5."Separate September" -d3 『激昂』
-d3『激昂』
二人の言い合いは暫くして、何とか一段落ついた。
結果を一言でいうと、”兄の勝利”だったわけだが。
説教をしていた陽翔さんは話をまとめると、いつものゆるりとした笑顔を俺に向けた。
「じゃあそういうことだよユウヒちゃん!」
俺とより一層不機嫌になった原野さんを見る。
「問題も無くなったことだし、三人で文化祭を回ろう!ユウヒちゃん、セイくん!案内よろしくね!」
「え…あ、はい!」
半ば無理やりではあったが、結果は俺が望んでいた方向へと収束した。
今日は陽翔さんとたくさん話せる!
そう思うと俺はおのずとテンションが上がってくるのを感じた。
どことなく足元がふわついた感じで、前にいる陽翔さんの方へ俺は歩きだし………たのだがその時。
「待って。」
いきなり、後ろからがしっと腕を掴まれる。
俺は歩いていたところを急に掴まれた為、バランスを崩す。
こけそうになりながらも体勢を整え後ろを振り向くと、原野さんが俺を睨みつけていた。
「えー、どうしたのユウヒちゃん。まだ何か不満なことがあるの?」
その様子に陽翔さんは困ったような声をあげる。
だが、原野さんに「兄は黙ってて!」と一喝された陽翔さんは、今度は大人しく黙ってしまった。
そして。
彼女の視線は俺に移される。
「…え…、な、何ですか?」
俺はあわてる。
がっちり掴まれている左腕。
……なんなんだこの状況は。
「あなた…あたしのメールは見たの?」
「…え?」
「送ったでしょ!“文化祭、例の彼女を誘いなさい”って」
不意を突かれて思わずきょとんとする。
あぁ…あの俳句メールか。
俺は思い出す。
あの時は彼女の対応が腹立たしくて、腹立たしくて。
俺はそのまま携帯を放り投げたのだ。
彼女に少しでも俺の気持ちを味わって欲しいとか、そんなことを思ったから。
メールの内容なんてそんなの…・・・すっかり忘れていた。今の今まで。
「もちろん、誘ったのよね?」
原野さんがドスの利いた声で尋ねてくる。
…俺は腹を括った。
「……誘ってません。」
その言葉を発した瞬間、俺は時が止まったかと思った。
原野さんの動きが、ぴたりと停止したのだ。
もうそれも、瞬きさえも停止した。
しばらくたった後、俺の腕を掴んでいる力が急激に強くなる。
「……ちょっと、マコト。…どういうつもり…?」
原野さんの声は、小刻みに振動しているかのように低く重低音で響いた。
俺はいつもの彼女のものとは思えない重く響く声に、思わず寒気を覚える。
原野さんは、静かに怒っていた。
それは、今まで見たことのある怒りとは質の違うものだった。
熱というよりは、冷気。
体の芯から冷えるような怒り。
…だが。
俺はくいしばった。
今回に関しては、こちらにもちゃんとした理由がある。
俺は、少ない勇気をなんとか絞り出し、口を開く。
「……いいじゃないですか」
「よくないわよ」
師匠が俺の言葉にかぶせて遮った。
それと同時に段々と距離をつめてくる。
冷気が増す。
俺はゾクッとする。
「早めにメールしたから誘う期間は十二分にあったはずよ。……あなたメールも返さないでいったいどういうつもりなの!!」
師匠は言葉を爆発させるように、早口で一気に叫んだ。
俺はその迫力に圧倒される。
ひるむ。
後ずさる。
………だが。
だが、最後の言葉。
……今、メールも返さないでっ…て、言いましたよね…?
