6."11 SAMURAIs" -b2 『便乗』
-b2『便乗』
「いやーセイくん、似合ってるよセイくん。」
「……………はい。」
「そういや黒髪のセイくんって見たことなかったからね、似合ってるよほんと。」
「……………はい。」
「さ…最近の髪染めは凄いね!こんなにきれいに黒くなるんだね!ほんと真っ黒だよ!!」
「髪染めじゃなくて白髪染めよ、兄。白髪染めはブリーチせずに色を乗せるからプリンが綺麗に染まるの。」
「へ、へえ、そうなんだ………と、とにかく似合ってるから元気だしなよセイくん、大丈夫だよ!!!」
「…………。」
…結局抵抗しきれなかった、それだけだった。
俺の修業はまだまだ足りなかった。
少し口答えできる程度では、師匠に勝てるわけなど無かったのである。
あの後。
俺達は陽翔さんが帰ってきてからも格闘を続けた。
にらみ合いの均衡状態。
…だが健闘も虚しく、程なくして俺は敗北した。
原野さんにシャワーヘッドを取り上げられてしまったのである。
唯一の武器を失った俺が制圧されるのに、時間はほとんど必要なかった。
今になって考えると、俺の敗因は何と言っても、振りかざしたシャワーヘッドの蛇口をひねる勇気が無かったことだろう。
原野さんを水浸しにしてしまったとして、後のことを考えるとそれだけで鳥肌物だった。
……その時点でもう敗北は確定していたのかもしれない。
俺が屈してから全工程は手際よく進行し、それはもうあっという間に。かつてナチュラルブラックを目指していた俺の髪色は、黒染めによって人工的なブラックになっていた。
……それはそれは真っ黒に、墨汁でも流したかのように真っ黒だった。
時計もすっかり3時を回った昼下がり。
髪を乾かし終わった後のリビングで、テーブルの代わりに置かれた炬燵に座り手鏡に鏡に映った自分の真っ黒な頭を呆然と眺めている俺。
黙々と後片付けとしている原野さん。
陽翔さんはというと、この空気をどうにかしようとしているのか、俺に色んな言葉をかけてくれていた。
「大丈夫だよ、セイくん!そんなに…その気にすることじゃないって!」
「………はい。」
「すぐにね、色が馴染んできていい感じになるよ!だからね!」
「…………分かってはいるんですよ………」
意気消沈だった。
確かに、確かにプリンみたいになっていたけれども…。
噂の勢いも下火になり、ようやく変な気をもまずに学校に行けるようになった矢先にこれである。
暫くはなんの変化も無く過ごしたかった。
そうしたら余計な気苦労はいらなかったのに、これじゃあまた何を言われるか……。
「そ…そういえば!ねえねえセイくん!」
陽翔さんは取り越し苦労でさらに鬱に入ってきた俺に気がついたのか、いつもの2割増しくらいのテンションで話しかけてきた。
「……はい」
「どうして髪染めてたの?染めるタイプには見えないからなー!今まであんまり気にしてなかったんだけど、考えてみたらなんでなのかなーってね!思ってね!!」
陽翔さんは身振り手振りで、面白いくらいのハイテンションである。
「そういえばそうよね、あんまり気にしてなかったけど。」
後片付けが終わったのか、原野さんも話に入ってきた。
手をタオルで拭きながら、俺の左斜め前に座って炬燵にくるまる。
もはや顔だけしか出ていない。
「マコトに限って、モテたいとかオシャレしたいとかの理由ではないだろうし。」
原野さんのその言葉に
「あー………」
俺はあいまいに返事をする。
「えー…、…あれですよ、えっと、不可抗力っていうか、ね……」
「なによ、はっきりしないわね。」
原野さんはくいっと片眉を上げた。
「そ、そんなことは無いですよ、ほら不可抗力です。」
「どういうことよ、それを詳しく。」
ぐっと顔を近づけ詰め寄って、彼女は俺を威嚇する。
「ちょ…」
俺は肩辺りで両手を上げ、彼女と間合いをとった。焦って息が喉に詰まる。や…やめてくれ、ほんと!
「あ、分かったセイくん!友達でしょ、友達!!ね!!!」
俺の心の叫びが届いたのか、はたまたただの偶然なのか。
俺が自己防衛を洩らすのと、陽翔さんが気付いたように叫んだのが、まったく同じタイミングだった。
俺の発した言い訳はそのセリフにうまい具合に掻き消されて、ただのうなり声になった。
「不可抗力って、友達に無理やりやられたんでしょ!ほら、今日みたいに!!」
陽翔さんはなるほどと言わんばかりににこやかである。
そして意図的なのかそうでないのか、『今日みたいに!!』が強調されているような気がした。
「……む」
原野さんも強調に気がついたらしい。
気まり悪そうな表情をすると、乗り出していた体を元の位置に戻した。
陽翔さんは相変わらずにこやかで、その笑顔はどこまでも曇りない。
原野さんは納得し、俺は解放された。
陽翔さんは「ふふ」とにこやかにほほ笑む。
だが、緊張と焦燥は解かれるどころか更に酷くなっていた。
蘇る『絶対に嘘をつくな!!!』という原野さんのセリフ。
記憶の中で、夏にこの場所で経験したあの時の威圧感がフラッシュバックしている。
厳密には陽翔さんの勘違いを彼女が納得してしまったのであって、俺は嘘を付いていない、嘘は付いていないんだけれども……。
必死な自己弁解の最中、陽翔さんと目が合った。
彼はいつもの笑顔のままで俺に軽く目配せをする。
『言いたくない事ならこのまま黙っちゃえば良いよ!』と、そんな視線。
本当は。高校入学を控えた春、母親に引きずられて行ったおしゃれな美容院で、いまどきな美容師のお姉さん相手にうまくしゃべれるはずなど無く、母親と美容師さんの強い押しになす術もないまま気づいたら茶髪になってしまっていたというのが真相なのだが、だがしかし。
これ以上ヘタレエピソードを明かしたくなかったとはいえ、陽翔さんの助け船に乗って弁解しなかったのは事実であるわけで。
後々師匠に事実を伝えなかったことがばれたらどうなるのかと、俺はその恐ろしさに背中が寒くなるのを感じた。