2."the Sixth sense" -b6 『再行』
-b6『再行』
“慣れ”というものは偉大である。
一番初めにチャレンジしてびくびくしっぱなしだったスプラッシュサークルは、あの怒涛の絶叫地獄を見た俺にとっては、ただのくるくる回るボートとなっていた。
「…実はあんまり怖くなかったんですね、これって。」
乗り終わった後の俺の一言に原野さんは、
「ほらー、だから言ったでしょ?」
満足そうにうなずいた。
次の矢吹の行動チェックによって、彼が全て木で造られたジェットコースターである『ジュピター』に乗るらしいことがわかったので、俺たちはそれを避けて子供向けコースター『わにくん』へ向かうことになった。
『ジュピター』も『わにくん』も午前中の絶叫地獄のコースにばっちり含まれていたのだが、この二つ、なかなか凶悪だった。
特に『わにくん』に至っては、どこが子供向けなのかと製作者を問い詰めたくなるハイスピードで巧みに小回りを利かせながらコースを二週も回るのである。
これに喜んで乗るちびっこの気がしれない。
「この調子で『わにくん』も克服出来るわよ、きっと。」
「…あれ、『わにくん』なんてかわいい名前にしないでほしいです。そんなかわいいもんじゃないです。」
くくくと笑う師匠。
俺も可笑しいような、情けないような、よくわからない心境になった。
スプラッシュサークルから園の内部に向かって移動する俺たちは、子供向けエリアに差し掛かった。
メリーゴーラウンドや射的、コーヒーカップ、ゴーカートなどが並んでいる。
…楽しそうである。
このエリアをもう少し奥に入ったら、夏はプール、冬はアイススケートリンクに利用されているスペースがある。
舞ランのメイン施設の一つである。
この付近に『わにくん』はあった。
あと少し歩けばたどり着くだろう…という、そんな時。
「?!」
俺は、前方に矢吹を発見したのだ。
こちらに向かって三人で歩いてくる。
焦る。
焦る。
パニクる俺。
「ちょ…セイどうした……、?!」
その様子に驚いた原野さんも、気づく。
目を丸くして一瞬固まったが、さすがは原野さんだった。
「行くわよ」
小声で言うと、俺の腕をひっつかんで道の端っこに向かって歩いて行く。
「ど、どこかに隠れたほうが」
「アトラクション!何かアトラクションに乗れば隠れられる!!」
小声のやり取り。
原野さんは、ひっきりなしにあたりを見渡し、アトラクションを探す。
そして。
「こっち!!」
原野さんは俺を引っ張るように、『コーヒーカップ』に入った。
一番奥まったところにあるカップに乗り込む。
すっぽりはまるようにカップの中にしゃがみ込み、道側をうかがうと、矢吹たちが通り過ぎて行くのが見えた。
…なんとか気がつかれずにやり過ごせたようである。
「…びっくりした…!!!」
大きく息をつく原野さん。
俺もホッとして、カップの背もたれにぐたっと背中を預けた。
「けど…なんで矢吹がこっち方面に来てたんでしょう…。」
「…そういえば、こっちを通っても『ジュピター』に行けるんだった…。舞ランに詳しくないと使わないような道だから注意してなかったわ…。」
…ということはつまり、矢吹は舞ランに大分詳しいということになる。
流石だ。
ぷぷぷぷぷぷ、とコーヒーカップの開始のベルが鳴る。
乗客は俺達しかいない。
「まあ良かったわ、見つからなくて。結果オーライね。」
原野さんがきちんと座りなおし、中央のレバーに手をかけた。
…目が真剣である。
ここで、俺は思い出す。
午前中、彼女が“いや、私はコーヒーカップ高速回転の方が好きよ。”などと恐ろしいセリフを吐いていたことを。
「ちょ!!は、原野さん、ここは、あの、平和的なですね、回転を楽しみませんか?」
「何言ってるのよ、コーヒーカップは高速回転に限ります。」
「や…やめてください!」
「スプラッシュサークルをクリアした貴方なら大丈夫!!」
「い、いやですああああああああああおおおおおお!!!!!!!」
この瞬間、俺は、星になった。
…いや、冗談でなく。
もう体から魂もろとも吹っ飛んだような錯覚を受けた。
恐ろしき回転が終わって。
「…大丈夫?」
罪悪感を覚えているのか、もはや動けない俺の目の前で手をひらひらして意識を確認する原野さん。
……大丈夫でないです。
と、言う元気もなかった。
さて、コーヒーカップまでも絶叫マシーンに変えてしまったうちの師匠。
彼女の辞書に容赦という言葉はない。
容赦の“よ”の字もなければ、情けの“な”の字もない。
もし多少でもその概念を知っていてくれたならば、こんな状態の俺を、予定通り『わにくん』に乗せ、その後きちんと『ジュピター』にも乗り、『ウォータースラッシュ』、『スカイウォーク』、その他舞ランにある限りの絶叫マシンに立て続けに乗せたりはしなかったはずである。
午後三時を回って。
俺はベンチに座っていた。
動悸と冷や汗と眩暈と頭痛と手足の震えがひどかった。
叫びすぎて喉ががらがらである。
「はい、お疲れ。」
ベンチにうずくまるように座っていた俺に、原野さんがスポーツ飲料を差し出した。
俺はそれを受け取ると、少し飲んだ。あまり飲みすぎるとクレープをリバースしそうだった。
「いや、ホント、よく頑張りました。」
「……はい。」
「ナイスファイトでした。」
「……はい。」
「ヤブキからメール返ってきた?」
「……今、帰ったみたいです。」
「なるほど。」
「……俺たちも帰りませんか。」
「…いや、それがね。」
原野さんが何か言いたげに口をもごもごさせている。
俺は嫌な予感がした。
凄く嫌な予感がした。
「ちょっと、今日の締めくくりに乗りたいアトラクションがあと一つあるのよ。」
「…いやです。」
何に乗るか聞く前に言った俺をたしなめるように、原野さんが言う。
「もうね、これに乗ったら絶対もう絶叫は怖くなくなる!」
「……もうこれで充分です!!!!」
思わず涙声になった。
だが原野さんは引かない。
…引いてくれない。
「いける!!貴方ならいける!!!」
師匠が根拠のないことを言ってくる。
彼女はそのまま、俺の背後を指さして、言った。
「これで最後!絶叫マシン巡りの締め!!これに乗ったらもう何も怖くない!!!」
俺はゆっくり、後ろを振り返った。
原野さんの指が指す先。
そこには。
一際高く赤く存在する、単純垂直落下、『フリーフォール』がそびえ立っていたのである。