6."11 SAMURAIs" -b1 『格闘』
-b1『格闘』
それから少し時は流れ。
文化祭がきっかけのあの騒動も、そこそこ落ち着きをみせ始めていた。
少なくとも歩くだけで嵐を巻き起こすような事態は収まってきたのだ、それだけでも進歩である。
噂が落ち着くまでの間は、篠原との交換条件(?)が成立したこともあって、そこまで辛い思いをせずに済んだ。
篠原は時にアツく俺を慰めてくれたし、末永はあることないこと付け加えられた噂話をちまちまと潰してくれていたようだったし、クラスメイトの俺に対するありがたくない視線は矢吹のバカ騒ぎが和らげてくれた。
…矢吹は通常運転だっただけかもしれないが、結果として良い効果を享受したので、まあそれは良い。
良い友人を持った、と俺は改めて思ったのだった。
そして、そろそろ上着が必要になってきた10月最後の日。
俺は陽翔さんの家に来ていた。
最近大学が始まったばかりという陽翔さんが『レポート片付いたから遊びにおいでよ!』と誘ってくれたのである。
文化祭からほとんど陽翔さんと接点がなかったので、俺は喜んで遊びに行った。
陽翔さんの家に遊びに行かせてもらうのは夏休み以来だ。
秋以降は忙しくてご無沙汰だったので、俺はテンションが上がる。
今日は陽翔さんと楽しくじちゃクエをプレイ!
通信対戦でエンジョイだ!!
…と思っていたのだが、だがしかし。
俺は何故か今、洗面台の鏡の前に座っていた。
洗面台の前に設置された椅子に無理やり座らされた自分と、俺の首にせっせとタオルを巻いている原野さんが映っている。
「あのー…原野さん…?」
俺は恐る恐る、背後でごそごそとスーパーの袋を触っている彼女に声をかける。
鏡の中の自分の顔が引きつっていた。
だが当の本人は俺の呼び掛けには一切反応を示さず、今度はゴム手袋をつけ始める。
そして、袋から出してきた箱を開けた。独特の薬品の匂いが洗面所に広がる。
その匂いが気に入らなかったのか、鏡越しの原野さんは顔をしかめた。
「あー…これこれ。この匂いよ…。」
「ちょっ原野さん、本当に今染めるんですか!?」
そう、俺は今、師匠に髪を染められかけているのだ。
…黒染めである。
俺は本格的にやばくなってきたことを感じ、抵抗する為に椅子から立ち上がって逃れようとする。
しかし、原野さんに肩を掴まれ無理やり座らされた。
「ここまで準備しておいて、しない訳ないでしょ。いい加減グダグダ言わない!」
「い、いやいや!いくらなんでも…」
「…あのねー、マコト。」
原野さんの低い声が俺を遮る。
「出来るだけ目立ちたくないと思ってるみたいだけど…。茶髪とか、自分で目立つ要因を作ってるようなものじゃない!」
俺は鏡越しの彼女のどすの効いた声に、思わず黙った。
…マジで怖かった。
「それに、今のその頭…。なんか、プリンみたい!我慢出来ないんだけど!」
プ、プリンって!
「プ…プリンって表現されたの初めてなんですけど!」
原野さんの言葉に若干傷ついた俺は、鏡越しに負けじと反論する。
「いや、それはプリンね!間違いないわ!!」
「そんな…俺が良いって思ってるんですから良いじゃないですか!」
「あたしが嫌なの!」
「原野さんのことは知りません!」
「目につくのよ!!」
「じゃあ見なければいいじゃないですか!!」
俺の言葉に一瞬黙ると。
「……あたしは…あたしはね、マコト…」
原野さんがわなわなと震え始め、そして。
「…屁理屈を言えるようになる為に貴方のヘタレ矯正を引き受けたんじゃ無いわ!!!」
噴火した。
凄い大声だった。
原野さんはそれでもまだ何か収まらないものがあるのか、両手をバタバタさせている。
…今回俺にしてはかなり頑張った方だったが、最後の勢いと声量には流石に反論が途切れてしまった。
耳がきーんとなっている。
俺が黙ったことに気付いた原野さんは、何かが少し収まったのか我にかえったのか、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
……今、鼻で笑ったな…。
ちょっとばかしカチンときて、また反抗心に火がついた俺は、もう一度反撃を試みた。
「じゃ、じゃあせめて、ちゃんとした髪染めを使ってください!!」
「なによ、プリンの時は髪染めよりも白髪染めの方がいいのよ、知らないの?」
「そ!…それは、ちょ…っとだけ聞いたことありますけど!」
…ほんとは知らなかった。
強がってしまった。
俺は知ったかぶりがバレないように勢いで続ける。
「白髪染めで黒染めなんてしたら、墨を流したみたいになっちゃうじゃないですか、逆にカッコ悪いです!」
「髪染めでもそれは同じでしょ!」
「だ、だから染めたくないんです!自然に黒に戻したいんです!」
「どれだけ長期計画なのよ!!!!」
原野さんはそう叫ぶやいなや、痺れを切らしたのか箱から櫛を取り出し、俺の頭とっかかろうとする。
「ちょ…マジで嫌です!嫌です!!」
俺は椅子から無理やり立ち上がると、洗面台の伸びるタイプの蛇口を手にとって原野さんに対抗した。
「いい加減あきらめなさいって!!」
「い…嫌です!!」
「あー!!もう無理やりにでも染めるわ!!!」
原野さんが髪染めチューブをひっつかみ俺に飛びかかろうとしたその時。
入口の方から「おーい?」という声がした。
そのままの体勢で声のした方を振り向くと、陽翔さんがひょこっと扉から顔だけ出している。
「陽翔さん!!」
「兄!!」
俺達は思い思いに叫ぶ。
陽翔さんは最初、いつも通りにこにこと微笑んでいたのだが、俺達の様子を見るなり。
「え…二人とも洗面所で何やってるの?」
無表情になっていた。
…自分の家の洗面所で、右手に櫛、左手に何かしらのチューブを構えた女子高生と、首にタオルを巻いてシャワーヘッドを振り上げている男子高生が取っ組みあっているのだから、当たり前の反応かもしれなかった。