4."Odd August" -c2 『待合』
-c2『待合』
夕方、である。
ツクツクボーシが鳴いている。
ああ、もう夏も終わりなんだなぁ、としみじみと感じさせる鳴き声。
思えばもう学校が始まるまで一週間を切っているのだ。
夏休みの終わりが俺にとっての『夏』の終わり……。
小学校の時からよく思っていたものだ。
だがしかし、この異常なまでに高い気温だけは全く下がらない。
だたひたすらに暑い。
それだけはもうどうしようもなかった。
会議の後。
ここ、祭り会場の最寄り駅、大田駅の改札の前に来ていた。
今の時刻は17時50分。
『あまり顔が見えて目立つのは良くない』という陽翔さんの提案でかぶることになったキャップを目深にかぶり、待ち合わせ時間の18時00分までここでじっと待っていることにしたのだった。
師匠はというと、俺と一緒に陽翔さんのアパートを出て、一度自宅に帰った。
俺たちが祭りに入るころに敷地内に入り、簡単な見張りをしてくれることになっている。
よほどの問題が起きない限り連絡はしない、とのことだった。
俺は駅の外壁に背中を預け、深呼吸した。
心臓がどくどくと激しく脈打って、呼吸が浅い。
どうにかなってしまいそうだった。
師匠の言葉のおかげで多少プレッシャーはなくなったものの、俺にとって今回のお祭りは、間違いなく、大きな転機になりうる貴重な“可能性”なのだ。
5月は話すこともできなかった。
6月はビッグチャンスを棒に振った。
7月は掴みかけてそのまま。
8月こそは。
暑さと緊張からか、意識が朦朧としてくる。
俺はいい加減シャンとしようと、ギュッと目を瞑って、両手で自分のほっぺたをパシンと叩いた。
「あ…まことくん!」
目が覚めた…と同時に。
俺の耳に、幼いころから聞きなれた高い声が届いた。
俺は体に電流が走ったかのようにビクッと、声のした方に顔を向けた。
そこには………谷口さんが。
紺色にピンク色の花がちりばめられた浴衣を着て、やわらかい茶色の髪を高いところでお団子にした、谷口さんが、いた。
改札をでて、こちらに向かって軽く手を振りながら、小走りで、こちらに、向かってくる。
「まことくん、はやかったんだねー。またせちゃった?」
小走りをして少し息の上がった谷口さんが、言う。
俺はその姿に視線が張り付いたようになってしまい、すっかり頭の回転が止まっていたので、
「あ、いや……大丈夫、今…来たとこだから」
なんて、使い古された決まり文句しか言えなかった。
浴衣姿の谷口さんは、もうどうしようもなく、………可愛かったのである。
「そっかぁ、よかった。」
彼女はそう言って、丸い目を人懐っこく細めて笑う。
俺も、俺も早く、何か言わなければ。
思うように動いてくれない頭を何とか回転させて、必死に考える。
何か、なにか、いい台詞を思い出せ、俺。早く、はやく、ハヤク、谷口さんが、喜ぶような、いいセリフを…………。
そして、思い当った。
そうだ、今ここでこれを言わなくてどうする。
これだ、これしかない!
俺は、つっかえて上手く言葉が出ない喉に無理やり息を通して、言った。
「た……谷口さん、え…えーと、浴衣、か………、うん、……似合ってるね。」
………“可愛い”と言えない自分のメンタルの弱さが恨めしかった。
谷口さんは、一瞬驚いたように目を丸くして。
そしてその後、彼女は前髪を手で直すようなしぐさをしながらちょっとうつむき、はにかんだ。
「え、えーと…………ありがと」
俺のはじめて見る表情だった。
だが、彼女はもっとうつむいてしまって、前髪にやった手のせいで顔がほとんど隠れて見えなくなってしまう。
その言葉からほとんど間の開かないうちに、谷口さんは少し珍しいくらいのハイトーンで言った。
「あー…、まことくんは、浴衣きないの?…似合うとおもうんだけど。」
「あ……いや、俺は、髪を染めてるから……似合わないかな、と思…… ……!」
俺はここまで言って、しまったと口をつぐむ。
谷口さんも、茶髪じゃないか…!!
なに言ってるんだ俺は!!
俺は慌てる。
大いに慌てる。
「いや!谷口さんは、ほら、茶髪でも似合うんだけど!!ほらなんていうか、俺は男だから男の和服はほら、黒の方がより良いっていうかって思ったというか」
谷口さんがうつむいていた顔をこちらに向けて、きょとんとした表情をしている。
もっと焦る俺。
何やってんだ、いきなり墓穴を掘るとか……!!
あああどうしよう…!!!
だが、次の瞬間。
谷口さんは、クスクスとおかしそうに笑い始めた。
これには今度は俺がきょとんとしてしまう。
「え……」
「ふふふ……まことくんがこんなにしゃべってくれたの、久しぶりかも。」
「え、あ……そう…かな?」
「うん、久しぶり。こんなに長く話すのも、久しぶり。」
彼女は、そう言って、また。
今度はいつも通りの笑顔を俺に向けてくれる。
「今日は、誘ってくれて、ありがとう。」
嗚呼、俺は。
もう、このやり取りだけで満足してしまいそうだった。