6."11 SAMURAIs" -e5 『澱心』
-e5『澱心』
同じ日の放課後、図書室のいつもの場所にて。
「あのですね、原野さん。」
「ん?なによ」
俺は斜め前で現代社会のノートを見ていた原野さんに声をかけた。
原野さんがなんだか不機嫌な様子で返事をしてくる。
顔だけ上げて、こちらを向いた。
俺は物理の問題集を閉じる。
さっき言い渡された課題が一段落ついたのだ。
良いタイミングだと思い、昼間から考えていたことを彼女にぶつけてみることにしたのだった。
「原野さんは、“周りの人が自分のことをどう思ってるか”って気になったりします?」
「えー……。」
原野さんも現代社会の教科書を閉じてわきに置いた。
髪を梳いきながらだるそうにしている。
眉根が寄せられていた。
「なに、どうしてそんなこと聞くの。」
「ちょっと興味があって」
「なにそれ」
こちらの要領を得ない返答に、彼女はより怪訝そうな顔をした。
だが、なんだか考えるような仕草の後、こう答える。
「うーん……、全く気にならないわけじゃないけどね」
「えっ?!まじですか!」
…思わず、思ったことをそのまま外に出してしまった。
原野さんは露骨にいらっとした顔をする。
「なによその反応は。」
俺は慌てて弁解する。
「だ……だって、原野さんってそういうの全然気にしなさそうだなぁと思ってたから」
「…まぁそうだけどね。」
んー、と思案するように視線を横に流して、彼女は言う。
「けどあたしの場合、別に聞かなくても相手の態度とか見てたら大体分かるから。」
「……なんですかそれ。」
そんなのまるで、読心術だ。
俺は目を見開く。
だが原野さんはどうってことないとでも言うように続けた。
「人の様子とか、観察するの好きなのよね。そうしたらいつもと雰囲気が違うだとか、そういうのって見えてくるっていうか。」
「………なるほど!」
俺はそれに、痛く感心した。
今まで彼女に提案されてきた恋愛関連のプランはとても的を射ていて、一体どのようにして身に付けたのかと思っていたのだ。
もしかしたらこの人間観察のたまものなのかもしれない。
羨望、である。
「特殊スキルですね、流石原野さん!」
そういうと。
彼女はいきなり、驚くほど無表情になった。
「……大袈裟よ」
そっけなく言う。
さっきまで凄く不機嫌そうな顔をしてたのに、いきなりの変化だ。
……あれ、今度は思いっきり褒めたはずなんだけど……。
「けど、まあ………」
俺の疑問を遮るように無表情をちょっとだけ崩して、原野さんは言う。
「敢えてその言葉を借りるんだったら、“条件付き特殊スキル”ってとこね。」
「条件、ですか。」
「興味がなかったら全然駄目なのよ、私。だから、どうでもいい人の事は全く分からないわ。」
肩をすくめながら片手をひらひらと振った。
なるほど、確かに原野さんは万人に注意を向けるタイプではない。
自分の興味の対象を絞ってるから、余計なところからの噂は全く気にならないし、逆に興味がある相手の様子の変化には気づくのか。
そういえば、篠原が“原野さんのファンは多い”なんて言っていたが、彼女がそれに気付いている様子は全くない。
俺は納得する。
すると丁度、その瞬間だった。
「てか思ってたんだけど、また何か悩んでるんじゃない?」
原野さんが俺にこう声をかけてきた。
「……あえ?」
いきなりの事に変な声がでる。
「違うの?」
「いや…まぁ、そうです、けども。」
「やっぱり。」
原野さんはにやにやしている。
「いつも思うけど、マコトってすっごく解りやすいわぁー」
俺は固まった。
思考だけがぐるぐる巡る。
原野さんが俺の変化に気付いているということ、つまりこれは、そういうことだ。
良く考えたら、下の名前で呼ばれているということ。
その希少性を、俺は今まで気づかなかったのだ。
だがしかし、まあ。
俺は押し出すように息を吐く。
落ち着け、仲のいい相手なんて、原野さんにかかれば五万といるはずだ。
俺はその中の一人にすぎない。
One of many many her friends .
