6."11 SAMURAIs" -b3 『席次』
-b3『席次』
「………はあー…。」
俺はひとつ、漏れるようなため息をついた。
一体全体どうして俺は、こうも気弱なのだろうか。
小さい頃は、どうってことないただの子供だったはずである。
…まあ、母さんから幼小時の話を詳しく聞いたことは無いので自分の希望的観測が強いのだが。だがお隣の“のんちゃん”とも普通に仲良くなっていたことを思うと、その当時は今ほど人見知りでは無かったと思われる。
…それなのに。小学校高学年になってからというもの、俺のメンタルは弱化の一途をたどっているように思う。
学年が上がるにつれて、何故か不得意になっていくコミュニケーション。口ごもり、言葉が出てこなくなることが苦痛で、俺はあまり人と話さなくなった。
それに伴い、誤解や憶測が増えていくわけで。
まあ、俺が人と話さないのだから、それに対して弁解や釈明をする機会も無かったため、それは当然の結果だった。
友達はいないわけではなかったが、彼らの俺に対する印象は噂をしている人たちと大差なかったので、代弁は期待できなかった。
誤解されたまま弁解も釈明も説明も放棄した結果が、今の俺の周囲の反応に繋がっている事は分かっている。
だが、自業自得な状況を振り切って、割り切って、何も無いように振舞える度胸があれば、俺はそもそもこんな錯誤に捕われていない。
……酷いジレンマである。
そんなこんなで俺は、ここ数年、目立たないように努力して過ごしていた。
出来るだけ自然に、出来るだけ無色透明になって、景色に溶け込むように、波風を立てないように。
…最近はそれが出来ていない傾向にあるのだが、今回の文化祭の件を見て見ても分かるように、余計な行動は状況を圧迫するだけなのである。
成り行きに任せて、出来るだけ意思を持たず、決めることすらを放棄していた、そんな中学時代。
だがしかし。そんな生活を送っていた3年間でただ一つだけ、強い意志をもって取り組んだことがあった。
鷹尾高校への受験である。
翌年に受験を控えた中学2年当時、俺はそこまで頭のいい方ではなかった。
サボっていたわけではないけれども、だからと言って勉強が好きなわけでも、ましてや良い成績をとろうとも思わなかったので、大体真ん中くらいの成績をキープしていたのだ。
両親もそこまで学業にうるさく無かったので、俺はこの点に関しては、ほとんどストレスなく生活をしていた。
きっとこのまま、中堅の公立高校に入るんだろうな、なんて思い始めていた中2の冬。
難関公立高校志望のクラスメイト達が段々内申点を意識し始める中、俺はふと、女子たちの会話を耳にしたのである。
『えー!のんちゃん、鷹尾高受けるの?!』
『あ、一応、まだ希望してるだけなんだけどね?』
『いいじゃんいいじゃん、鷹尾!あそこ伝統校だし!!』
『うん!……けど、鷹尾高校ってこの辺じゃトップの進学校だし、届くかどうか…』
『のんちゃんなら大丈夫だよ!凄く頭いいし!!』
『そ、そんなことないよお!』
……鷹尾高校。舞園市、鷹尾市一体の学区でのトップの公立高校であった。
その当時から谷口さんを意識していた俺は、焦った。
谷口さんが鷹尾高校に行ってしまったら、俺なんか絶対相手にされなくなる……!!!
