないらしい。ちょっと、ムカつく。
「アンタが、ハンバーグを食べたいって言ったから、玉ねぎが目にしみるのっ」
正しくは、『玉ねぎのみじん切りをしているから、目にしみるのっ』なんだけどさ。
さりげにリュウのせいにして、まな板のうえの玉ねぎをビシッと指でさす。
高校生になってもリュウは、相変わらずで。子供のころから、お調子者のクセにボーっとしてばかりいる。だから、私がいつもフォローする役回り。自然に引き受けているの。
そこんところ、肝心の本人は、わかっているのかなあ。わかっていないだろうなあ、たぶん。幼なじみの私が、ハッキリ言ってやらなきゃ、だもの。なんか、ドッと疲れる。
「そっか。ゴメン!」
やっと状況を把握してくれた彼が、「あはは」と、気まずそうに笑った。
そこで、問題が発生。リュウが見ている前では、鼻をかむことができない。
もし、今ここで鼻をすすったりしたら、ただでさえレベルが高いとは言えない私の女子力が、いちだんと下がっちゃう。
幼なじみ兼カノジョって、こういうときがツライよね。
「はやく向こうに行ってよ。ジャマ!」
彼氏だったら、察してほしい。いくら付き合いが長いと言っても、乙女の恥じらいぐらいあるんだもの。恥ずかしくって言えないけれど。私、女の子なんだよ。
「だって、いいニオイがするからさ。料理しているところ、見たくなっちゃったんだよね。ジャマにならないようにしているから、見ていてもイイっしょ?」
ぜんっぜん、通じてなあいっ! 子犬のように鼻先をクンクンさせて、リュウがにっこりする。
そのいいニオイが、私が困っている原因。玉ねぎのニオイのせいで、乙女のピンチ、だっつーの。今はまだ、下ごしらえの段階。材料を切っているところなのっ。
「バカ! どう言えば、わかってくれるの? アンタがいると鼻がかめない、って言ってるのにーっ。もーう、リュウのばかーっ」
とうとうガマンができなくて、声を荒げてしまった。
幼なじみのうえに、カップルだっていうのに。もう少し、空気読め!
ロマンチックな恋のカケラを期待してもムダ。仕方がないのかな。「はあ」と、ため息が出る。
「なーんだ、そんなことか」
ポツリと、彼がつぶやく。そのとき、私は気が付いた。
しまった……私のバカっ。自分から言っちゃった、どうしよう!
「じゃ、こうしよう、っと」
――えっ。
私の心を読んだように、彼は言った。私から包丁を取り上げて、まな板のうえに戻す。
「なんか言った……あっ」
ふいに手首を引っ張られる。足が前によろめいて、気づいたら彼の腕の中。すっぽりと温もりに包まれていた。
トクン、と、胸が鳴る。
「ほら、こうすればいいだろう? 見えていないから、だいじょうぶ。ゆっくり、かみなよ」
わたしの頭のうえで、彼がささやいた。
「う、うん……」
玉ねぎを刻むのはニガテ。目にしみるから。でも、時々はいいかな。本当に。たまには、だけど。
「あのさ、耳もふさいでよ。音が聞こえちゃうんだもん」
「だーめ」
「なんで?」
「こうしたい、からさ」
さっきよりも、ずっと強い力で抱きしめられた。息が止まりそうになってしまって。私は、鼻をかむことを忘れてしまった。
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