5."Separate September" -d8 『麻痺』
-d8『麻痺』
グラウンドの特設ステージでは生徒会がマイクで何やら叫んでいるようだ。
参加している生徒達が楽しそうにステージの周りで騒いでいるのが聞こえる。
俺はそのざわめきを聞きながら、ぼーっとしていた。
何故だか、参加する気分にならない。
心の端っこが、じんわりと麻痺したようになっていた。
その音の波が、聴いている内になんだか鬱陶しく感じられ始めたから、俺は。
教室で喫茶店の片づけを行うことにした。
教室には後夜祭に出ているのか帰宅したのか、生徒は誰もいなかった。
今は誰かと話す気分ではないから丁度良い。
片づけをしようと教室に来たものの、すでに大体は片付いていた。
……それならもう、帰ろうか。
どうせもう用事はない。
教室の隅に置いていた鞄を取る。
黒板には“打ち上げ7:30から!”と大きな字で書いてあったが、俺は見て見ないふりをした。
なんだか、そんな気分ではなかった。
後夜祭の騒音を聞きながら、下足室に向かう。
校舎内は静まり返っている為、自分の歩く音しか聞こえなかった。
そんなことを考えながら歩いていると、前方に見慣れた姿を見つけた。
谷口さんである。
俺は師匠の言葉を思い出す。
“後夜祭だけは例の彼女を誘いなさい”
今までは割と出来る範囲内ではあるが、谷口さんに関することで師匠に言われたことは、きちんとこなしてきたつもりだ。
だが最近、師匠に言われた指示を、素直に全部はこなしていない。
それは谷口さんを好きじゃなくなった、とかそういうものではなかったのだが。
ただ何となく。
そう、本当に何となく。
でも、それは本末転倒というものであって。
それに…俺と原野さんが仲良くしているのは、あくまで契約だから、であって…。
まとまらない考えが、頭の中をぐるぐると回る。
そして、俺の思考は、一番のわだかまりに辿り着く。
原野さんはペアの男子と、会えたのだろうか?
その後、どうしたのだろう…?
「まこと…くん?」
その声で我に返った。
考え事をしている内に、俺は谷口さんの方向へ歩き続けていたようだ。
そのせいで今、彼女の頭は俺のすぐ下にある。
「あ…ごめん」
俺はすぐに谷口さんから距離をとった。
彼女は「…うん」とか細い声で俯く。
数秒の沈黙が流れた。
…それが凄く長く感じられたから。
堪らなくなった俺は、口を開いた。
「あ…谷口さんは後夜祭、行かないの?」
俺が言葉をかけた途端、彼女はすぐに顔をあげた。
「うん…色々、仕事とかクラブの片づけがあったから。」
「え?あ…ごめん…!俺、クラスの片づけ…行った時には…」
「だいじょうぶだよ!まことくんはずっと頑張ってくれてたから!」
谷口さんは俺に対して、はにかむ。
彼女の笑顔に俺は、何も言えなくなった。
「…まことくんは、帰るの?」
今度は谷口さんが口を開く。
「…うん」
「打ち上げは?来ないの?」
「……うん」
返答に、彼女は凄く不安げな瞳で俺を見上げる。
「……どうして?」
その声に、その表情に…俺は動けなくなる。
俺は、恐らく焦点が合っていないであろう瞳で、彼女の瞳を見つめたまま口から文章にならない言葉を、単語を発した。
「…お金、ないし…それに、今日…疲れたから、ね…」
谷口さんが一瞬目を大きく見開いた…気がした。
が、それは気のせいだったのか、次にきちんと焦点を合わせて見た彼女は、少し困ったようにはにかんでいただけだった。