5."Separate September" -b3 『通過』
-b3『通過』
「まことくんって、すごくもてるよね」
谷口さんが関心したように言う。
「え……いや…そんなこと、ないよ」
俺は唐突な彼女の言葉に、しどろもどろになりながら答える。
俺達は、校門までクラスTシャツを取りに行く為に、四階から二階まで階段を下り、二階にある廊下を歩いているところだ。
我が鷹尾高校の校舎の造りは複雑で、ちょっとした迷路のようだ。(矢吹曰く“ダンジョンみてーだ”らしい)
その為、入学したての1年生には迷う生徒が続出する。
そして、全クラスから校門に行くには必ず通らないといけない二階渡り廊下はいつも人がたくさんいる。
だから、俺にとってこの長い長い渡り廊下は入学当初から“地獄の渡り廊下”なのだ。
そして…今日はまた文化祭の準備ということもあり、いつもより本当に人がたくさんいた。
俺は自分にグサグサささる言葉を浴びながら、矢吹への怒りを募らせていた。
「ねぇ!!中澤くんだよ!」
「え?…あ!本当だ!かっこいい~!!」
「え?でも一緒にいる子…。もしかして、彼女?」
「え~!?違うでしょ~!!きっと委員が一緒なだけだよ!!」
「だよね~!!よかった~!」
こんな感じのお馴染みの会話が聞こえてくる。
……毎回思うが、彼女達は俺に聞こえていることを知っているのだろうか?
多分、彼女達的には声を潜めているつもりなのだろうけど…。
グサグサささる周りの視線に俺はテンションを下げられ、軽くため息をつく。
すると、谷口さんから「まことくん?」と少し心配した声が聞こえた。
俺は彼女に軽く笑いかけ、前を向く。
そうだ…ここでくじけていたら師匠に怒られる。
そう思った時だった。
いきなり後ろから「どいてどいて~!!」という声が聞こえた。
俺はその声に振り向く。
すると、目前にダンボールが迫ってきていた。
俺は咄嗟に谷口さんの腕を引っ張り、廊下の端に移動する。
きっと文化祭で使うのであろう、大きなダンボールを運んで走っていた声の主は、すれ違いざまに「ごめんね!」と言い、駆け抜けていった。
周りを見てみると他の生徒達も避難していたようで、「びっくりした~」などの言葉を発していた。
……それにしても、男前な女の子だったな。
俺がそんなことを考えていると、下からかすれる様な声が聞こえた。
俺はその声のした方に視線を下げる。
……そこで俺の思考は止まった。
「…まことくん。…あの…もう、だいじょうぶ…」
すぐ近くに…本当に近くに谷口さんの顔があった。
俺と目が合うと、彼女は赤い顔で視線をそらす。
俺は止まった思考を動かすために、ゆっくりと目を動かす。
そして、徐々に理解していく。
俺の右手は谷口さんの左腕をがっちり掴み、そして俺の左手は彼女を抱きしめるかのように彼女の肩にあった。
もちろん…俺たちの距離は、すっごく近くて………。
状況を把握した途端に俺の顔に熱が集まる。
そして、ばっと彼女から離れた。
谷口さんは赤い顔のまま、俺に掴まれていた左腕をそっと自分の右手で掴み、まだ俺から視線をそらしていた。
……俺は…何てことをしてしまったんだ……。
…とにかく……谷口さんに…言わないと……!!
「あ…あの…ごめん!いや…あの…!咄嗟に…」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
だが、慌てている俺に視線を戻し、谷口さんは顔を赤くしたまま、くすりと笑った。
「…ありがとう…。ダンボール…いきなりだったから、びっくりしたね…。」
彼女はそう言い照れたように俺に笑いかける。
少し落ち着いた俺は、とにかくこの何とも言えない空気に耐えられなかった。
「あ…早く…行かないと…Tシャツ。……店の人、待ってるかも……」
そう言い彼女を見ないまま歩きだす。
谷口さんは「…そうだね」とだけ呟き、俺の少し後ろを歩いていた。
それから、俺達は終始無言だった。
でも、俺達の間に流れているこの空気は嫌じゃなかった。
何ていうか…少し恥ずかしいような、でも…何となく嬉しいような、そんな感じだった。
校門についてTシャツを受け取る。
Tシャツは10枚ずつ紙袋に分けられていた。
谷口さんが紙袋を一つ持ち上げたところで、俺は残り三つを持ち上げた。
谷口さんは「あ…」と小さく声を漏らしたが、俺が「…行こう」と言うと、それ以上は何も言わず頷いた。
その顔がまだ少し赤いように感じて、俺は何だか嬉しくなる。
そしてそのまま校舎に入り、教室に向かう。
二階まで階段を上がり、渡り廊下を歩く。
…初めてすがすがしい気持ちで渡り廊下を歩いたな…。
そんなことを考えていると、前方に見なれた顔があった。
その顔に俺は思わず立ち止まる。
谷口さんはいきなり立ち止った俺を不思議そうに見ていた。
少し遠いところで、原野さんは誰かと話していた。
話しはすぐに終わったようで、彼女は忙しそうにこっちに向かって駆けてくる。
俺は何となくドキっとする。
……が、原野さんは俺の横を通り過ぎる少し前で携帯を取り出し、ボタンを連打しながら俺の横を通過した。
その行動に俺はムカっときた。
原野さんと俺が学校で会ってもお互い反応しないというのは、分かりきっている。
しかし、そういうのではなくて…何ていうか…絶対に今のは俺に気づいてないだろ…。
いつもは反応はしないものの、何かしら目くばせはしていた。
それに、目くばせはしなくても、ちらっとお互い視線は合わせていた。
…だから、今みたいに無視をされたのは初めてだった。
いや…でも、俺はそれに怒っているのではない。
無視されたのも確かにムカついた。
でもまぁ、忙しそうだったし……。
それは仕様がない。
それよりも……
俺はポケットから携帯を取り出す。
そして、受信ボックスを確認する。
…念の為、“新着メール問い合わせ”もしてみる。
“新着メールはありません”
俺はその文字にイラっとし、携帯をパンっと音を立てて閉じた。
……原野さん…。
今、あなた携帯さわってましたよね……?
だったら……何でメールを返してくれないんですか……?
俺は師匠に対する怒りをわき上がらせながら、歩きだす。
谷口さんが驚いたように「まことくん?」と聞いてきたが、俺は何も答えない。
「まことくん…?…どうかしたの?」
しかし、後ろから服を引っ張られてしまっては、無視することは出来なかった。
……それに、谷口さんに八つ当たりをしても仕様がないし、彼女に悪い。
俺はふつふつとわき上がる怒りを抑え、今できる最上級の笑顔を谷口さんに向け「何でもないよ」とだけ言う。
そんな俺に谷口さんは、驚いたような遠慮したような表情を向けていた。
あぁ…今の俺はきっと、目が笑っていないのだろう。