今思えば、かなり早とちりだったかもしれない。だが、この会話を聞いたことが、確実に俺の転機だった。
恐怖心が先だって何もできない焦りで飽和していた俺に火をつけるには、それは十分なきっかけだったのである。
ここから俺の猛勉強の日々が始まった。
中2当時の成績では、鷹尾高校なんて夢のまた夢。担任の先生に絶句されたり、母さんにあんぐりされたりと周囲の反応は決して手放しな応援ムードではなかったが、協力はしてくれた。
連日塾に通い、予習復習の嵐をさばき、寝る間を惜しんで勉強した。
その結果。
中3の一年間でみるみる成績が上がり、俺は悲願の鷹尾高校進学を果たしたのである。
谷口さんも無事に受かって、あの時はもうほんとに嬉しかった。
…ほんと、嬉しかった。
とまあ、こんな感じで。俺は中学時代の強い意志の全てを掛けたといっていいほどの心意気で受験勉強したわけであって。
…まあ、それ以降は…そこまで、うん、勉強に…強い情熱を掛けているわけでもなく。
ましてや、そんな状態で良い成績がとれるほど、元のスペックが高い訳でも無いわけで。
だから今俺は、先程から師匠と陽翔さんの間で繰り広げられている高校の成績の会話に、戦々恐々としているのである。
「…そういや、ちょっと兄聞いてよ!この前はびっくりしたわー。いきなり実力テストがあるんだから。もうすっかり忘れてた!!」
さっきまで嬉々として語っていた高校の授業の難易度の話を一段落させて突然、原野さんがこう言った。
「えっ、ユウヒちゃんらしくないねー!テストの日程忘れてたなんて。」
「文化祭ですっかり記憶から飛んでたのよ。」
彼女は不満そうな顔をして続ける。
「まあ、何とかなったから良かったけど。」
「ふうん、そうなんだー。席次はどれくらいだったの?」
陽翔さんのその質問に、原野さんはちょっと口をとがらせると
「8位。」
………至って不満そうに、言った。
「??!!」
俺は思わず叫び声をあげそうになったのを押し殺した。
………8位?!320人中の?!
鷹尾高校の8位って、どんなレベルなんだよ……!
「えーそうだったのー。それはユウヒちゃんらしくないねーやっぱり。」
だがそんな俺の心境をよそに、それが残念極まりないことのような口ぶりの陽翔さん。
……俺の真逆を行く反応である。
「そうなのよー…ちょっとサボりすぎたかも。」
もっと顔をしかめて、しかも反省までし始めた我が師匠。
「……はあ…」
思わずまた息がでた。
……住む世界が違う。
俺は自分の席次を思い出して寒々とした気分になる。その成績で失敗というのなら、こっちの成績は大失敗もいいところだった。
「そういや、貴方はどうなのよマコト。」
明後日の方向を見つめていた俺に、いきなり声がかかった。
突然のことに、俺はびくっとなる。
「え!」
「貴方って、成績どれくらいなの?そういや知らなかったわ。」
「……えー……」
…こうなることを一番恐れていた。
だからこの話題が回って来ないように、出来るだけ大人しくしていたのに……。
その場にいる人を会話からあぶれさせるようなことをする師匠では無かったのである。
……これは切り抜けられるのだろうか…?
もうこれ以上残念なエピソードは明かしたくなかったのに……。
目の焦点がずれている俺に、原野さんは不思議そうな顔をする。
「…なによ、言いにくい?…あ、もしかして私より良かったの?」
「え!いや!」
原野さんのとんでもない勘違いに慌てる。
8位以上ってどれだけ頭いいんだよ!!
「ええ!そうなの、セイくん!!」
だが、まさかのタイミングで陽翔さんが乗ってきた。
「今回ユウヒちゃんも調子悪かったみたいだしねー!!」
「それ言わないでよ、兄。」
原野さんの冷ややかな視線に、陽翔さんがだまる。
原野さんはそれを確認すると、グイっと俺に迫り、圧迫するように、言った。
「どうだったの?実力テストの席次。教えて!」
……“俺もテストのことすっかり忘れてて勉強できてなかったんですよー!あはは!”
……といって許してもらえる席次なのだろうか。
…ほんとはテストの存在はばっちり覚えて勉強しなかっただけだけれども。
もしかしたら、師匠は成績の良さなんてあまり気にしないなんてことはないだろうか。
…自分の成績は凄く気にしているけれども。
だが少なくとも、ここで嘘をつくと重大な契約違反になるわけで。
俺は今日だけでもうすでに事実を伝えないという危ない橋を渡っているのであって。
……ここで自然にはぐらかせる程のコミュニケーション能力など、絶対的にあるはずもなく。
「……256番でした。」
俺は白状した。
………あたりが一瞬で、静かになった。原野さんの表情が、にこやかなまま、時間停止でもしたかのように固まっている。
「……に…2の8乗だね!!!!」
という陽翔さんの謎なフォローが部屋に響き渡った。