頭の中であの時の感情がフラッシュバックする。
箍が、外れた。
「……メールをしても返さなかったのは原野さんの方でしょう?!!!!!」
口から一気に言葉がなだれ落ちた。
俺の叫ぶような大声に、彼女と陽翔さんがびくりとする。
だが師匠はすぐに目をしかめて、俺に突っかかる。
「したじゃない!だから修業内容を…」
「あんなのは返事じゃない。あれは一方的な命令メールでしょう?!」
「そ……しょうがないじゃない!あたし、忙しかったんだから!」
「ああそうでしょうね俺だって忙しかったですから!!」
俺の言葉に激怒に、師匠は「うっ…」と言葉を漏らす。
……そして、沈黙。
……え。
もしかして俺、今師匠に口げんかで勝った…?!
目の前の師匠が「はぁ~…」と大きくため息をつく。
「なによ、マコト。“俺、メール苦手です”とか言ってたくせに……」
原野さんは声を低くして、決して美しいとは言えぬ顔をする。
……師匠、それは俺の真似のつもりでしょうか?
その低クオリティーのものまねモドキ……いや、顔に正確にはイラッとしてしまった。
不覚にも。
ちょっと、これはなんとも引き下がれない。
「ちょ、原野さん、それとこれとは話が別でしょう、話を逸らさないでください………それに俺はそんなん顔っ、しません!!」
「そうだよユウヒちゃん!!今のはユウヒちゃんが悪いよ!」
今まで静かに見ていた陽翔さんが、いきなり加勢してきた。
……半笑いなのには、つっこまないでおこう。
「……あー!!もういいわ!」
原野さんは投げやりに叫んだ。
陽翔さんが加勢してきたこともあり、原野さんは面倒くさくなったのかもしれなかった。
しかめっ面で右手をぱたぱたさせながら、まるで放り投げるように言った。
「今回はあたしが悪かったー、あー私が悪かった!!はいっ、これでいいんでしょ?!」
……全然謝られている気がしない。
だが、一応自分が悪いとは認めたようだ。
多少不満点は残るが、これ以上ぐだぐだ言っても仕方がない。
俺も、もうこれ以上師匠を問い詰めるのはやめることにした。
「じゃあ、俺もメールを返さなかったことは謝ります。」
俺はと師匠に頭を下げる。
師匠は一瞬少し意外そうな顔をしたが、「別に、もういいわよ」と呟いた。
「うんうん!よかったよかった!!」
後ろからいきなり陽翔さんの声が聞こえた。
俺が振り返ると、なんだかやけに嬉しそうな陽翔さんの姿がそこにあった。
彼はいつもよりさらににこにことして、俺たちに笑いかける。
その笑顔は、それはもうシャイニングである。
「よし!これで心置きなく一緒に回れるね!」
陽翔さんはそれはそれは朗らかにそう言うと、ルンルンしながら先に歩いていく。
俺は先に行ってしまおうとする陽翔さんに続こうとしたが、原野さんはまだ動こうとはせず、立ち止ったままだった。
俺は再度彼女の方を振り向く。
「原野さん?陽翔さん、行っちゃいましたよ?」
原野さんは何か言いにくそうに顔を歪めた。
「…マコト。例の彼女とは回らなくていいの?」
「……あ。」
……完全にそのことを忘れていた。
きょとんとしてしまった俺に、師匠はまだ言葉を投げる。
「別に全く気を使わなくていいのよ。兄はあたしが案内するし、文化祭は大事なイベントだし。ここってけこうポイントだとおもうし。だからマコトは…」
「いや、いいんです。」
原野さんの言葉を遮った俺に、彼女は驚いて顔を上げる。
「今日は折角、久しぶりに陽翔さんと会えましたし。……それに、原野さんとも」
俺の言葉に原野さんは苦い顔をする。
俺は、そんな彼女を見て少し吹き出してしまった。
「だから、今日は二人と一緒に回ります。」
そういい俺は歩きだす。
原野さんが後ろでため息をつく音が聞こえたが、彼女はすぐに俺に追いつく。
隣で原野さんが「マコトって根に持つタイプなのね…」と呟くのが聞こえた。