3."A title of 7" -b3 『成果』
-b3『成果』
“人間、気の持ちようでどうにでもなる”というのはどうやら本当らしい。
さっきまで津波のように押し寄せて俺の精神状態を危機に陥れていた絶望感はもうすっかり引いて、代わりに俺は、暖かな春の日差しの中で日向ぼっこをしているような心地よさに包まれていた。
いやあ、もう、うん。
精神が健康なことは、大切だ。
さっきまでは悲観しかできなかった状況もどうにかなりそうな気がしてくる。
何の根拠もないけど、だ。
気だるいのも、眠たいのも、イライラするのもすっかり無くなって、体は羽でも生えたように軽くなっていた。
“谷口さんとちゃんとした会話をすること”。
こんな普通のことを、俺はここ数年、出来ていなかった。
…好きだと自覚してからは特に。
これには原野さんにも呆れられた。
そう言われても、いざ彼女を目の前にすると頭の中がチカチカとフラッシュし、耳の奥で鼓動音が暴れ、喉が張り付き息が浅くなってしまうのだ。
この症状で、俺は何度も決定的チャンスを不意にしていた。
その最たる例が、六月の終わり――舞園ランドのお土産を渡しに行って、その後ケーキを御馳走になったあの日である。
俺は全く谷口さんと話せなかった。
いや、というか、家に帰った時、何が起こったのかを殆ど覚えていなかったのだ。
…この時ばかりは、原野さんにこっぴどく怒られた。
そりゃそうである。
あの状況は絶対的な“ビックチャンス”だったのだから。
『次、チャンスがあったら、絶対に掴まなければいけない』。
あれから、師匠にそう言われ続けた。
修業もより一層、“精神を強化する”、“口下手を解消する”方向のものが増え、難易度も高くなった。
それこそ、じちゃクエの予約を忘れるくらい。
その甲斐あってか、今回は。些細ではあったがチャンスを掴んだのだ。
谷口さんとちゃんと話ができた。
少しは仲良くなれたかも知れない。
そのことが俺の気分をさらに高揚させた。
そして、修行の成果が発揮できたことも、素直に嬉しい。
これも合わせて原野さんに報告しなければ。
あの休み時間からあっという間に時は過ぎ、時は12時15分ごろ。
終礼が早めに終わったので、俺は原野さんとの約束を果たすべく、中庭で待機していた。
時間より早いが、遅れるよりは断然いいだろう。
彼女と俺が学校で顔を合わせるのはこれでほぼ二度目だ。
たまに廊下ですれ違うこともあるが、その時はお互いにチラッと目を合わせるだけで、スルーする。
変な噂を立てられないためだ、仕方ない。
だが、その一瞬の視線のぶつかりだけで、師匠は様々なテレパシー(?)を俺に送ってくる。
『ちゃんと課題進んでる?』、『明日が期限よ』、『胸張って歩く!』……などなど。
彼女は器用だ。うん。
そして、今回のこの場所。
俺はますます愉快な気分になった。
原野さんはあの告白現場を俺が目撃していたことを知らないはずなのに、図らずしてこの偶然。
面白いこともあるもんだ。
俺は思わず口角が上がる。
「…貴方なに一人でニヤニヤしてるの?」
突然、後ろから聞きなれた落ち着いた声がぶつかってきた。
俺は思わず口元を引き締め、振りむく。
すると、そこには師匠、原野唯陽の姿があった。
「あ、原野さんっ!」
「…あれ。今日、機嫌いいわね。」
「いや、ちょっといろいろと良いことがあったんです。」
「それなら良かったんだけど、こんなに奥まった所にいるからなかなか気がつかなかったじゃない。」
「あ…、すみません。」
思わず謝る。
俺はちょうど例の告白現場をのぞき見していた部分に立っていた。
…確かにここは待ち合わせには不向きだったかも知れない。
「まあ、周りから見えづらくていいんだけどね。要件、直ぐ終わらせるわ。」
原野さんはスペースには入らず、俺が立っている入口部分に正対し、中庭に背を向けるようにして身を落ち着かせると、俺に右手を差し出した。
その手には細長い紙が握られていた。
「これ。貴方のでしょう?」
それは。
数時間前、俺を絶望の淵に追いやったきっかけとなった、あれ。
“じーちゃんクエスト7”の予約用紙だった。