そうだ、間違いない。
俺は急激に熱に浮かされた自分の内側を無理やり冷やす。
それに、これの流れは好都合だ。
最初の質問で変な空気になってしまって言えなかったことも、この流れなら言えるだろう。
「あの、……そのことでちょっと、相談が。」
俺はこう切り出した。
「ん?」
原野さんが片眉を上げて応じる。
タイミングを逃さないうちに一気に言ってしまわなければ。
俺は昼に谷口さんにしたのと同じ質問を彼女にぶつけた。
「自分と親しい人が『もしかして、自分のことをこう思ってるのかも』って感じる出来事があったとして、原野さんは、それを本人に直接確かめようとしますか?
この人が自分のことをどう思ってるか知りたいって思ったとしたら、なんですけど。」
「……………。」
「…………。」
…少し間が空いて。
「………おお。」
何故か、原野さんが感嘆の声を上げる。
予想外の反応に戸惑う俺。
「………え、え?なんですか」
「つまり焚き付けるわけ?やるわねマコト、なかなかやることがあざとい。」
「は?…いや……」
…焚きつける?あざとい??
「けども!それはダメよマコト、探りをいれるようなことしちゃ!」
「え……え?」
「それは女の子しか使っちゃ駄目な手だとあたしは思うわ。」
原野さんは腕を組んでうんうんと頷いている。
俺は、会話が一体どこに向かっているのか全く分からない。
「ちょ、ま」
「やっぱりね、男はバシッと!自分からよ!!」
原野さんはそう力強く主張して、ふう、と息をついた。
言いたいことを言い終わったらしい。
そのまま満足したように、彼女が手元の教科書に意識を戻した。
……一体何の話をしてたんだ、原野さん。
俺はぽかんとする。
「ちょ……原野さ」
「マコトも……成長したわねー……」
「……え」
原野さんの言葉に、俺は思わず黙った。
しみじみとそんなことを言う彼女。
「ふーん……そっかそっか。」
原野さんはそう言って頷くと、少し思案するようにしていたが、やがてぼそっとつぶやく。
「やっぱり契約もそろそろ……よね」
「………え、なんのこと」
何故ここで出てくるのか分からない“契約”という言葉に反応して俺は思わず聞き返したが、
「けど、さっき言ったことは私の意見にしか過ぎないから。」
それは原野さんによって遮られる。
「最終的に、選ぶのは貴方。それを忘れたら駄目よ。」
俺を見詰める彼女の瞳は、まっすぐだった。
「……はぁ。」
俺はそれに気圧されて、気の抜けたような返事しかできない。
何がなんだか分からないまま。
彼女はそのまま暫くそんな俺を見ていたが、いきなりふと我に返ったように眉を釣り上げた。
「そうだ、そんなことより!!今はそんな時間はないわ、数学よ数学!!一つでも多く解法を覚えてくれないと!!」
まるでさっきの話なんてなかったかのような切り替え様に、拍子抜けする。
まあ、確かに関係ない話を持ち込んだのはこっちなんだけど。
思わず心の中で苦笑いした。
原野さんは、はきはきと俺の数学の問題集を手にとって、今日の部分のページを探していたが、
「てか、マコト。なにこれ」
やがて怪訝そうに、問題集から紙をめくりあげた。
「貴方の下の名前の漢字って、こんな書き方したらもはや“コトナリ”としか読めないんだけど。」
俺の前に掲げられる半紙。
見覚えのある墨字。
【 中 澤 言 成 】
「………おしい!!!!」
……思わず机をダンっと叩いた。
「え、ちょ……しーっ!」
隣で師匠が焦った顔をしている。