3."A title of 7" -b2 『急変』
-b2『急変』
今頃はベッドにダイブしている筈だったのに。
二度寝するつもりだったのに。どうして今日に限って学校で用事とか。
いつもは学校で会うなんて絶対にしないのに。
どうして、今日!
どうしてですか師匠、やっぱり隠れて見てたんですか!
“サボる”という選択肢が消えてしまった、だから。
俺は仕方なく学校に来た。
…本当に仕方なく、来た。
もうすっかり家に帰るテンションになっていたので、もうさっきの5割増しで気だるい。
案の定、俺は授業中も、休み時間中も、ぼんやりと上の空で過ごしていた。
いつの間にか二時間目が終わってしまっている。
次は移動教室だったが、俺はなんだか動きたくなかったので、机に座ったままいつもよりだらだらと準備をしていた。
そしてこんな時に限って矢吹は学校を休んでいる。
文句の一つでも言ってやりたいが、あいつは何気に成績が良いのだ。
俺の順位-150番位の好成績。
悔しいかな、俺は“勉強しろ!”なんて言える立場でなかった。
例え、奴がおそらく家でじちゃクエに勤しんでいるであろうことが分かっていても、だ。
じちゃクエ。
俺はそこで思い出さないようにしていたことを思い出してしまった。
あの後、矢吹がいちいちプレイ報告をしてくるのを俺は聞かなければならなかった。
…これが案外応えた。
矢吹がプレイしてるのに俺ができないなんて、あまりにも酷い仕打ちである。
どうして、どうして予約しておかなかったんだ、俺。
学校帰りに何度でもチャンスはあったはずなのに…、あ、そうか。
師匠こと原野さんとの神社での修行があったのか。
修業は(契約により)何より最優先であったので、行くタイミングを完全に逃したのである。
だけれども!休日とか、時間はあったはずだったんだ!
今更感の漂う後悔ばかりが募っていく。
…いや、けど!
あの時あの楽しいお兄さんと一緒に予約したんだし、もう直ぐ届くはずだ。
もう直ぐ……。…あれ?
そこで俺は、ふとした疑問にぶち当たった。
そういえば、ソフトっていつ届くんだ?
というか、どうやって受け取るんだ?
俺は記憶を辿る。
お兄さんと話して、予約を頼んで、予約表を書いて、そして…。
…あれ?
…あ、あの時、俺……。
予約表の控え、も ら わ な か っ た ぞ ?
俺は文字通り、青ざめた。
予約表の控えがなかったら普通、予約の品って、受け取れないんじゃないか…?
なにしてんだよ、俺、なにしてんだ?
どうして今まで気がつかなかったんだ?
もしかしたら、ここ数日をまるで無駄に過ごしてしまったかも知れなかった。
あー…。何やってんだ。
ほんと、馬鹿だろ、俺。
もう嫌だ……。
俺は思いっきり机に突っ伏した。
かろうじて残っていたモチベーションも完全に消えてしまった。
もういい。
ここで不貞寝することにする。
もういい。
授業なんて知らない………。
「あの…まことくん?」
突然、頭の上から聞きなれた高い声が降ってきた。
あまりのタイミングの良さに俺はびっくりして、まるでばねにでもはじかれたように、机から跳ね起きた。
「え!あ、はい!」
見ると、俺の席の前に、谷口和が立っていた。
谷口さんは俺のクイックな動きに驚いたのか、目をぱちぱちさせて、ぽかんとした表情をしている。
いつの間にか教室には俺達だけしか残っていなった。
「…わあ、まことくん、急に起きたからびっくりしちゃった。」
えへへと笑う谷口さん。
…思わず和んでしまった。
「え、あ…ごめん…俺も、ちょっとびっくりして……」
「あ!私こそごめんね?急に声掛けて。」
「……っ!あっ!……い、いや、全然……」
…危ない、気を抜くと息がつまりそうになる。
俺は落ち着くためにも、彼女に気づかれない程度に深く息を吸った。
ここで喋られなくなったら、師匠との苦しい修行を乗り越えた意味がない。
性格矯正に効果があるのかどうか分からなかった“走り込み”や、結構な精神的負荷を伴った“クラスの女子と会話して盛り上がる”課題、1日のうち矢吹との会話の中で“矢吹より多く話す”課題を始めとする、めくるめく修行のメモリアル。
あの日々を無駄にするわけにはいかなかった。
気を引き締めて顔をあげると、谷口さんの大きな瞳と目があった。
…いきなりくらっときた。
「あのね、ちょっともらって欲しいものがあるの。」
そう言って、俺に小さな包みを手渡す谷口さん。
受け取ったものは、薄いピンク色のセロファンでできた袋にラッピングされたカップケーキだった。
「これね、部活で作ったの。一つおすそ分け。」
そう言って彼女はまた柔らかく微笑む。
そうか、確か谷口さん、料理部に入ってたっけ。
俺の頭の中は大きくなりすぎた心臓の拍動音で埋め尽くされていて、思考は停止しかけていた。
次が移動教室でよかった。
教室に誰も残っていなくてよかった。
矢吹が学校を休んでいてよかった。
今日帰らなくてよかった。
どうでもいいことがぐるぐると頭を回る。
「あっ…ありがとう」
俺は、なんとか、言った。
だけど。
今回はこれだけじゃ足りない。
言っておきたいことがある。
頭に血が回りすぎてくらくらしたが、俺はつまりそうな、消え入りそうな声で、付け加えた。
「す…す、凄くうれしい。」
しばらく、俺は彼女の方を見られなかった。
うつむいて手元を見ていた。
…だが、あまりに謎の沈黙が続くので、俺は顔を上げざるを得なかった。
な、なんだ、なぜここで沈黙?
谷口さんは。
簡単に表現すると、大きい瞳を、さらにまんまるにしていた。
目が合う。
すると、その瞳がわずかに揺れた。
「うわああ」
「え」
「まことくんが“うれしい”って言ってくれた!」
「…え?」
「はじめて言ってくれた!今まで、迷惑なのかもって思ってたから、凄くうれしい!!」
今度は俺が一瞬ぽかんとした。
迷惑って……そんなわけないじゃないか!
「え…あ、ごめん。……今まで言ってなかったっけ…?」
「うん、初めてよ。」
なんだかすごく嬉しそうな谷口さん。
幻覚だろうか、彼女の周りにキラキラしたエフェクトが見える気がする。
「……め…迷惑なんて、そんなの思ったこと、無い。……ずっと、うれしいと、思ってたよ」
「……ほんと?」
「……うん。」
緩やかな沈黙が流れる。
夏の日差しが俺たちを包む。
熱を含んだ風が俺の頬を撫で、彼女の髪を揺らす。
俺と谷口さんの、目が合う…。
「あ…あ!!」
谷口さんが沈黙を破るように声を出した。
「わ、私、もう行くね!まことくんも早くおいでね!次、移動教室だよ!」
谷口さんはわたわたと言うと、転がるように教室を出て行った。
…だが。
もう一度、戻ってきたのか、彼女は扉から顔だけ出して、言った。
「えっと…いっぱい話せて楽しかった。ありがとう。」
そして、視線が合い、彼女はまた瞳を少し揺らして。
その顔が引っ込んで、ぱたぱたという足音が廊下に響き。
…やがて聞こえなくなった。
…嗚呼。
頑張っていたらいいこともあるものなんだな。
とりあえず、後で師匠にお礼を言わないと。
俺は手元のカップケーキを見つめながら、耳の奥で鳴り響く自分自身のビートを聞いていた。