4."Odd August" -a2 『追加』
-a2『追加』
“詳しいこと”など聞いている場合ではなさそうである。
リビングの扉を開けて中を覗くと、そこにはこちらに背中を見せるようにテーブルに向かっている原野さんの姿があった。
……全身からこれでもかという程の怒りのオーラを放っている原野さんが、そこにいたのである。
表情を見なくても分かった。
彼女は今、怒っている。
しかも激怒している。
彼女の後姿とこの部屋に漂うぴりぴりした空気が、それを十二分に物語っていた。
全くの状況が飲み込めていない俺でも十分に理解できるほどに明確で、分かりやすい激高である。
気配に気がついたのか、原野さんがぐるりとこちらを振り向く。
扉から半身を乗り出して動けなかくなった俺は思わずびくっとする。
目が合った。
…これでもかと云う位、ジト目。
俺に対しての明るい感じの感情が全く籠っていない、視線。
これは、つまり、あれだ。
………なぜだかは分からないが、……彼女の怒りの原因は、俺、のようである。
「………ちょっとこっち、座って。」
原野さんが驚くほど無感情な声で言った。
テーブルをはさんだ彼女の目の前の席を指さしている。
これ以上原野さんの怒りに触れていはいけない。絶対にいけない。
俺は今できる最大の機敏さで部屋に入り、彼女の指す席に座った。
正座して背筋を正したが、目は合わせなかった。
……さっきの『頼んだよ』って、この事だったのか…。
あまりにも辛い、沈黙が続く。
原野さんはジト目でこちらに視線をやったまま、動かない。
辺りの空気がさらに重くなり、張り詰めていく。
無情にも、クーラーの風に煽られた風鈴がちりんちりんと風流な音を出した。
「………ちょっとさあ、聞きたいんだけど。」
沈黙を破ったのは原野さんだった。
俺は思わず身構える。
「は、はい?!」
「おとつい、何してたの?」
「……え」
「“家の用事”、だったわよね?」
原野さんはあくまで無表情で、俺に問うてくる。
俺は思い出す。
おとついは………。
………そうだ、あれか?!
俺は気がついた。原野さんが怒っているのは、あの件だ。
「え、あの、えー……」
「あたしに秘密で、嘘までついて、兄と一緒に行った、じちゃクエのイベントは、楽しかったかしら?」
ゆっくり、俺にかみしめさせるように区切り区切りで、彼女は言って。
俺の目の前に写真を置いた。
そこには、じちゃクエのモニュメントの前でピースする陽翔さんと俺の姿が映っていた。
そう、おとつい。
俺は陽翔さんに誘われて、じちゃクエのイベントに行ったのだ。
陽翔さんの提案で、これは原野さんに内緒で計画された。
“ユウヒちゃんにばれるといろいろとうるさいから”ということだったのだが、その日彼女に“修業”を言い渡されていた俺は、この計画がばれないように嘘を吐くしかなかったわけである。
つまり、動かない証拠を握られた今、言い訳もできない。
そして、陽翔さんが出かけてしまっているこの状況。
俺はもう一人の当事者に、上手い具合に『押しつけられて』しまったのであった。
「………すみません!!!!!」
俺は机に手をついて机におでこがつくほど頭を下げ、素直に謝った。
これ以上の解決策が浮かばなかったのだ。
だが原野さんは無表情。
そんな俺にさっと視線をやると、言った。
「……あたしに黙って二人だけで行くなんて。この日どれだけ暇だったと思ってるの。一言くらいいえばいいじゃない。信じられない。なんで嘘つくのよ。」
淡々としていたが、口調に確かに怒りがこもっている。
あのクールな印象の原野さんがここまで怒るなんて。
俺はますます申し訳なくなって、さらに頭を下げた。
おでこが机にくっついた。
「いや、ほんと……すみません。反省します。」
「………あたりまえでしょうが!!!!!!!!!」
とうとう、彼女の怒りが爆発した。
バーンと机を両手で叩くと、彼女はその場で跳ねるように立ちあがった。
俺はいきなり机に与えられた振動がおでこに直撃し、目の前がちかちかしたが、急いで顔をあげて彼女を見る。
怒りのあまりか顔が真っ赤に上気し、目が潤んでいた。
そのまま原野さんは俺に右手人差し指を突き付けると、叫んだ。
「これからは絶対、あたしに、嘘つくな!!!これも契約に加えます!!!」
俺はその迫力に気圧されながら、
「ほ…ほんと、すみません……」
と消え入るような声で言った。