この手紙を誰が読むのかということを
時に小生は思うのです。
この手紙を誰が読むのかということを。
この無人島に流れ着いて、約3年が経とうとしています。
この小さな島では昔、小さな村がありました。
村といっても5件の廃屋がある程度。
その5件の廃屋も、辛うじて雨風をしのげる程度でしかありません。
そのうちの一件の廃屋には、おそらく小説家が住んでいたと思われます。
なぜならその廃屋には、やたらと原稿用紙がありました。
それに書き込む万年筆とインクも、当分使うには有り余るほどに。
そこで小生はこの日誌を書いている訳なのです。
約2年前くらいに思いついて、とくに何もすることもないので、このように毎日筆を走らせています。
大概は今書いているような孤独をテーマにした内容です。
だってほら、この島に独りだとそれしか考えなくなります。
孤独について深く深く。
一際深く深く、更に深く考えきったら、一度過去の日誌を読み直しています。
そして海に流すのです。
一体誰がこの私を見捨てずに見てくれているのか。
時に小生は思うのです。
この手紙を誰が読むのかということを。
それは日誌を読み直している小生自身ということですが、もしかしたら小生以外の人物が読んでくれているかもしれない。
そうだとしたら、これを読んでくれた人物は救助を要請してくれるはず。
と、いうことは誰にも読まれていないということなのかもしれない。
小生はこの島にいます。
誰か助けてください。
応えてください。
こんなに大きな声を出しています。
こんなにも大きく、大きく。
一際大きい声を出しきったら、更に大きな声で泣きます。
更に大きな声で延々と泣き、疲れきったら眠ります。
時に小生は思うのです。
「ブログ」みたいだなと。
そして孤独はぐるりと一周しましたねと。
この周期がだいたい1年と認識しています。