6."11 SAMURAIs" -b4 『既視』
-b4『既視』
「……別にね、あたしは怒ってる訳じゃないのよ。怒ってる訳じゃね。」
「………はい。」
「ただね、どうしてそんな状態になるまで放っておいたの、ってことがね、ただ疑問なのよ、ほんと。」
「………はい。」
「分からないものを分からないままで放置しといて気持ち悪くない?なんかこう……モヤモヤッ!ってしない?」
「それは人それぞれの感じ方だからねー、ユウヒちゃん。」
「そうにしても!!もうちょっとあったでしょう、ほら!もっとこう……なんか取りあえずしっくりこないのよ!2の8乗とか!そんな席次で放っておけるってのが!」
「だからねユウヒちゃん、それは2の8乗っていうのがユウヒちゃんの感覚でしっくりこないだけで、順番付ける上で必ず発生する数字なんだからね?それにみんながみんな一番とか、そんな訳無いでしょ?」
「それは分かってるんだけど!そのことじゃなくて、あたしは2の8乗のままでいいのかってマコトに聞いてるの!!」
そんなに2の8乗って言わないでほしいなー…、などと思いながら。
俺は陽翔さんのおかけで逸れていた原野さんの注意がこちらに戻ってきた事を感じ、背筋を伸ばした。
師匠、よほどしっくりこないのか眉間にしわが寄っている。
先程からずっとこの表情で、この手の問答を繰り返していた。
「勉強なんてやればできるようになるのよ、やれば。」
「それはユウヒちゃんの感覚でしょー?やっぱり勉強の才能ってあると僕は思うよ。」
「兄なんか“やったらできるのにやらない”の典型じゃない!今はマコトの話をしてるの、ちょっと黙ってて!!」
「……はーい」
陽翔さんが少ししゅんとした様子で肩をすくめる。
陽翔さんも勉強出来る人だったんだな……やっぱり兄妹か……。
俺の心に地味にダメージが蓄積されていく。
決して楽観視していたわけではなかったが、まさかここまで問題視されるとは。
これがいい成績なんてこれっぽっちも思っていなかったが、外からの評価として『悪い成績』という扱いを受けることがこれ程に傷つくものだとは。
自分で思っている分には一向に構わないのだが、外からの評価として同じ事を言われると想像以上にショックなものである。
成り行きに任せて、出来るだけ意思を持たず、決めることすらを放棄してきたこの生き方。
その結末としてのこの結果。
生きやすいように最善を尽くしたことで、逆にそれの生む副作用に苦しんで。
俺はいつまでも、そのジレンマに捕らわれたまま抜けだせないのだ。
そう、ずっと……。
「………ちょっとマコト、聞いてる?」
「…え」
俺は原野さんの声に、ハッとした。
彼女の声が全く頭に入っていなかった。
慌てて焦点を合わせる。
原野さんは相変わらず眉間にしわを寄せたまま、腕を組んでいた。
「あたしはずっと、このままでいいのか聞いてるんだけど。」
「そ……!」
…そんなの嫌に決まってる。
だけど、どうしようもないのだ。俺は……。
「ちょっと、マコト。」
俺の言葉を、思考を、遮るように原野さんは大きくため息をついた。
「“どうしようもない”って、思うのは無し。」
「…あ……。」
俺は思い出す。
そして気づく。このデジャブ、この既視感。
「確か、だいぶ前にも言ったわよね。それじゃ最初から諦めちゃってるじゃない。変わろうと思わないから変わらないのよ。」
聞き覚えのあるセリフを言うと、彼女はまた一呼吸置いて、続ける。
「ま、言ってみたら、あれよあれ、」
「“ヘタレ”…ですか。」
「…そう、分かってるじゃない。」
原野さんの言葉に被せるように呟いた俺に、彼女は少し驚いたように言う。
「勉強なんて、やれば出来るようになるのよ。何度も言うけどね。」
原野さん……いや、師匠は。
「要はやらないから出来ないだけ。単純に勉強時間を増やせばいいの。それだけ!」
そう言ってくいっと首を傾けて。
俺は師匠に見入る。その凛とした姿に魅入る。
そして師匠はニヤリと笑って、言った。
「だから私が勉強、見てあげるわ!次の定期テストは2の8乗から抜け出すわよ!!」
嗚呼、彼女は。
俺が自分で巻き付けた言葉の暗示をいとも簡単に解いてしまって、なのにそれには全く気付かずに。
至って自然体に、至って無意識にやってのけてしまって。
尚も笑う。それはもう、楽しそうに。
やはり俺をこの無限ループから助けてくれるのは、彼女を置いて他にはいないのだろうな。
俺はふと、そう思った。