2."the Sixth sense" -b3 『突破』
-b3 『突破』
「…え?ヤブキって、あの矢吹ですか?」
あまりに突拍子のない原野さんの発言に、まだ意識が朦朧としている俺は思わず聞き返す。
「あのヤブキよ!!なぜか分からないんだけど、下のレジのところに並んでて…」
「…え?どうしてあいつ、舞ランに…」
「わかんない…けど、茶髪の女子高生風の女の子と小学生くらいの男の子と、3人でいたわ。あの人たちと遊びに来たのかもしれない。」
なるほど、その茶髪の女子高生が、例のご近所のお姉さんかも知れないな。
一緒に舞ランに来る仲なのか…なかなか仲がいいじゃないか。
やるな、矢吹。
けど、男の子ってどのポジションだ?
矢吹は一人っ子のはずだし…でことは、お姉さんの弟とかか。
1階のテーブルもいっぱいだったし、3人もいたら席をとるのも大変だろうなあ。
俺はぼんやりとどうでもいいことを考える。
………。
…そこまで考えて、ふと、第一に考えないといけないことに思い当った。
「…え?てことは、このままここにいたら、まずいことになるんじゃ…」
「もう、まずい!すっごくまずい!!」
原野さんはよほど焦っているのか、体をぴょんぴょん跳ねさせながら手をぶんぶん振っている。
「このまま2人でいるのを矢吹に見られちゃったりなんかしたら、一体どうなるか分かんないわよ!!」
俺はここで初めてこのピンチに気がついた。
矢吹にこの場面を見られてしまうこと。
それは、俺と原野さんが1カ月近くこそこそと、誰にも話さずにやってきたことがすべて無駄になることを意味していた。
しかも相手は矢吹。
奴にこの事実を知られるということは、学校の生徒の3分の1に知られることと同義だ。
矢吹は悪い奴じゃない…むしろイイ奴なのだが、肝心なところで口が軽いのが玉に瑕な男なのである。
だから俺は、いつ俺が谷口さんのこと…ごにょごにょ、…うん、そういう噂が広がるかもしれないと恐ろしい思いをしているのであるが、まあそれは別の話。
なにより、一番この状況をまずくしているのはこの店の構造だった。
この店内に2階と1階をつなぐ階段はひとつしかないのである。
「ど…どうしましょう?!とりあえずここから離れないと…」
「あたしもそう思ったんだけど、考えてみたら、けどあの位置で並ばれてると私たちが階段から出口まで気づかれないように移動するのは無理かもしれない…」
「え?!そんな…じゃあ…」
「けど、ここにいるのはもっと危険!だって、気づかれたら逃げ場がないのよ?!」
つまり、だ。
実質、俺達がこの状況を回避する方法は1つしかない。
「無理矢理でも、1階を突破するしかない…んですね。」
「そうね、早くしなきゃ、もうすぐ来ちゃうかも知れないから、早く!!」
原野さんが俺を急きたててそのまま早足で階段に向かおうとする。
「だああ!!だめです原野さん落ち着いてください!!」
俺は慌てて原野さんが進もうとするのを後ろから制した。
「なに!!」
「俺、このままいったら顔さらしたまま矢吹の前を通らないとだめなんですけど!!!」
それだけはごめんだった。
あいつが友達の顔を見間違えるはずがない。
「…あたしは帽子かぶってるから大丈夫。」
「俺がまずいんです!!!!」
「じゃ、じゃあ、これつけてといて!!」
原野さんが自分のリュックサックの中に手を突っ込んで、何かを取り出すと俺に何かを押しつけてきた。
…それは、大変いかついデザインのサングラスだった。
「…これをかけるんですか?!」
これでは逆に目立つ気がした。
悪目立ちである。
しかし原野さんは俺にそれを無理やりかけさせると、
「似合う!いける、似合うから、セイ!自信持って!!」
こう適当なことを言って。
彼女はうん、と俺の目を見て頷いた。
……これは今までの傾向からして俺の意見は聞きいれられないパターンだろう。
かなしいかな。
だが、今回に関しては、これ以上異議申し立てをしたところで時間の無駄であるし、他にもっと良い解決策があるわけではなかった。
嗚呼、もう仕方ないか…、と。
そう思った時。
「屋上とかあちぃぜ、カンカン照りじゃん!」
俺の耳が、確かに、矢吹の声をとらえた。
俺たちは予想より早い矢吹の登場に、階段近くで押し問答していた俺たちは思わずその場で硬直。
原野さんはキャップをより深くかぶり、俺はとっさに階段に背を向けた。
「きよひこー!あそこ開いてるぜ!!」
小学生高学年くらいの男の子の声がする。
きよひこ、つまり矢吹清彦は、その男の子の後ろから階段を上がってきたようだった。
「おい現太、走ってジュースこぼしてももう奢ってやんねーぞ!オレっち万年金欠なんだからよ。」
「ケチだー!たかが100円じゃん!!」
「お前な、100円を馬鹿にしちゃいけねーんだぞ。100円は偉大なんだかんな!」
男の子が俺の横を通り抜けて、原野さんの側へ抜けて行った。
男の子はちょうど俺たちが座っていた隣の席にぴょんと飛び乗る。
それに続くように、矢吹が俺の横を通る・・・・。
「・・・?」
矢吹が、俺の顔を眼の端でとらえて違和感を覚えたのか、二度見してきた。
凝視。
歩きながらすれ違いざまに、凝視。
やばい。
やばい。
これは本格的にやばかった。
サングラス程度で何とかなる相手ではなかったかも知れなかった。
原野さんは俺に向かって小刻みに顔を横に振る。
口の動きが、“もう、限界、早く”と言っている。
俺はサングラス越しに、顔をこわばらせている原野さんにOKの合図で軽く首を縦に振ると、くるっと振り返って、階段に早足で直行した。
早いとこ矢吹の視界から逃れないとすぐ見破られそうで怖かった。
店内が人で溢れ返っていたためか、俺が急ぎすぎていたためか。
途中で茶髪のおねえさんとぶつかりかけたり、子供を弾き飛ばしてしまいそうになったりと、出口までの道のりは、本当に長いものだった。
本当に。
そして、やっと、外に出て。
俺はサングラスを外した。
うっすらセピア色に色づいていた世界が明るく転換する。
原野さんが追い付いてきた。
俺たちは無事、矢吹から逃げおおせたのだ。