4."Odd August" -a9 『帰宅』
-a9『帰宅』
『………分かった、この件については、あたしが責任をもって今日中に考える。今夜寝るまでに対策をとっとく。だから、マコトは例の彼女とのメールを頑張って続けといて…。』
俺は家の最寄り駅、里坂駅から自分の家に向かって歩いていた。
夕方の斜めの陽射し。
だんだん夏が終わりに近づいているためか、陽の落ちる時間が心なしか早くなっているように思う。
あの後、俺たちは必死に矢吹対抗策を考えた。
だが、流石の原野さんもクリティカルな解答を咄嗟に導き出せなかったらしい。
気がつけばもういい時間ということで、この件はとりあえず保留として、本日の会はお開きになったのだった。
俺は歩きながら考える。
なんだか分からないが、今日は疲れた。
ずっと逃げていたことに直面したからだろうか。
それとも、思ってもみなかった原野さんの怒りに触れたからだろうか。
いや、それ以外にも、いろいろな要素が折り重なったからのような気もする。
もやもや気持ち悪いような、ふわふわ心地いいような、掴みどころのない感情たちが渦巻いているのだ。
きちんと考えて整理したいが、今、俺の思考は疲れでよく分からないことになっていた。
家の前までたどり着いた俺は、玄関を開けて、チャイムは押さずに中に入った。
台所の水が流れる音が聞こえてくる。
「ちょっと、誠―?帰ってきたのー?」
リビングに入ると、台所の方から母さんの声がした。
「うん、ただいま。」
「ちょっとこのお皿運んでくれないー?お父さんがもうすぐ帰ってくるから、ご飯にするわ。」
「はいはい」
俺は軽く返事をすると、鞄を椅子にかけて、台所へ向かった。
今日の晩御飯はどうやらビーフシチューらしく、テーブルにはサラダのボウルが乗っていた。
「ちょっと誠、最近よく出かけてるわね。どこ行ってるの?矢吹君の家?」
母さんは鍋をかきまぜながら、俺に話しかけてくる。
「………まあ、そんなとこ。」
「仲いいわねー。あんたももうそろそろ、男友達とばっかりつるまないで、ガールフレンドと出かけたりしたらいいのに。」
「え?!なっ」
「女の子のお友達とかはいないの?」
……うちの母さんは、こうやっていつもナイスタイミングで的確なことを聞いてくる。
妙に感がいいのだ。
その話好きな性格も相まって、俺は昔から母さんの詮索を逃れて隠し事をするために大変な労力を要してきたのであった。
俺はどうはぐらかそうか考えながら、サラダボウルをテーブルにやたら丁寧に置いた。
そして言う。
「……まあ、いないよ。」
「……ふうん?」
母さんの、あまり納得していないような相槌。
これは嘘ではない。
俺と原野さんは、“師弟関係”だ。
“友達”ではない、何かなのである。
それは今日、原野さんも言っていたではないか。
『冬までの付き合い』と。
確かにそう契約はしていた。
ただ、俺が忘れていただけだった。
冬まで、か。
俺はもやもやと、契約の内容を思い返した……。
「ちょっと、誠―?次はお茶を頼むわ。」
「…あっ、はいはい。」
ぼーっとして動きが止まっていたのか、その声で現実に引き戻された俺は、また慌てて台所に向かう。母さんは今度はパケットを包丁で切り分けていた。
「ところで、お向かいの和ちゃんがね、今朝会ったんだけど、あの子可愛くなったわねー!」
「?!あ、おう。」
また母さんは、なんでこうピンポイントに良いところをついてくるんだ…?
俺は焦ったのを母さんに悟られないように、表情を引き締める。
「ちゃんと挨拶もしてくれて。ほんと良い娘よねー。誠、同じクラスなんでしょ?和ちゃん。」
「ま…まあそうだけど。」
「和ちゃん、モテるんじゃない?」
「……どうなんだろう、女子の友達は多いみたいだけど……。」
「でしょうね!」
母さんはパケットをオーブントースターに放り込みながらまだ続ける。
「いいわね誠、幼馴染じゃない、オサナナジミ!」
強調してきた。
俺は必死に気持ちを落ち着ける。
気を抜くと赤面しそうだった。
だが母さんは、まだまだ話を止めない。
「あんたも昔は“のんちゃん”って呼んでたのにねー……いつからやめちゃったんだか。」
「……いつの話だよ」
「あら、幼馴染の特権でしょう?」
その時。
ピンポーン!と、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、お父さん帰ってきたわ!誠、お茶頼むわね!」
そう言って母さんは、いそいそと玄関の方へ消えて行く。
玄関から父さんの『ただいまー』という低い声が聞こえてきた。
俺は質問攻めから解放されて、はあっとため息をつく。
なんだかさっきより疲れた気がした。