4."Odd August" -c1 『確認』
-c1『確認』
「………とりあえず言いたいのは、あたしの努力を無駄にしないでください。本当に。」
場所は陽翔さんのアパート。
いつもの席に腰かけての『直前会議』での原野さんの第一声は、これだった。
……師匠、見ているこちらにもヒシヒシと伝わってくるくらい、ぐったりしている。
「朝からずっとこんな調子なんだよー。」
陽翔さんがクスクス笑いながら言う。
「昨日よっぽど疲れたみたいだね……一体どんなだったんだろう、凄く気になるよ。」
「ちょっと兄、もうその話には触れないで、本当に。」
原野さんがさらにゲンナリした調子でぼそっと言った。
………あの矢吹に負けず劣らずのお祭り好きの原野さんをこんなにぐったりさせるなんて、一体どんなだったんだろう。
というか、矢吹は一体なにをしたら原野さんをこうも疲れさせることができたのだろうか。
原野さんはしばらく机の上に顎を乗せてぼーっとしていたが、急に姿勢を正すと首をぶんぶんと横に振って、両手で自分の頬を包み込むようにした。
はぁーっと、長くため息を吐き、うん、と一つ大きく頷く。
「ああ、もう、いい加減気合い入れるわ。よし!!」
大きな声でそう言うと、バンっと机を両手でたたいた。
そこに乗っていた、鷹尾祭りのパンフレットとここ一週間でびっしりと文字の埋まったルーズリーフが軽く跳ねる。
「今日はとうとう、決戦当日です。」
原野さんはさっきまでとはうって変って、いつもの力強い眼差しで俺を見据えて、言う。
「プランはちゃんと頭に入ってるわね?」
「は……はい、大丈夫、です……。」
俺は思わず目をそらす。
無意識に、自信のなさが声に出てしまった。
俺だって、ここ一週間きちんとプランを練って、それを頭に入れる努力はしていた。
だが、いざ本人を目の前にするとなってはワケが違う。
机上の理論と実践では、精神において使う部分が大きく違うのである。
うまく出来るのか?
ちゃんとプラン通りに進められるのか?
もしできなかったら、師匠や陽翔さんの尽力を無駄にすることになるんだぞ……?
そんなことが頭の中をグルグル回って、ただただ、不安が募った。
師匠は。
そんな俺の様子を見るなり、短くため息をついた。
少し呆れているようにも見えた。
そして。
「貴方ね……プランはあくまでプランなのよ。分かってる?」
彼女は、まるで俺の心の中を見透かしたかのように、こう言った。
俺ははっとして原野さんの方を見る。
「プランばっかり気にして相手の気持ちをまるで無視。計画を消化することにばっかり全力を使って、相手が楽しんでくれてるかどうかは気にもかけない。……これが絶対的に、最悪よ。」
原野さんは言い放つ。
陽翔さんも隣で、軽く頷いて同意する。
「これはよくある失敗でもあるわ……彼女を楽しませようと計画を練るあまり、それに縛られて逆にデートを台無しにしてしまうの。」
俺は思わずうつむいた。
……こうやって言われなければ、陥ってしまっていたであろう状況だった。
確かにその通りだ。
こんなことに言われないと気がつかないなんて。
「“この通り進めなかったら、原野さんに申し訳ない”なんて、絶対思わないこと。」
またもや俺の心の中の言葉をトレースしたようにこう言って。
「絶対に、彼女にペースを合わせること。“彼女と一緒に楽しむこと”が目的なのを忘れないこと。自分一人で突っ走って滑って転んで空回り、なんてことにならないように。もしも彼女が『違うところに行きたい』と言うんだったら、その場で全部プランなんて捨ててしまって構わないから。」
そして、原野さんは、ゆるりと。
ゆるりと笑う。
「こういう形式の修業は始めてだから、緊張するとは思うけど、あたしは心配してないわよ。貴方は人の気持ちをちゃんと察せられる人だと思うから。」
俺は。
この言葉に胸が熱くなる。
ああ、大丈夫だ。
俺、なんとか頑張れそうだ。
今まで感じたことのなかったささやかな、だがちゃんと熱のこもった炎が、心の片隅に宿るのを感じた。
俺はしっかり前を見据えて、師匠の視線を正面から受け止めた。
真っすぐで力強い瞳。
俺は、こくんと頷く。
それに合わせるように、師匠も頷く。
陽翔さんは嬉しそうに微笑んでいた。
…しかし、彼女は。
そんな何となく和やかになった空気の中、仕切り直しとでも言わんばかりに咳払いをすると。
「……まぁとりあえず、今日の修業クリア条件は『浴衣を褒めること』。いろいろ言ったけど、それだけは忘れないように。」
スパンと効果音が付きそうなくらい鋭い口調で言った。
……そんな、谷口さんが浴衣を着てこなかった場合、どうしたらいいのだろうか。
どんな状況下でもきちんと“条件”を出してくる師匠には、流石としか言いようがない。