4."Odd August" -a1 『不解』
-a1『不解』
夏休みももう後半にさしかかり、お盆まで残り数日となった8月半ば。
空は曇っているため陽射しこそ緩やかだが、肌にじっとりとまとわりつく湿気と熱気にじわじわと体力が奪われていく。
暑い。
喉が渇いて倒れそうだ。
俺はもうへとへとになりながら、やっとのことで辿り着いた陽翔さんのアパートの敷地の玄関口にある扉を開けた。
7月の終わりに陽翔さんの家に遊びに行ってから、俺と師匠、原野唯陽さんの主な修行場所は陽翔さんのアパートに移された。
提案したのは陽翔さんだったのだが、これは俺にとってとても有難いことだった。
この猛暑の中、あの公園で活動し続けたら倒れてしまうこと確実であっただろう。
当初は公園で活動する気満々だったらしい原野さんも、陽翔さんのこの提案にはすんなり乗った。
流石の師匠でも暑さには勝てなかったようである。
だが、ここでもやはり“師匠節”は炸裂した。
そう、彼女の辞書に容赦という言葉はない。
容赦の“よ”の字もなければ、情けの“な”の字もないのである。
原野さんはこの殺人的な暑さの中、俺に学校の最寄り駅からアパートまで、徒歩で来ることを命じたのだ。
正直、もうどうしようかと思った。
だが、『これも修業の一環!』などという魔法の言葉を言われてしまうと、従わざるを得ないのだ。
俺は半分以上めげそうになりながらもこの罰ゲーム的な“修業”を続けていた。
そして今日も徒歩でここまで来たのである。
よく頑張ってるぞ、俺。
もうこの夏、何km歩いたか…。
だんだんこの長い道のりもそこまで苦しくなくなってきた。
確かにこれは体力が付いているのかも知れない。
俺はそんなことを考えながらアパートのコンクリート造りの階段を登り、二階の廊下を進む。
奥から二つ目の部屋、そこを目指して歩く………。
その時。陽翔さんの部屋の扉が開いた。
「じゃあ、帰るわ……」
そこから出てきた男性が言った。
「はーい…」
追って、原野さんの声。
ぼさぼさの黒い短髪にTシャツとジーパンという、絶対に陽翔さんではないその人影に、俺は思わず身構えた。
だ…誰だ?!
男性が扉から上半身を出した状態で、こちらを向く。
目が合う。
彼は眩しそうに細めていた目をもっとしかめると、中を振り返って言った。
「おい、ハルト……誰か来てんぞ。」
「えー?」
中から声がすると同時にぱたぱたと足音がして、陽翔さんがひょこっと顔を出した。
「あ、セイくんじゃない!!遅かったね!!」
陽翔さんがシャイニングに笑いかけてくる。
俺は無意識に硬直していたらしく、ハッと我に返った。
「え、あ…はい、こんにちは…。」
「…それじゃあ。」
男性はそのやり取りの後、陽翔さんに右手を軽く振って、扉から出てくる。
「じゃあね、大輔くん!また来てね!」
陽翔さんがニコニコしながら手を振り返している。
すれ違いざまに俺に軽く会釈をして、彼は階段の方に消えて行った。
「あの……誰ですか?」
「彼は大輔くんだよ!………ところでセイくん!いいところに来てくれたね!!」
陽翔さんは俺の質問に不十分な解答しかしないまま、いきなり話題を変えてきた。
俺はその切り替えの早さと高いハイテンションに、思わず飲まれる。
「えっ……はい…?」
「僕はね、今からまさに買い物に行こうと思ってたんだよ!いやあ、本当にいいところに来てくれた!」
陽翔さんは心なしか取って付けたようなテンションである。
だがそれを不審に思う隙さえ与えず。
「……それじゃ、後は頼んだよ、セイくん。」
俺の目をじっと見て、謎の視線を送ると。陽翔さんはそのまま俺の隣をするりとすり抜け、行ってしまった。
何故だか、逃げていくようにも見えた。
俺は状況が良く飲み込めないままである。
結局誰なんだ、あの男の人。
それに、頼むってなんだ?
だが、このままここに立っていても埒があかない。
俺は扉を開けて、部屋にお邪魔することにした。
詳しいことは原野さんに聞こう。