3."A title of 7" -c1 『徒歩』
-c1『徒歩』
刺すような痛い日差しが肌に突き刺さるお昼前。
もうすぐ7月も終わろうとしている。
終業式が済み、夏休みに突入してから早一週間が経過していた。
どこからか蝉がやかましく騒ぎ立て、うだるような暑さで頭がぼんやりする。
夏休みに入ってからほとんど家に引きこもっていた俺は早くも夏バテ気味。
倦怠感と疲労を押しながら、また一歩、重い歩みを進めていた。
一方遥か前方には、愛用の自転車に乗る原野さん。
のんびりとペダルをこいでいる。
何せ彼女、さっきから俺を置いて先先行ってしまうのだ。
この暑さの中、普通は電車で3駅の距離を歩けというのだから、師匠は相変わらずのスパルタだった。
師匠のお兄さん、原野陽翔さん。
俺たちは、彼のアパートへ行くためにこうして歩いていた。
お兄さんは鷹尾高校から比較的近くに立地している私立大学に通っているそうで、現在2回生。
大学の近所に一人暮らしをしているそうだ。
俺は汗を拭い、持参のキャップを深くかぶりなおした。
暑い。
体中の水分が奪われていくようだ。
「よし。じゃあ今から修行ね。体力づくりの一環!」
そう言って師匠が、電車に乗るつもり満々だった俺を制した時、俺は正直血の気が引いた。
この炎天下、まさか、徒歩など…!
原野さんが自転車に乗っていたので二人乗りに期待をかけてみたが、うちの師匠が交通ルール違反などするはずはなかった。
というわけで今現在。
駅から高校へ行くための坂道をさらに上った延長線上を、俺は歩き、原野さんは自転車で、進んでいるのである。
「ちょっと、遅い。ダッシュって言ったじゃない!」
原野さんの声。
Uターンして帰ってきたようだ。
俺の歩く横に自転車を並列させて、並んでゆっくり走行する。
俺はぼーっとしながら応じた。
「いや……すみません。けど、これ以上早くは、…ちょっと…。」
「……。…まあ、確かにこの暑さはね…仕方ないか。」
師匠も暑いのか、手で額をぬぐう。
そらそうだ、この日差しの中、平気でいられる人がいるわけがない。
「ところでなんだけど、セ…いや、マコト。」
……今、絶対言い直したな、師匠。
いや、だけど、ちゃんと名前を覚えてくれたという点では進歩かも知れない。
俺は、そこには口には出さず、相槌を打つ。
「はい、なんですか。」
「あのカップケーキ貰ってから、例の彼女とはどうなの?上手く話せてるの?」
「あ!?……え、あ、まあ…。」
唐突に谷口さんの話が振られたので、俺は思わず言葉につかえた。
…これをどうにかしないといけないのに、全く俺は。
昔よりはましになったが、まだまだ全然である。
俺は気持ちを落ち着けながら続ける。
「…ま、まあそれなりには、話せてます…。」
「夏休みだったけど、会う機会あった?」
「…はい、まあ一応は。家が向かいなので…。」
「よかったじゃない?成長ね。」
師匠が俺の顔を見てにやにやと笑う。
「全く話せなかった時のことを思うと……。ぐっと最終目標に近づいたわね。」
「さ…サイシュウモクヒョウって」
「告白。分かってるでしょう?」
原野さんがよりにこやかに俺に笑いかける。
それが何故だか怖い俺。
やめて、そこに触れないでください師匠……。
だが師匠はやめない。
俺の内心は通じない。
「やっぱり修行方法は間違ってなかったのね…。貴方の問題点は会話力不足とあがり症。ここが何とかなればもっと最終目標に近づくわ!」
「いや…ですけど……」
「分かってるとは思うけど」
師匠が俺にぐいっと顔を近づける。
俺は思わず身を引いた。
びしびしと感じる、圧迫感。
「到達点をあやふやにすると、絶対失敗するの。そこだけは失念しないように。」
「は……はい……」
俺はぐっと唾を飲むと、何とか返事をした。
言いかけたことがあったはずなのに、それもどこかに飛んでしまったのだった。
しばらく歩みを進め、2つほど駅を通りこし、俺たちは学校から3つ向こうにある駅「長山」に到着した。
この駅から山の方へいくらか歩くと、原野さんのお兄さんの通っているという大学がある。
だが原野さんはそちらとは反対方向に進み、駅をさらに突っ切り裏手の道に入る。
ここで俺は疑問を口にした。
「…大学の目の前、とかに住んでるんじゃないんですね。」
「そうなのよ。うちの兄は一人暮らしの理由がちょっと他とは違うみたいだから。」
「え…、それ、どういうことですか?」
「あたしもよく知らないんだけどね。教えてもらえなかったから。」
原野さんはそう言って渋い顔をする。
一般に、一人暮らしは家から学校が遠い人がするというイメージがある。
だが原野さんの自宅からここまで、電車で1時間もかからない距離なのだ。
確かに疑問ではあったが、原野さんが知らない以上、俺に分けを知る手だてはなかった。
まさか出会って数回しか話したことがないお兄さんに直接聞くことができる度胸はまだない。
駅の裏手を少し行くと、小さなアパートのような敷地が現れた。
周りの学生マンションに比べて広めで、小綺麗な印象を与える3階建ての建物だ。
ちょっとした庭もあり、そこに花や木が綺麗に植えられている。
原野さんは敷地の玄関口にある扉を開いて、そこに入っていく。
「…いいところですね。」
「家賃の半分を自分で出してるみたいだから、いいところに住めるんだと思うわ。部屋もなかなか広いのよ。」
原野さんはそう言いながら階段を昇る。
俺もそれに従った。
階段もきちんとしたコンクリート造りになっており、比較的新しく綺麗だ。
学生が住むマンションと言うと、ボロくて階段がギシギシいうだとか、お化けが出そうだとか、そう言った印象があったのだが、ここはそのイメージとはあまりにかけ離れていた。
二階の廊下に出て奥から2つ目の部屋の前で立ち止まると、彼女は。
「お疲れ様です。ここがうちの兄の部屋です。」
そう俺に言うと、チャイムを押した。
「はーい、はいはいはい!!」
チャイムが鳴り終わらないうちに、ドアがガチャっと勢いよく開いて、そこから。
あの時のお兄さん、つまり師匠の兄、原野陽翔さんが現れた。
そして俺を見て、例のゆるりとした微笑みをこちらに向ける。
「よく来たね!セイくん!」
「いや…まことです。」
………なるほど、流石兄妹としか言いようがなかった。